| 東京都立川市の記事 (最終更新:2008.07.10) |
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未記入は朝日新聞 |
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| 2008.07.01 |
- 米軍基地跡地利用 国に計画書
- 2市、対照的な手法
- 昭島市 行政主導で一貫
- 立川市 市民交え協議中
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- 米軍基地跡地の取り扱いを巡り、昭島市と立川市は、土地利用計画書をそれぞれ財務省に提出した。
- 国有地処分を進める財務省が提出を求めていた。
- 昭島市分は1カ所約70ヘクタール、立川市分は4カ所で計約50ヘクタールが対象。
- 昭島市が法務省の計画する医療刑務所などを集約した「国際法務総合センター」(仮称)受け入れを核とする計画を行政主導で決めたのに対し、立川市は最大の対象地の利用計画を市民参加の協議会で今後話し合う方針を示すなど、対照的な内容になった。
- 立川市は市内4カ所の基地跡地のうち、面積が最も広い北部の砂川地区について市民や関係団体で構成するまちづくり協議会を設置。
- 来年度中の計画とりまとめに向けた話し合いが続いているとして、今回は内容を「未定」で提出した。
- ほか3カ所についてはすでに商業利用で払い下げが決まったり、公園利用の方針が示されたりしている。
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| 2008.06.12 |
- 子連れ映画上映会 盛況
- 「泣くのはお互い様」 育児の疲れいやす
- シネマシティ「シネマのたまてばこ」
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- 赤ちゃん連れで映画を楽しむイベント「シネマのたまてばこ」は、立川の子育てサークル「子育ていれかわりたちかわり」が主催。
- 育児で疲れた親たちに、気分転換の機会を作るために始めたもの。
- 第1回に引き続き、立川市子育て推進課の共催で、地元の映画館シネマシティが協力した。
- 照明は通常よりも明るめで、音量は控えめ。
- ロビーにはオムツ替えコーナーやサポートスタッフを配置したほか、新たに授乳コーナーを設けた。
- 「劇中で音楽が流れると赤ちゃんが泣きやむ」「ロビーの遊び場におもちゃがあるのを見ると、子どもがロビーへ出たがるので、なるべく隠しておく」など、前回の経験も、作品選びや会場運営に生かした。
- 「赤ちゃんが泣いてもお互い様」のため、赤ちゃんが激しく泣いても、会場は温かくほがらかな雰囲気だ。
- 「自分も企画に参加していることを意識してもらうためにも、アンケートを実施しています。『お互い様』ながらも『他に迷惑をかけない』という気持ちを持って見ること。親自身がモラルを学ぶ場でもあってほしいですね」とサークル副代表。
- 関連HP→シネマシティ
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アサヒタウンズ |
| 2008.03.28 |
- 戦争の理不尽さ 本に
- 立川の防空壕 学童ら42人の悲劇
- 「けなげな子どもも犠牲」
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- 63年前の4月4日、富士見町4丁目の山中坂にあった防空壕で学童ら42人が、米軍機による空襲の犠牲になった。
- 普通の人々が、戦地でない身近な場所で命を奪われた悲劇。
- その理不尽さを子どもたちに感じてほしいと、元小学校教員、杉田秀子さん(68)が児童文学『読まれなかった手紙』を出版した。
- 山中坂には慰霊の地蔵堂と歌碑が残る。
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| 2008.03.08 |
- 「お礼の気持ち」 3.14まで預かります
- 高島屋立川店、新サービス
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- 店内で購入したホワイトデーの商品を14日の当日まで取り置く「ちょこっとお預かりサービス」を始めた。
- ビジネス街の中にある同店は、会社員の男性が職場の女性に配るお菓子などを買い求める姿が多く見られる。
- 早めに買っておきたいが職場には保管できない。
- 自宅に持ち帰って、また持って来るのも大変などの声にこたえたという。
- 今年は蜂蜜を使った菓子やワイン類、フランス語でマシュマロを意味する「ギモーブ」などが人気。
- 公式HP→立川タカシマヤ
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| 2008.03.06 |
- 立川に公設法律事務所
- 多摩地域で初
- 裁判員制度に対応
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- 多摩地区の「弁護士不足」を解消するため、公設の弁護士事務所「多摩パブリック法律事務所」がオープンした。
- 多摩地区を所管する地方裁判所八王子支部の刑事事件の件数は、全国の地裁の中で7位。
- 支部としては抜きんでている。
- 裁判員制度の下では公判前整理手続きがとられ、事前に集中的に争点を絞り込む。
- 公判でも一般市民が参加するため、審理が短期間で進行し、特に弁護側の負担が大きくなるとされる。
- さらに来年には、起訴前の容疑者段階から国選弁護人がつく事件の対象が、殺人などだけでなく詐欺などにも広がるため、刑事弁護の需要が飛躍的に増えると見られている。
- 公式HP→多摩パブリック法律事務所
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| 2008.02.23 |
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- スケートボードやバイシクルモトクロス(BMX)など「ストリート系」と呼ばれるニュースポーツ専門の施設を、立川市が整備する。
- スケボーの若者が路上に集まることに近所の苦情も少なくなかった。
- 市はこうした若者たちを直接スカウトした検討委員会を作り、施設の内容や運営方法を話し合っている。
- 施設はJR立川駅北側の基地跡地にある「たちかわ中央公園」につくる。
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| 2008.01.12 |
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- 正月飾りを燃やして無病息災を祈る「どんど焼き」。
- 風習がなかったとされる立川市北部の砂川地区で「最初で最後」のどんど焼きが行われる。
- 市立第九小学校の校長(55)が提案。
- 「正月行事を親子一緒に体験して欲しい」と学区を越え、広く参加を呼びかけている。
- 校長室前で、児童たちとどんど焼きの話をしたのがきっかけ。
- ほとんどの児童が「知らない」と答えたのに驚いた。
- 市教育委員会がまとめた「立川の年中行事」によると、市南部では「サイノカミ(塞の神)」の名前で行われていたが、北部の砂川地区は明確な記録がなく、今は全く行われていないという。
- 「砂川地区は古くからの農村で、様々な年中行事が残っている。どんど焼きがないのが不思議だった」と校長。
- 当日は、どんど焼きでおなじみの、米の粉や餅を団子状に丸めた「まゆだま」を作り、竹竿の先にさして焼いて食べる。
- 「勉強だけでなく、地域の文化や生活の知恵を発信したり学び合ったりするのも学校の役割だと思う」と校長。
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| 2008.01.18 |
- 新たな街 青写真作り
- 2年後に移転 市庁舎跡一帯
- 新年度から
- 調査費を計上へ
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- 立川駅北口へ移転する現市庁舎跡地(錦町3丁目)を中心に一帯の街づくりを考えようと、立川市は新年度から青写真作りに乗り出す。
- 対象となる地域には現在、市庁舎を始め、簡易裁判所など司法関連施設と国の出先機関が入る合同庁舎、国家公務員共済組合連合会が運営する共済立川病院などが建っている。
- 病院は立て替えを、市庁舎や合同庁舎は立川駅北口の米軍基地跡地に移転する。
- 西国立駅前までを入れた広範な街づくりに構想が広がった。
- 「庁舎移転は新たな街づくりのチャンス。地域活性化の起爆剤にしたい」と市長。
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| 2007.12.19 |
- 歩きたばこ・ポイ捨て
- 禁止条例が成立
- 立川市内全域対象
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- 歩きたばこ対策が急がれる「特定地区」では、喫煙そのものを禁止するが、罰則は設けない。
- 特定地区は、JR立川駅を中心にした半径250メートルを想定している。
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| 2007.12.09 |
- ペットボトルよ通学路を照らせ
- 父親らが電飾
- 冬の日暮れ、子ども守りたい
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- 市立幸小学校に、約2千本のペットボトルを使ったイルミネーションが登場。
- 日暮れの早い冬、街灯の少ない通学路を明るく彩り、下校する子どもたちの安全を守りたいと、父親有志を中心に約30人がボランティアで1ヶ月余りかけて完成させた。
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| 2007.11.21 |
- 来て 子ども都市「ミニ立川」
- 15歳以下で作る3日間の街
- 施設や店運営 独自通貨も
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- 15歳以下の子どもたちで運営する模擬都市「ミニ立川」が、23日から3日間、富士見町6丁目のたまがわ・みらいパーク(旧多摩川小学校)に出現。
子どもたち自身がつくった店や施設で仕事をし、そこで得た給料を使って遊ぶ。
- すべての取引は独自通貨「ミニタ」で行う。
- 小学5年生板野千咲さん(11)は、「(子どもが職業体験するテーマパークの)キッザニアみたい」と参加した。「でも全然違った。どんなお店を出すとか、そこでどんなものを売るとか自由に決められる。どんどん楽しくなった」
- 立川市在住、環境教育プランナー、内藤さん(49)は、1996年(平成8)、ドイツのミュンヘンで30年近く続いている「ミニミュンヘン」の活動を現地で知り、生き生きと働く子どもの表情に感銘を受けた。地元立川での開催は10年来の念願だった。
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| 2007.10.24 |
- 「朝鮮学校、もっと知って」
- 校内解放 ショーや模擬店
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- 「西東京朝鮮第一初中級学校」で、校内を開放して朝鮮半島の文化に触れる「ふれあいフェスタ」が開かれる。
- 北朝鮮の国情から、閉鎖的なイメージが持たれている朝鮮学校。
- 「地域のお祭りとして、多くの人に来て欲しい」。
- 公式HP→西東京朝鮮第一初中級学校
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| 2007.10.05 |
- 野菜収穫で出会い演出
- 立川の若手農家
- 独身女性との交流会企画
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- 2000年(平成12)に始まり、今年で8年目。
- 農作業が結んだ縁で、これまで4組が結婚。
- 若手農業家でつくる「立川市農研会」が主催。
- 公式HP→立川市農研会ブログ
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| 2007.09.21 |
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- 警視庁立川署地域課の友野巡査長(当時40)が、飲食店従業員佐藤陽子さん(当時32)を射殺し、自殺した事件で、巡査長の上司らが事件前、佐藤さんとの関係で度々相談を受けて問題を把握していながら、署幹部に伝えるなどの対策をとっていなかったことが調査で分かった。
- 射殺事件では当初、「合意の上での心中の可能性もある」と発表するなど、警視庁の対応は混乱した。
- 報道され、初めてその事実を認める会見を開くことも度々だった。
- 友野容疑者の退職金支給を巡る対応も後手に回った印象が否めない。
- 支払いに強い批判が集まる中、容疑者の両親から受給辞退をとりつけて不支給と決めたのは事件発覚から10日以上経過していた。
- 全庁的に対策をとっているさなか、昭島署(となりの昭島市)盗犯係の刑事がひったくりで逮捕される事件も起きた。
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| 2007.09.09 |
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- 50畳敷きのの客席は八分の入り。
- 客層は中高年の女性が中心。
- 中に3人連れのアメリカ人女性の姿も。
- 公式HP→東京大衆演劇劇場協会
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| 2007.08.23 |
- 駅前に開発偏り 周辺の浮上課題
- 街づくり
- フロントランナーへ 立川市長選を前に
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- 立川駅には南北双方に駅ビルがあり、駅前には伊勢丹、高島屋を始めとした大型店がそろう。
- そして今度は、駅の真上に新たなにぎわい「駅ナカ」がオープンする。
- 品川、大宮などの駅ナカを大きく上回る85店が軒を連ねる。
- 初めて改札外に店を構え、保育園や診療所を設けるなど「地域密着」を掲げる。
- にぎわう駅前はテナント賃料も高騰している。
- 駅南口の相場は1坪(3.3平方m)当たり4万〜5万円。
- ところがこれは局所的なもので、250メートルほど離れるだけで1万円程度に下がる。
- 昨年、駅南口から約300メートルの場所に古着店をオープンさせた男性(35)は、駅から近いのに割安な賃料が進出する決め手だった。
- だが、ほどなくして安い理由がわかった気がした。
- 「駅前の大型店で買い物を済ませてしまう。商店街まで人が来ない」
- 昨年度の都の調査で、立川駅の自転車駐輪台数が1日あたり1万3100台と、都内で一番多かった。
- 特に駅南口で駐輪場が不足し、臨時駐輪場を設けても追いつかない状態だ。
- 自動車の渋滞も悩みの種。
- 巨額の投資によるにぎわいが駅前だけに一極集中し、周辺に波及していない。
- 立川駅から北東に約3.3キロ離れた若葉町1丁目の「エルロード商店会」は、約40年前の高度成長期、宅地開発と足並みをそろえてできた。
- 「団地の老朽化で人がいなくなり、住民の高齢化で客単価も下がった」と商店会会長の精肉店主(69)。
- 地元相手の商売だけでは立ちゆかない。
- 立川駅近くのレストランに肉を卸し、生計をたてている。
- 駅前を「商店主がビルオーナーと化し、チェーン店ばかりで個性がない」。
- シャッター通りが増える郊外も「商人としての気力が感じられない」と厳しい言葉が並ぶ、今年、市が市内41商店街の実態調査をした報告書。
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| 2007.08.22 |
- 活用に財政の壁 闘争の地も宙に
- 基地跡地
- フロントランナーへ 立川市長選を前に
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- 多摩都市モノレールを立川北駅から北上すると、両側に広大な空き地が続く。
- 通称「都市軸沿道地域」。
- 約9ヘクタールあり、米軍立川基地跡地の中で、立川駅周辺に最後に残った土地として、どのように利用されるか注目されている。
- 30年前に返還された基地跡地は約460ヘクタール。
- 実はこのうち、利用計画が決まっていない「国有留保地」が、まだ約100ヘクタールある。
- 52年前、基地拡張計画に地元農民が反対したのがきっかけに起きた「砂川闘争」の現場も、利用されずに放置されている。
- 約14ヘクタールの土地は、国有地と民間地の境界がはっきりしない。
- 2004年(平成16)、国が土地の有効活用の方針を打ち出したが、国や市は測量を行えないでいる。
- 測量の強行が砂川闘争の発端であり、神経質になっているため。
- 「砂川闘争があったから、今の立川の街の繁栄がある」と市長は機会あるごとに語る。
- 農民らの必死の抵抗で米軍は1968年(昭和43)、基地拡張を断念。
- 1977年(昭和52)の基地全面返還につながったからだ。
- だが市は、砂川闘争の記録や資料の収集さえやっていない。
- 「市は一刻も早く『基地の街』の歴史を消し去りたいのではないか」と著書『砂川闘争50年 それぞれの思い』や証言ビデオ『砂川の熱い日』を手がけた「砂川を記録する会」の星さん(63)。
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| 2007.08.21 |
- 基地返還で発展 豊かな懐に陰り
- 中心都市
- フロントランナーへ 立川市長選を前に
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- 立川市は駅前再開発を起点に発展を遂げ、今や「多摩の中心都市」と言われるまでになった。
- 順風満帆に見える立川市の内実は「アンバランス」。
- にぎわいを求めて立川駅で乗り降りする人は1日約30万人。
- 中央線沿線で新宿、東京駅に次ぐ。
- その礎となったのは、駅北側の広大な米軍立川基地跡地の開発。
- 戦前、軍都として発展した立川の陸軍飛行場が戦後、米軍に接収され、30年前に是全面返還された。
- 跡地には、年間300万人以上が訪れる「国営昭和記念公園」やビジネス街の「ファーレ立川」が誕生。
- 裁判所や研究所など、国の施設も次々に移転してくる。
- だが繁栄の陰で、立川市の財政状況は悪化が目立つ。
- これまで予算編成を下支えしてきたのが1951年(昭和26)に始めた立川競輪。
- 豊富な財源を背景にハコ物を次々に造った。
- だが競輪事業収入は、1993年度(平成5)の年間約70億円をピークに減少に転じる。
- 当時造った施設の老朽化も、財政の圧迫要因となっている。
- 公共施設の多くは1950年(昭和25)〜60年代の高度成長期に造られた。
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| 2007.07.05 |
- 災害対応給油所 立川にお目見え
- 太陽光発電など活用
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- 災害で停電しても、救急や消防などの緊急車両に給油できる「災害対応型給油所」が柴崎町6丁目に完成。
- 阪神大震災の際、停電で給油所の設備が動かず、災害復旧にあたる車への給油ができなかった教訓を踏まえ、国が費用を助成して普及を進めている。
- 2006年度(平成18)末現在で全国114カ所。
- 都内では立川の給油所が4カ所目。
- 立川燃商の立川南サービスステーション。
- 太陽光発電設備と蓄電池を設けたほか、ディーゼル発電機を設置。
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| 2007.05.09 |
- 映画「0からの風」 立川で自主上映会
- 飲酒運転の厳罰化運動 闘った母あいさつ
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- 無免許の飲酒運転事故でひとり息子を失い、刑の軽さに絶望した母親が厳罰を求めて約38万人の署名を集め、法改正に至った実話をもとにした映画。
- 公式HP→0からの風 (2008.01時点)
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| 2007.04.19 |
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- 立川市に多摩地区6局目のコミュニティーFM「FMたちかわ」が開局する。
- 84.4メガヘルツ。
- 立川市と昭島市が主な聴取エリア。
- 月曜から金曜の午前7時から午後6時30分までは生放送の予定。
- 開局を目指したきっかけは、1978年(昭和53)の宮城県沖地震。
- 電気・水道・ガスのライフラインが止まる中、唯一残っていたラジオが被災者のパニックを防いだ。
- このことを知り、当時、立川市の西武新聞社社長らが中心となって「多摩にもラジオ局を」と紙面での呼びかけと合わせて署名活動を始めた。
- 公式HP→FMたちかわ
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| 2007.02.17 |
- 公民館、衣替え
- 立川、「地域学習館」に
- 個人利用にも道
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- 公民館は法律で団体利用に限るなど制限があったが、規制緩和で。
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| 2007.02.08 |
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- 高さ33m、報道関係者向けに。
- 業界では「ガスホルダー」と呼ばれ、1969年(昭和44)製。
- メンテナンスにより半永久的に使え、軽飛行機が衝突しても壊れないという。
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| 2007.02.01 |
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- 福祉、環境、防災、交通情報など地域情報中心の地域密着型を目指すという。
- 公式HP→FMたちかわ
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アサヒタウンズ |
| 2007.01.05 |
- 学びあって日中共存
- 立川の都営住宅
- 中国籍、全世帯の1割
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- 5年ほど前から、ごみを分別せずに捨てる、公園にゴザを敷いて花札に興じるなどの苦情が目立ち始めた。ベランダの排水口を便所と思い込んで使っていた人もいた。
- 自治会の人たちを中心に言葉の壁を乗り越えようと苦労を重ね、日本語教室や交流会で互いの距離を縮めてきた。
- 今では、高齢者が多くなった団地自治の担い手として、若くして入居する中国籍の人たちへの期待が生まれている。
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| 2006.12.04 |
- ものづくり、腕前に注目
- 信号機・飛行機の特注部品・・・
- 多摩地域10社の製品
- 高い技術力「知って」
- 立川の図書館で10日まで展示
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| 2006.11.23 |
- 地場企業の誇れる製品展示
- LED信号機・リール・・・
- ものづくりIN立川
- 28日から中央図書館
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アサヒタウンズ |
| 2006.11.03 |
- 「主役は外国人」浸透
- 立川の「多文化共生センター」発足6年目
- 会報できずな、企画担い手に
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- 人口17万5千人のうち外国籍の人は約3250人で、中国籍が約1400人と最も多い。
- 市内には外国人が多く住む地区があり、ゴミの捨て方など、習慣の違いから生じるトラブルもみられるという。
- 「原因は生活情報が不足していること。日本人と同じ情報が共有できれば、トラブルも減る」と理事長。
- 公式HP→たちかわ多文化共生センター
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| 2006.09.08 |
- 防犯ブザーの交換電池どこ
- 小学生に立川市貸与
- 特殊な形状、流通限定
- 各家庭では対応に苦慮
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| 2006.09.07 |
- 団塊おばさんのカフェ
- 起業セミナーに4年通い、立川に出店
- 占い・おしゃべり評判 口コミ広がる
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- 立川商工会議所が商店街活性化を目的に設け、割安な賃料で1年間入居できる「チャレンジショップ」に店を構えた。
- 公式HP→立川TMO構想 (2008.01時点)
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| 2006.06.25 |
- 救助ロボット、「負傷者探せ!!!」
- テロ想定、立川で訓練
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- NBC(核・生物・化学)テロ災害を想定。
- れすきゅーロボットを研究・開発するNPO法人「国際レスキューシステム研究機構」(神奈川県川崎市川崎区)が主催。
- 公式HP→国際レスキューシステム研究機構
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| 2004.04.11 |
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- 「国際製菓専門学校」
- 「1階はオープンスペースにして地域の人に気軽に立ち寄ってもらい、製菓器具や各国の菓子情報などが入手できるような場所にしたい」と総務部長。
- 公式HP→国際製菓専門学校 (2008時点)
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| 2007.12.27 |
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- 立川の山中坂の空襲で亡くなった実在の女性をモデルに、戦争の痛ましさを描いた物語。
- 立川市在住の作者、杉田秀子さん(68)の姉は、戦争が終わった2年後の1947年(昭和22)、17歳で病死。
- 姉は「日本は必ず戦争に勝つ」と信じ、体の具合が悪くても学徒勤労動員の作業をしていた。
- 「戦争がなければ死ななかったのに・・・」という母のつぶやきに、小学校2年生だった杉田さんは「戦争で死ぬのは兵隊さんばかりではない」と気付いたという。
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アサヒタウンズ |
| 2007.12.16 |
- 中国を描いた絵本 希少豆本など展示
- 都立多摩図書館に200冊
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- 「中国を描いた絵本 西遊記から現代まで」が開かれている。
- 児童書約15万冊と国内有数の蔵書数を誇り、そのうち中国関係は約3千冊。
- 物語絵の下に短い説明文が書かれた中国独特の豆本「連環画」は希少品。
- 識字運動として出版され始めたのは1927年(昭和2)。
- その後、文化大革命で排斥され、今では貴重品の三国志演義全60巻も手に取って見られる。
- 公式HP→東京都立多摩図書館 (ページ)
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| 2007.11.22 |
- 「知恵を絞り、足で稼ぐ」トップセールス
- パレスホテル立川総支配人
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- 「立川は東京であって、東京でない、といって単なる地方の小都市でもない」。
- 「駅周辺で人の流れが止まる。エキュートが店開きし、その傾向はますます強くなっています」。
- 観光名所もない。ホテル商売には難しい立地条件だ。
- 「外から立川を見ていて、なぜもっと売り上げが伸びないのか、不思議」だったが、着任して納得。
- シティーホテルの名門が立川に進出して13年。
- 地域密着型のコミュニティーホテルがモットー。
- 立川特産のウドの料理や立川で採れたハチミツを使ったケーキなど「地産地消」にも力を入れる。
- 毎月開くミニコンサートも、地元の若手や新進の演奏家が中心。
- 公式HP→パレスホテル立川
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| 2007.11.01 |
- 赤ちゃんと映画どうぞ
- 立川のシネコン「シネマシティ」
- 音量下げ館内明るく、泣いてもお互いさま
- 料金1000円割安に
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- 市内の子育て支援サークルの提案に映画館側が応えた。
- 提案したのは、「子育ていれかわりたちかわり」。
- 「どこに行っても赤ちゃん連れだと大変、と自宅にこもりがちなママに来て欲しい」と副代表。
- 公式HP→いれたち・ねっと
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| 2007.10.30 |
- 出展・観覧無料で人気
- 立川の小ギャラリー「みんなの展示場」
- 定年後楽しむ教室にも
- 元郵便局長素人画家の夢かなう
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- 2005年(平成17)、自宅近くの錦町5丁目の持ち家を改装した「みんなの展示場」をオープンさせた。
- 「素人画家」が自分の作品を発表できる場所は少ない。
- 「日の目を見ず押し入れに眠っている作品が喜ぶ。何より素人が集まりわいわいとにぎやかな、面白い場所になるのではないか」
- 公式HP→みんなの展示場 中村洋久絵画館
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| 2007.09.26 |
- 「守った市民の思い伝えたい」
- 立川の「スズカケ3きょうだい」
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- 「スズカケ3きょうだい」と呼ばれ、親しまれているプラタナスの木がある。
- プラタナスがあるのは多摩モノレールの立川北駅と高松駅の間。
- 戦後、日米親善のために植えられてものといい、樹齢は約60年。
- 1999年(平成11)に区画整理による伐採の話を知った市民たちが、「長年、街の歴史を見続けてきた木を残してほしい」「都市計画と自然とが共存するまちづくりを」などと訴え、伐採を止めさせた。
- そのエピソードを長く伝えようという演奏会が、市内在住の音楽家と芸術家らの手で開かれる。
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| 2007.09.22 |
- ブドウ園はアート空間
- 「農地の存在・役割知って」
- 立川の兼業農家企画
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- 町中にある農地を利用したアート展が、富士見町3丁目のブドウ園で開かれている。
- 兼業農家で都市空間のデザインなどを手がけている立川在住の井上さん(58)が、農地の魅力を発信しようと考えた。
- 園内には、人形のくぼみがあちらこちらに出現。
- 名付けて「Tachikawa Art in Farm 2007」。
- 都市の中での農地の存在や役割、魅力を市民に知ってもらいたいと、仕事などで知り合った芸術家らに参加を呼びかけた。
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| 2007.09.19 |
- 「北海道展」対決in立川
- きょう同時スタート
- 伊勢丹 得意のスイーツに力
- 高島屋 定番の海産物を前面
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- 「商都立川」の駅前に並び立つ伊勢丹と高島屋の二つのデパート。
- いずれも「秋の大北海道展」と題した物産展を同時期に開催する。
- 今年で3年連続、開始日が同じ日になった。
- 伊勢丹:
- 30〜40歳代を主要客層とする伊勢丹は、スイーツを得意分野とする。
- ただ立川店は中心購買層が40〜50歳代と若干高め。
- 「もっと幅広い年齢層にアピールしたい」との狙いもある。
- 高島屋:
- 「北海道=海産物」の定番イメージを前面に据えた。
- 中心購買層は50歳代以上。
- 「年配客は弁当や総菜に人気が集まる。出店業者に頼んだオリジナル弁当を用意するなど、力を入れました」。
- 開催日が同じ日になったことについて、両店とも「全くの偶然」と口をそろえる。
- 「注目度の高い北海道展は、先に開催した方が売り上げで有利になる。ライバル同士、相手の様子を見ながら同じ日を選んでいるのでは」と流通事情に詳しい関係者。
- 公式HP→伊勢丹 立川店 (ページ) 立川タカシマヤ (ページ)
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| 2007.02.24 |
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- 人形製造問屋「人形の秀光」で。
- 高さ1.5mを超える。
- 「少子化で人形が売れない時代。明るい話題を提供したかった」と店長。
- 公式HP→秀光人形工房
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| 2007.02.05 |
- 立川「発見」ロケ地巡り、映画鑑賞後に「ツアー」
- 立川観光協会
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- 映画「魂萌え!」(たまもえ)で多くのシーンが立川市内で撮影されたのがきっかけ。
- 立川観光協会は2003年(平成15)から、撮影場所になりそうな候補地をホームページに写真入りで掲載している。
- 「問い合わせは年々増えており、ロケ地として徐々に浸透している実感がある」と立川商工会議所の担当者。
- 街の魅力を市民の目線で紹介する「まちの案内人」と外部の目線で街の姿を映し出す映画のロケが融合することで「全く違う街の魅力が見つかるかもしれない」
- 公式HP→魂萌え! (2008.01時点) 立川観光協会
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| 2006.12.07 |
- 立川に映画館こんなにあった
- 懐かしい写真をカレンダーに
- 印刷会社が作成・販売
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アサヒタウンズ |
| 2006.11.26 |
- 顔、顔、顔、顔
- 立川市で出会った1千人を目標に描いている似顔絵の展覧会
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| 2006.11.10 |
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- 富士見町2丁目の石田産業敷地内にある倉庫群。
- 30年ほど前、芸術を学ぶ学生たちにその一角を貸し出したことが契機となって、作家や職人たちが集まるようになった。
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| 2006.10.18 |
- 観光スポットや街の魅力を紹介
- 「まちの案内人」
- 立川で配置準備
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| 2006.10.14 |
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- 立川国際芸術祭で。
- 「ギュウちゃん」の愛称で知られる芸術家、篠原有司男(うしお)さんのパフォーマンス「ボクシング・ペインティング」。
- 公式HP→立川国際芸術祭
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| 2006.08.25 |
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- 「東京マガジンバンク(仮称)」として2009年(平成21)に衣替えする方針。
- 雑誌図書館として知られる「大宅壮一文庫」(世田谷区)の約1万誌を上回る約1万6千誌の所蔵を目指す。
- 市町村立の図書館が充実してきたため、「明確な特色を打ち出さなければ生き残れない」と判断した。
- 公式HP→東京都立多摩図書館 (ページ)
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| 2006.07.13 |
- 立川で3回目の写真展
- ウリさんと親しまれるドイツ人教授
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- 「二つの文化の間 ドイツと日本」
- 「日常的な環境で人の生活を記録する」のがテーマ。
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アサヒタウンズ |
| 2004.03.10 |
春の陽気、コブシ咲く
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| ■商店街 |
| ◆商店街 総合・広域 >>戻る |
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| 2008.02.26 |
- 駅・商店街 支払いス〜イ
- いろは通り・すずらん通り
- スイカとパスモOKに
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- JR立川駅南口の「いろは通り」「すずらん通り」の2商店街。
- ICカード乗車券「スイカ」「パスモ」が使えるようになる。
- 駅構内の商業施設「エキュート立川」が昨秋オープンしたのを機に、同商店街は今年からにぎわい創出に向けた取り組みを始めており、ICカード事業もその一環。
- 商店街は利用履歴で客の動向を把握でき、利用額に応じたサービスや販促活動に使えるという。
- まずは両商店街に加盟する約190店舗のうち40店でスタート。
- 他の商店街にも範囲を広げていくという。
- 立川駅には、エキュート立川を始め駅ビル施設が充実しており、駅周辺から商店街にどうやって客を誘導するかが悩みの種。
- ICカード事業のほか、近隣にある市民会館との連携や、道路を昼間だけ遊歩道化することも検討している。
- 「単発イベントでは売り上げに結びつかない。恒久的な取り組みを次々と打ち出したい」と、事業を担当している、商店主:や多摩信用金庫などが出資した株式会社「TTM」の社長。
- 関連HP→
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| 2007.06.30 |
- 辛口評価で商人に「喝」
- 立川市が41カ所調査
- 生き残りへ自覚必要
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- 「商人としての気力がない」「古い体質の一掃を」−立川市は、市内41商店街の実態調査を初めて実施し、辛口評価も含めて公表した。
- 将来への希望や活動力など5つの指標で各商店街を評価。
- 点数化することで、良し悪しをはっきりさせた。
- 加盟店舗数など、市内商店街についての包括的なデータはなかった。
- このため立川市は、市商店街振興組合連合会と一緒に、約半年かけて実地調査した。
- 「希望度」「商環境」「組織力」「活動力」「構成力」の5つの指標を設け、それぞれ5段階で評価した。
- 合計25点が最高点。
- その上で、商店街を歩いた印象や販促活動の取り組みについて取材し、総合評価した。
- その結果、大規模団地に接する5つの商店街の評価が低くなった。
- いずれも昭和40年代(1965年〜)に造成された団地。
- 4.5〜10.5点と軒並み低い。
- その一つ「オザキショッピングセンター」(若葉町3丁目)は、15店舗のうち7つが空き店舗。
- 後継者、販促活動はともに「なし」。
- 保育園に近く商環境は悪くないが、講評は「商人としての気力は感じられない」。
- 「団地住民の高齢化で買い物単価が下がった。加えて近隣のスーパーに客を取られた。売れないから商店主もやる気がない。どうしようもない」と商店会長のそば店主(68)。
- 一方、平均18点以上と高得点だったのが、JR立川駅前と周辺の6商店街。
- 「駅前集中型」と言われる立川市の商業的な特徴が見て取れる。
- 希望度や商環境は抜群で、空き店舗もない。
- だが商店主の多くがビルオーナーで、全国チェーンの店が多く入居するなど、商店街の個性に乏しい。
- 駅前集中型は「にぎわいに奥行きがない」と報告書。
- 「高齢化社会に備えるには地域密着の商店街が必要。残るために何が出来るか、評価を数値化して方向性を示したつもり」と調査を担当した街づくりプランナー(59)。
- 市は今回の報告書をもとに、商店街再生のモデル事業を考えていきたいという。
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| ◆高松町商店街 >>戻る 関連HP→高松町商店街 (立川市商店街振興組合連合会ページ) |
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| 2008.04.15 |
- 空き店舗に工房カフェ
- 鋼板造形作家
- 「モノ作りの力、街に元気を」
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- ギャラリーと工房を併設したカフェ「ビー・スリー(B3)」がオープン。
- 手がけたのは、近くの米軍ハウス(旧米軍家族用住宅)に住む銅板造形作家の赤川政由さん(56)。
- シャッターを閉じた店が増えていく商店街の姿にいても立ってもいられなくなり、青梅市内の工房を引き払って、この商店街に骨を埋める覚悟を決めた。
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| 2007.12.12 |
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- 活性化対策として「アートによる街づくり」を掲げた高松町商店街が東京都主催の「東京商店街グランプリ」で優秀賞を受賞した。
- 麻布十番(港区)や日本橋人形町(中央区)などと肩を並べ、多摩地域で唯一の入賞。
- 高松町商店街はJR立川駅から北に延びる立川通り沿いにある。
- 米軍立川基地があったことは、市内で最もにぎわいがあったという。
- 受賞対象となったのは、40〜50歳代の商店主らが、近くに住む芸術家らとともに提案・企画した「アートによる街づくり」。
- 商店街を舞台に市外のアーティストが空き店舗のシャッターに絵を描き、美大生がオカリナ演奏やキャンドルアートを披露した。
- このイベントで空き店舗が15から11店に減るなど、目に見える成果があったと評価された。
- 「イベントは商店街の元気をアピールする手段。売り上げにはならない。継続することが大事」と、イベント実行委員長で写真館を営む新井さん(56)。
- 「ALWAYS TAKAMATSU TOWN」と名付けられたイベントは5年計画。
- 2年目の今年は商店街が元気だった昭和30年代(1955年〜)に焦点を当てた。
- 「ストリート昭和博物館」もその一つ。
- 店の奥でほこりをかぶっていたレトロな品々を店先に飾り、懐かしさを演出する。
- 足踏みミシンや自転車、1950年代(昭和25)に登場したとされる松下電器のマスコットキャラクター「ナショナル坊や」・・・。
- 67店ある商店街のすべてが団結しているわけではない。
- 「店の売り上げにつながるのか」といった疑問の声も多いという。
- 「腰が重いと批判される商店街の意識改革でもある。みんなで楽しまないと」と、新井さんは商店街の中で取り組みが広がるよう模索する。
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| 2006.11.14 |
- 商店街、アートで再生
- 米軍基地返還後衰退の立川・高松町
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- 高松町商店街は、かつて市内で最もにぎわう商店街と言われた。
- 米軍基地に接し、米兵や基地で働く人たちが行き交い活気にあふれていた。
- だが、基地のなくなった今、JR立川駅から約800メートルも離れた立地が響き、空き店舗が目立つ。
- そんな街を見かねて、団塊世代の男性2人が立ち上がった。
- 掲げたのは「アートによる街づくり」。
- 高松町商店街は、かつての米軍基地ゲートに接する「立川通り」沿いにある。
- 最盛期は1960年代(昭和35)。
- 日用雑貨や食料品を扱う店はもちろん、外国人向けのおみやげ店や飲食店などが立ち並んでいた。
- 英語と日本語が飛び交い、独特の雰囲気を醸し出していたという。
- 1977年(昭和52)の基地返還と、その後の駅前再開発などで商店街は急速に衰退していった。
- 30年近く「ハウス」(旧米軍家族用住宅)に住み、商店街と暮らしをともにしてきた赤川さん(55)は、「アートによる街づくり」に期待を込める。
- 「米軍基地は街ににぎわいと文化を残した。今度も新たな文化を発信しながら、商店街の活性化につなげたい」。
- 知り合いの芸術家約15人に声を掛け、すでに10店余りのシャッターに絵を描いたり、空き店舗を利用したギャラリーを手掛けたりしている。
- 空き店舗の交渉を担当したのは、市内で街づくりの研究や助言をする会社を経営している秋山さん(59)。
- 「まずは閉じたままのシャッターを開けてもらうことから始まる」。
- 外部の知恵や力を借りながら、5年をめどに商店街再生のきっかけをつかめれば、と考える。
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| 2006.11.09 |
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- 芸術家約30人と商店街の64店舗が協力して、アートによる高松町商店街再生計画「ALWAYS TAKAMATSU TOWN」を開催している。
- テーマは高松町商店街が元気であった「1960年代シーンの復活!」。
- ライブハウスでは60年代に流行した懐かしい音楽祭、空き店舗を利用した駄菓子屋や昭和のグッズを集めた博物館、彫刻展、絵画展、写真展はじめ、シャッターにも絵を描いた。
- 絵が入ったシャッターは夜間にライトアップする。
- シャッターの清掃と下塗りはニートの若者の就労支援組織「たちかわ若者サポートステーション」に通う若者が担当。
- 子どもたちに人気があるのが、元時計店の空き店舗を利用した駄菓子屋。
- 店番はNPO「立川子ども劇場」の会員が引き受けた。
- 同じ店内に開く高松昭和博物館は、60年代のグッズを住民が提供した。
- 高松町の町並みを写した写真、同時代の映画ポスター、ダイヤル式黒電話、台量りなど当時の暮らしを映す品々。
- 関連HP→立川子ども劇場
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アサヒタウンズ |
| ◆羽衣商店街 >>戻る 関連HP→羽衣商店街振興組合 (立川市商店街振興組合連合会ページ) |
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| 2007.10.03 |
- 羽衣商店街「便乗セール」
- エキュートのレシート 添えれば買い物券が倍増
- ライバル店レシートあれば上乗せ
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- エキュート立川(立川駅内)のオープンに合わせた「便乗セール」を期間限定で行う。
- 商店街だけで通用する250円分の買い物券「ハローチップ」が、エキュートで買い物したレシートを添えると倍の500円券になる。
- ライバル店にも配慮を忘れない。
- 同じ立川駅の駅ビルを対象に「負けるな!ルミネ・グランデュオ」、立川駅北口の百貨店での買い物にも「忘れないでね!伊勢丹・高島屋」と銘打ち、エキュートのレシートに加え、各店いずれかのレシートを付ければ600円に、両方のレシートなら700円券にサービスする。
- 「地域はエキュートの話題で持ちきり。私も行きたい。この機会を利用しないと」と羽衣商店街の茶店の店主。
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| 2007.06.21 |
- エコに夢中 商店街巡る
- 羽衣でスタンプラリー
- 子ども向けに賞品も
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- 羽衣商店街はJR南武線西国立駅の東側、羽衣いちょう通りを中心とした78店からなる。
- マイバッグや容器持参で買い物すると、スタンプを押してもらえるのが「グリコンラリー」。
- 環境を意識した消費者を意味するグリーンコンシューマーの略で、参加する31店は「エコな店」を宣言。
- 精肉店なら肉の量り売りを、美容院は天然素材のシャンプーを使うなど、環境に優しい取り組みをする。
- エコポスターは、近くの市立第六小学校の児童が描いた55枚を、37店に飾った。
- こちらのスタンプラリーは主に子ども向けで、買い物なしでもOK。
- 普段はなかなか子どもが立ち寄らない店に。気軽に入って欲しいという狙いもある。
- 子どもたちのお目当ては人気ゲーム機。
- 「エコたなばたフェア」で、全店のスタンプを集めた人から選ばれる、パーフェクト賞の目玉。
- 羽衣商店街は3年ほど前から、使用済みレジ袋を10枚持参すると抽選で景品が当たるなど、エコ活動に取り組んできた。
- 「地域の人たちを巻き込んで楽しくエコを考える。その上で商店街の活性化につなげれば」と、活動の旗振り役、茶店「狭山園」のおかみさん。
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| 2008.01.26 |
- 子育てを応援 商店街マップ
- 立川のママ 取材・作製
- 授乳・配送・・・22店紹介
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- 「子ども大好き」「おむつ替えOK」など、子育てママを応援する店を紹介した商店街のマップを、立川市の母親らが作った。
- 店側も取材をきっかけに授乳場所を提供したり、母親たちと懇談会を開いて店を改装したりと、「子育てに優しい店」に変わろうとしている。
- 1〜4歳の子どもを持つ8人の母親が「たちママ探検隊」を結成。
- 若葉町の「エルロード商店会」と隣接のショッピングセンター「若葉ケヤキモール」の店主らを取材した。
- 「ミルクのお湯がもらえる」「授乳できる」「商品の配達可能」など9項目のアンケートを行い、回答を寄せた22店(*全店の約半数)をマップに紹介した。
- 「荷物やベビーカーを預かってくれる」など、子育てママにとってかゆいところに手が届く情報ばかり。
- 近所に住むメンバーのほとんどが商店街を利用していなかった。
- 「ところがお店の人はみんな親切で、柔軟に対応してくれて・・・。今後はもっと使いたいと思いました」
- 美容室は家族貸し切りで、子どもが父親と遊んでいる間に母親がカットできる。
- アレルギー対応食を作ってくれる中華料理店やレストランも。
- 授乳やおむつ替えだけでもOK、と言ってくれた店もあったという。
- 商品の配達をすると答えた「ふかや精肉店」では、コロッケやから揚げなど出来合いで済ませる若い母親が増えていると感じていた。
- 「もっと母親の手料理を食べさせてあげて。材料の調理法などアドバイスできるんだから」
- 若葉ケヤキモールは、高年層向けの店舗構成がメーンだったが、実際は子ども連れの母親がお客に多いことがあ分かり、子供服の店やキッズレストランで軌道修正を図っている最中だった。
- 「懇談を通じて軌道修正が間違っていなかったことを確認でき、細かい改善につながった。今後も店舗運営に生かしていきたい」と、モールを手掛ける「東神開発」。
- 授乳スペースを新たに設けるなど改装を進める。
- 「授乳の時はわざわざ帰っていた。授乳場所が欲しいとママ同士で話していただけに、うれしい。びっくりで感動しました」と、探検隊の一人。
- 今回まとめた「子育て支援 たちかわマップ」は今後、各店に置かれる。
- 取り組みの成果は、立川市女性総合センター「アイム」で開かれる、「夢たちフォーラム★2008」で発表する。
- 関連HP→エルロード商店会 (立川市商店街振興組合連合会ページ)
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◆ 食品・飲食店 >>戻る |
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| 2008.07.10 |
- レトロな街並み再現
- 飲食店集う「立川屋台村パラダイス」
- 「昭和30年代の立川」
- 10月オープン向け準備中
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- 地方中核都市として発展する立川に、かつての「立川らしさ」を取り戻そうと企画された。
- 入居する飲食店は16店舗。
- 「戦後の復興から、1977(昭和52)年に米軍立川基地が日本に返還されるまで、立川はよくも悪くも『夢の国(パラダイス)アメリカ』と混在し発展しました。生きることが精一杯でも、明日への希望と夢に満ちあふれていたあの頃の活気と楽しさを感じられる場にしたい」と、運営会社。
- 屋台村が主にターゲットにするのは、近くの企業に勤める30−40代のサラリーマンやOL。
- 「地元の方が気軽に立ち寄れる場所にしたい。飲食の満足だけではなく、『明日への活力と夢』を持ち帰れる空間を作りたい」と同社。
- 公式HP→立川屋台村パラダイス
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アサヒタウンズ |
| 2008.05.15 |
- 焼きパスタに黄身を絡めて
- PAPERWALLCAFE「焼きナポリタンwitn半熟タマゴ」
- ぐるたま
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- JR立川駅のエキナカ「エキュート立川」にあるブックカフェ※の人気メニュー。
- パスタのケチャップはトマトペーストとセロリ、タマネギ、ニンジンなど野菜類に白ワインを加え、仕込みに2日間かけた、このメニューだけのオリジナル。
- ベーコンも豚バラ肉から店内で仕上げたこだわりよう。
- 「これからの時期、冷えた白ワインやスパークリングワインと一緒にいただくのがお勧めですよ」と調理責任者(44)。
- ※ブックカフェ:
- 店にある本を読んだり買ったりできて、飲食もできる店。
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| 2008.06.01 |
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- 立川駅北口にある「バー潮(うしお)」の主、ジミーさんこと白根さん(81)。
- 米軍将校クラブのウエーターから出発してこの地で60年。
- 立川の戦後史を身をもって知る語り部の一人。
- 24歳で米兵相手のバーを開き大いに稼いだ。
- 基地の全面返還で外国人客はいなくなったが、今もこの街に漂う自由な雰囲気は、「米軍の置き土産」と白根さん。
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| 2008.03.30 |
- 店の奥 そば挽く石臼
- 無庵(むあん)「無山人蕎麦遊膳」(むさんじんそばゆうぜん)
- ぐるたま
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- のれんを見過ごせば店と気づかぬほど、飾り気のないふつうの家。
- 元は店主の自宅。
- 40を過ぎて、人まねでない自分の世界を持ちたいと始めた店は、19年たった今、こんな路地裏に、路地裏でこそ開く花を咲かせる。
- 「蕎麦遊膳」はそば料理と季節の魚、野菜を使ったコース。
- 店奥の石臼で挽いた粗挽きそば、自らの農園で作る無農薬野菜。
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| 2007.12.27 |
- 免疫力高めるβカロチンなど含む
- レタス
- 野菜をいかが
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- キク科で和名はチシャ。
- 茎の切り口から白い汁が出るので乳草と呼ばれていたのが変化した。
- 紀元前から中近東で栽培され、日本には平安時代に中国を経由して伝わった。
- 一般にレタスと呼んでいるのは、結球するクリスプヘッド型玉レタスで、栽培が盛んになったのは戦後。
- クリスプとはパリパリしたという意味。
- 生食が多いが、炒め物など加熱してもおいしい。
- 約95%が水分で低カロリー。
- 免疫力を高め、ガンを防ぐといわれるβカロテンをはじめ、風邪予防のビタミンC、血行を良くして老化を防ぐビタミンE、血圧降下作用のあるカリウムなどを含む。
- 西砂町の川野さん(71)は新種の野菜の栽培に積極的で、45年前、市内で初めてレタスを手がけた。
- 真夏を除いて通年栽培していて、この時期は、寒さに強く、葉が肉厚で光沢があり、歯ざわりの良い「ゲット」をビニールハウスで育てている。
- 川野さんは西砂地区の農家9軒でつくる西砂産直会に所属。
- レタスは、同会の野菜を扱う青果店「九州屋ルミネ立川店」の地場野菜コーナーで販売する。
- 関連HP→株式会社九州屋
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アサヒタウンズ |
| 2007.12.16 |
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- 昼は喫茶、夜はバーになる。
- 店内は神田神保町(千代田区)に50年以上続き、多くの作家や文化人が通う名門喫茶「さぼうる」を参考にした。
- マスターの田中さん(30)が菓子職人から転身した約6年前、修行した場所。
- コーヒーに似合うケーキは田中さんのオリジナル。
- しっとりした食感と甘さ控えめのシフォンケーキとの組み合わせがお勧め。
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| 2007.11.08 |
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- アメリカ、ニューヨークのマンハッタンの街並みをイメージしたフロアに有名ラーメン店7店が軒を連ねる。
- 店舗生き残りをかけて味を競うコンテスト「ラーメン トライアウト」で勝ち残った強者たちの、個性あふれるメニューが魅力。
- 各店でサービスを受けられるクーポンをホームページに掲載している。
- 公式HP→アレアレア
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アサヒタウンズ |
| 2007.10.14 |
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- 農畜産物の展示・即売会や農業体験ができる「東京農林水産フェア」が都農林総合研究センター(立川市富士見町3丁目)と同青梅庁舎(青梅市新町6丁目)である。
- 東京にも多くの農畜産物の特産品がある。
- 「そんな東京を知ってほしい」と毎年10月に開かれている。
- 旧農業試験場だった立川市のセンターでは、小松菜など葉物野菜、パンジーやシクラメンなどの花類、奥多摩特産のヤマメなどを展示即売する。
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| 2007.06.06 |
- 我らパン職人、毎日勝負
- BAKU BAKU
- 障害者が挑戦、責任実感
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- 「ベーカリー&カフェ BAKU BAKU」
- 「福祉を売り物にしない」。
- そんな理念を掲げたパン屋を「立川福祉作業所」が開いた。
- 店の存続はパンの出来にかかっている。
- あえて一般店と同じ土俵で勝負することで、社会へ自立する厳しさ、働く責任の重さを感じてもらうのが狙い。
- 障害者は今のところパン作りに専念し、接客・販売は健常者が担当する。
- 「社会に出れば、障害者だからという理由は通用しないのが現実。接客態度などをしっかり身につけてからと考えています」
- 所長がこのパン屋を立ち上げようと思ったきっかけは、各地の「福祉ショップ」にあるという。
- 格安や無償で提供されたスペースで障害者が作った品物を売る。
- 「関係者が買い支え、長続きしない」といった現場を数多く見聞きしてきたという。
- 「福祉の現場には、割り当てられた仕事を単にこなすだけという空気がある。これではせっかく作った店も伸びず、障害者の自立に役立たない」とパン職人として働く作業所主任。
- 冷凍のパン生地を焼くだけの店も多いが、あえて生地から作る。
- 材料も材料も無添加飼料で育った卵や、フランス産の自然海塩を使う。
- 働くことへの責任や、喜びを感じ取って欲しいからだという。
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| 2006.10.07 |
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- 立川駅近くのビルに東京都酒造組合。2年前、ここに地酒ショップがオープン。
- 多摩地域の蔵元12社を含め、都内すべての蔵元の銘柄が手に入る。
- 組合の前事務局長は多摩の水で醸した酒のおいしさを、できるだけ大勢の人に味わってもらおうと奔走。
- 「東京の水でおいしいお酒ができるの?」都内外から酒造りに対する質問や疑問の声が寄せられる。その度に、「まだまだなあ」と感じるという。
- 公式HP→東京都酒造組合
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| 2006.07.08 |
- 自衛隊の菓子フィーバー
- 「激辛弾」入り「炎の大作戦」TV火付け役、名物に
- 立川駐屯地
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- まんじゅうと団子の詰め合わせで、中に、激辛あんこの菓子をしのばせた。
- 一般の人でも駐屯地の正門受付で、「購入に来た」旨を告げれば、隊員が迎えに来てくれる。
- 駐屯地の広報班長が「テレビで取り上げられた菓子が買えなければ、一般の人たちに申し訳ない」と上層部に掛け合い、駐屯地内での「購入許可」を得たという。
- 民放のテレビ番組で取り上げられたのは4月。直後の5月には、4人の広報班が購入希望者の送迎でてんてこ舞いだったという。
- 発売元(石川県小牧市)によると、「自衛隊スイーツ」は、全国から集まる自衛隊員の帰省みやげ用に企画されたという。
- 「普通のおみやげでは隊員は手に取ってくれない」と営業担当。
- 隊員の宴会の余興に使われるなど、思わぬ評判になり特許を出願。
- 評判が口コミで広がり全国約250の陸・海・空の自衛隊基地や駐屯地のうち、93カ所に置かれているという。
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◇ ウド >>戻る |
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| 2008.03.06 |
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- ウドは東京特産の農産物。
- 立川市は、その「東京うど」の3割以上を生産している。
- ウドは食物繊維が豊富な低カロリー食品として注目を集めている。
- ウドは、ムロと呼ばれる地下の穴蔵で、日を当てずに栽培する。
- 地上で育てた根株をムロの中に植え込むと、真っ白な茎が伸び始め、1月ほどでウドとして出荷ができる。
- 立川市のウド生産が始まったのは戦後。
- 関東ローム層に覆われた武蔵野台地でムロが作りやすかったこと、広い農地があったこと、気象条件が適していたことなどの理由による。
- 最近、力を入れているのが60センチほどの短茎ウドの「立川こまち」。
- 消費者のニーズに合わせて作り出された。
- 80センチほどの従来のウドに対して、少人数の家族で一度に食べきれて、持ち運びが楽という特長がある。
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アサヒタウンズ |
| 2008.03.01 |
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- 中央図書館で、地場野菜のウドをモチーフにしたキャラクターの携帯ストラップをプレゼントしている。
- 市内の名産品を1500円以上購入すると、先着15人にプレゼントされる。
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| 2007.07.01 |
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- 「ウドせん」(1枚94円)は立川ならではのせんべいを作ろうと10年前、店主(65)が1年がかりで作りあげた。
- ウドは小さなサイコロ切りにしたものを、蒸して米に混ぜ込んである。
- こだわりは、36年前の開店当初から継ぎ足しながら使っているタレ。
- ウドせんべいとあられや羊羹が入った「うどセット」(千円から)も好評。
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| 2007.03.15 |
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- 立川市の土産品にふさわしい商品を認定する、立川観光協会主催の審査会。
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| 2007.03.13 |
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- 立川市は都内収穫量の4割を占める。
- だが「東京うど」の統一ブランドで出荷されるため、最大産地の立川をアピールできない。
- 細くて白くて柔らかい−色白女性のイメージから「立川こまち」の名が付いた。
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| 2007.03.08 |
- 食べやすい丈の短いウド
- 立川こまち
- 私が選んだ一品
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- 従来の立川産のウドの丈は90センチほどだったが、立川こまちは約60センチ。
- 五日市街道沿いの旧砂川地区を中心に26軒のウド生産農家がある。
- 地下に掘った室(むろ)と呼ばれる大きな穴で栽培されている。
- 風や光が大敵で、温度管理など栽培の難しい作物とされている。
- 最近は、高級野菜のイメージが高まり、「調理法が分からない」と敬遠されたり、「食べたこともない」という若い人も増えてきた。
- 市、JA、農家が、少人数の家庭で1回で食べきれるサイズで価格も求めやすいものを、と栽培期間を短縮するなどして「立川こまち」を作った。
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アサヒタウンズ |
| 2007.03.04 |
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| 2007.01.22 |
- ウド特産化へ匠の味
- 立川のホテル、市要望でレシピ
- 「家庭で気軽に」料理長腕ふるう
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| ■伝統技術 >>戻る |
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| 2008.05.22 |
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- 錦町で美術刀剣店を開く刀剣研師(とぎし)の苅田さん(59)。
- 平安時代や鎌倉、室町、江戸時代などに作られた日本刀を研磨して、製作当時の姿をよみがえらせている。
- 依頼主は、先祖から継承している子孫や博物館、国内外のコレクターら。
- 土方歳三が実践で使った日本刀「兼定」をはじめ、近藤勇、佐藤彦五郎、井上源三郎ら新選組ゆかりの人々が残した刀を、苅田さんは亡き父親と2代にわたって手入れしてきたことでも知られる。
- 父の代は、戦前、八王子市内に店があったが、空襲に遭い、現在の地に店を移した。
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| ■砂川闘争 >>戻る |
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| 2008.06.14 |
- 暮らし守る運動に焦点
- 戦後の「砂川闘争」など
- 記録映画2本上映会
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- 戦後の米軍基地拡張反対運動の原点としてしられる「砂川闘争」は、生活のために先祖伝来の農地を農民の手に取り戻す闘いでもあった。
- この時期には基地周辺のあちこちで、暮らしを守るための住民運動が起こっている。
- そんな先人たちの思いを記録した映画の上映会がある。
- 企画したのは、柏町4丁目で「ギャラリー茶遊(さゆう)」を営む吉沢エミさん。
- きっかけは、砂川闘争に関わった女性たちの思いに触れたこと。
- なかでも闘争の女性リーダーとして知られた、砂川ちよさん(1993(平成5)年没、享年93歳)の話は今もよく覚えている。
- 闘争が始まった1955(昭和30)年当時、すでに50歳を過ぎていたにもかかわらず、警官隊との衝突で先頭に立った。
- そこまで砂川さんを駆り立てたものは何だったのか。
- 戦時中、空襲で家も人も焼かれ、二度と戦争が起きる社会にしてはならないと痛感したこと。
- そしてもう一つは、基地拡張で農地を奪われれば、農民として生きる糧を失われるという切実な思い。
- しかし、砂川闘争の記録や映像のほとんどは基地拡張予定地の測量を強行しようと、国が警官隊を動員して反対農民と激しい衝突を繰り返した場面が中心。
- 「子育てをしながら留守を守り、抗議行動にも参加した農村の女性の働きなど、闘争を支えた日常の暮らしの部分が見過ごされている」と吉沢さん。
- 生活を守る闘いであるならば当時の暮らしを知ることも必要ではないか。
- 上映会を開く根底には、そんな思いがあるという。
- 上映される映画は2本。
- 基地拡張予定地の農村の暮らしぶりや闘争が全国に広がる様子を描いた「砂川の人々」(1955(昭和30)年)と、「町の政治−勉強するお母さん」(1957(昭和32)年)。
- 「町の政治」は、基地の影響で生活環境や治安悪化に悩む旧国立町の主婦らが取り組んだ町の浄化運動と、その後の政治参加の様子が描かれている。
- 関連HP→ギャラリー茶遊
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| 2008.04.25 |
- 砂川闘争の裁判資料 発掘
- 新事実示す内容も
- 国側の主張など残る
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- これまで知られていたのは米軍立川基地の拡張を阻止した反対農民らの証言記録が中心で、まとまった資料は存在しないとされていた。
- 資料からは、これまで語られることのなかった国側の主張や新事実をうかがわせる内容も読み取れ、関係者の間からは「地元立川市は責任を持って砂川闘争の記録をすべきだ」との声が上がっている。
- 当時は強制収用をめぐり国と地元砂川町が対立していた。
- 「国から来た文書を町は突き返し、住民は畑で燃やしていた。だから記録はない。これが常識だった」と砂川地区に住み、砂川闘争に関する証言集などを出した「砂川を記録する会」の星さん(64)。
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- 「砂川闘争」に新資料
- 米軍基地拡張を地元住民阻止
- 立川の図書館 全体知る手がかりに
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- 「砂川闘争」の全体像を知る手がかりになる資料が、立川市中央図書館に未整理のまま保管されていることが分かった。
- 全国の基地反対運動の原点とされる砂川闘争だが、粘り強い反対運動のまとまった資料は、これまで残っていないとされていた。
- 砂川闘争は、警官隊と反対派が衝突した1956年(昭和31)秋の「流血の砂川」で知られる。
- 米軍に接収された農地の返還を求め、同年に住民が国を訴えた「土地返還訴訟」では、滑走路を畑に戻して無条件返還するという画期的な和解が1976年(昭和51)に成立した。
- 今回見つかったのは主に裁判飼料でファイル約100冊分。
- 米軍が国有地と勘違いして農地を接収し、その後日本政府を通じて改めて住民から借り上げた賃貸借契約書など、これまでほとんど知られていなかった事実の資料も含まれている。
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| 2008.01.31 |
- 砂川闘争跡 活用へ一歩
- 住民が初会合 具体化期待
- 09年度までに「計画」
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- 事態が動いた背景には2003年(平成15)、国が国有地の積極利用に方針転換したことが大きい。
- 以前は暫定的な公共利用以外の利用は認めなかった。
- 加えて砂川町の地元地権者からなる「砂川中央地区まちづくり推進協議会」が2007年(平成19)、条件付きで協議のテーブルにつくことに合意し、初会合につながった。
- 砂川闘争は1955年(昭和30)、旧米軍立川基地の滑走路延長計画に地元農民らが反対して起きた。
- 米軍が計画を断念し、国が中止を決めた1969年(昭和44)に歴史上、終結している。
- だが「跡地の平和利用がかなわなければ、闘争は終わらない」と地権者に一人。
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| 2008.01.29 |
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- 「砂川闘争」
- 1955年(昭和30)5月、アメリカ軍立川基地の滑走路延長計画が示されると、地元の旧砂川町(今の立川市北部)の住民らが「砂川町基地拡張反対同盟」を結成。
- 国の強制測量をめぐり警官隊と衝突を繰り返し、1956年(昭和31)秋に多数の負傷者、逮捕者を出した。
- 地権者約130世帯のうち23世帯は最後まで買収拒否を貫き、米軍は1968年(昭和43)、延長計画を撤回。
- その後横田基地への移転を発表し、1977年(昭和52)、立川基地は全面返還された。
- 「砂川闘争」の舞台となった土地の利用計画を巡り、立川市と地元住民が話し合いのテーブルにつく。
- 闘争から半世紀以上経つが、恒久的な跡地利用に向けた初めての一歩。
- 返還された旧米軍立川基地跡地の北側、立川市砂川町の約20ヘクタール。
- 約15ヘクタールは1955年(昭和30)から約10年間かけて、基地拡張のため国が買い取った国有地。
- 基地拡張に反対して買収を拒んだ地元住民の土地と混在する。
- 反対運動の激化で当時測量が行われなかったため、境界がはっきりしない場所も多い。
- このため基地返還後も、跡地利用されず放置されていた。
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| 2007.05.21 |
- 平和憲法 尊さ見直そう
- 砂川闘争の元立川市議 あす講演
- 立川基地返還30年 改正論議に危機感
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- 旧アメリカ軍立川基地の拡張をめぐり、地元農民らが反対した「砂川闘争」。
- 当時、デモ隊の最前線にいた立川市の元市議会議員、島田さん(68)は、そこで多くを学んだ。
- 恒久平和と戦争放棄をうたう憲法の尊さ、日米安全保障条約との矛盾−。
- 激しい闘争を経て、拡張を断念した立川基地が全面返還されて今年で30年。
- 1957年(昭和32)7月8日、基地拡張のための測量を阻もうとしたデモ隊が立ち入り禁止の柵を壊し、基地内に入ったところで警官隊と衝突。
- 後日7人が逮捕、起訴された。
- 「砂川事件」として歴史に刻まれたその日、19歳の誕生日を迎えた島田さんは腕を組んだデモ隊の最前列にいた。
- 警官隊と装甲車を前に恐怖をこらえていた。
- 戦争の惨禍を教訓に、憲法9条は武力行使を放棄し、戦力の不保持を明記した。
- だが敗戦の5年後に起きた朝鮮戦争で、米軍は立川基地などを出撃拠点にした。
- 「日本は再び戦争に加担しているじゃないか」
- 米軍の駐留が1951年(昭和26)に締結した日米安全保障条約によるものと知り、憲法との矛盾を感じた。
- そんな折、兵庫県出身の島田さんは「砂川闘争」と呼ばれた一連の基地反対闘争を知った。
- 東京の大学に進学し、闘争に参加。
- そのまま立川に移り住み、27歳の時から約30年間、市議として立川基地の撤退と跡地の平和利用を訴え続けた。
- 幼少だった大戦中、焼夷弾に焼かれる街中を、母親の手を握って逃げ延びた。
- 戦争をしない、武力は持たないと約束してくれた憲法のありがたさが身にしみている。
- 「砂川闘争の頃は、平和の重みを誰もが実感していた。今は憲法に込められた平和への思いが人々から薄らいでいないか」と話す。
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| 2007.05.02 |
- かつて立川は基地の街だった
- 砂川闘争の記憶、DVDに
- 全面返還から30年
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- 立川市と昭島市に広がる旧アメリカ軍立川基地。跡地には国営昭和記念公園や高層ビル群などの開発が進む。
- かつて同基地の拡張計画に反対した「砂川闘争」を風化させまいと、住民らは活動を続ける。
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| ■自衛隊官舎ビラ配り有罪判決 >>戻る |
| 2008.04.12-24 |
→別ウィンドウ |
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| ■エキュート立川>>戻る 公式HP→エキュート立川 |
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| 2008.05.28 |
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- 巨大な水槽「みなもひろば」。
- 自然豊かな多摩地域をイメージした8種類の川魚や貝類などが泳いでいる。
- 毎日午後3時になると、小さな子どもや親子連れが大勢集まってくる。
- メダカやエビたちが一生懸命エサを食べる「もぐもぐタイム」。
- 4月までは閉店後にひっそり、エサやりをしていた。
- 今ではちょっとした人気イベントに。
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| 2008.05.26 |
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- エキナカ初となる診療所「ナビタスクリニック立川」がオープンする。
- 内科と小児科を中心に、女性に特化した「女性内科」、皮膚科、血液内科、海外渡航時の予防接種などを担う「トラベルクリニック」の計6診療科を設ける。
- 通勤・通学途中に利用できるよう、平日は午後9時まで受け付ける。
- 公式HP→ナビタスクリニック立川
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| 2008.01.11 |
- エキナカ+日本酒=好調
- カラフル包装・少量瓶で軽〜く
- 若い女性狙い販売会
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- 東京都酒造組合(立川市)が若い女性に狙いを絞った日本酒の販売会を開いている(期間限定)。
- カラフルな風呂敷や手ぬぐい、和紙でラッピングし、「かわいくて、おしゃれな飲み物」をアピールする。
- 重い一升瓶は置かず、手軽な少量瓶ばかりをそろえた。
- 「簡単に高価な大吟醸が売れる。日本酒が売れないと、日頃悩んでいたのがウソのよう」と都酒造組合の事務局長(58)。
- 雑貨やスイーツの店が立ち並ぶエキナカという場所柄もあり、酒を買った7、8割は女性だという。
- 日本酒の全国出荷量は減少の一途。
- 20年前の半分にまで落ち込んでいる。
- だが最近は、若い女性に日本酒を見直す動きが広がっている。
- 日本酒造組合中央会(港区)が実施した調査では、30代の有職女性が日本酒に高い関心を持っているとの傾向がわかった。
- 中央会は、美容効果やパーティーの演出などを女性向け講座で提案。
- 近頃はシャンパンのような発泡タイプやフルーティーな香りがする日本酒まで登場している。
- 「可愛いと思って手に取ったらお酒だった、という販売方法もありだと思う。お酒に触れる機会を増やすことが大事。その次に味や銘柄で楽しんで欲しい」と都酒造組合事務局長。
- 関連HP→東京都酒造組合
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| 2007.10.06 |
- JR立川駅構内 エキュート開店
- 周辺百貨店、改装相次ぐ
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- エキュート立川、全85店舗のうち改札の外に7割近くの店を配したのは既存の大宮、品川にはない特徴。
- 駅利用者だけでなく、ベッドタウンの住民の利用も見込めるため。
- 周辺の駅ビルや百貨店もエキュートを意識するかのように店舗改装や新ブースをオープン。
- 既存店には新たな競合相手の登場となる。
- 若者向け衣料雑貨やお菓子店が多いエキュートを意識してか、駅ビルのグランデュオ立川は衣料品や装飾品コーナーを、ルミネ立川店は高級食材スーパーを新設するなど食料品コーナーをそれぞれ改装した。
- 伊勢丹は月替わりのスイーツショップを新たにオープン。
- 高島屋もスイーツや弁当、総菜など、全国の名品を期間限定で販売している。
- 関連HP→
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| 2007.10.03 |
- 一人でもゆったり85店
- 駅ナカ
- JR東日本
- エキュート立川、5日オープン
- 改札外で買い物も
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- 少量買いができる食料品店など、「個人」に焦点を当てた85店は、既存の大宮、品川を上回る最大規模。
- 今までのエキナカと同じ改札内だけでなく、改札外にも店があるのが大きな特徴。
- 西改札内に食品店を中心に24店が並ぶ。
- 一方の改札外店舗は、28の食品店と衣料や雑貨など30店。
- これに英会話教室や歯科医院、エキナカ初の保育所を合わせると61店。
- 食品店は少量販売の品揃えが目立つ。
- 鮮魚コーナーを構える「中島水産」は2〜5貫の持ち帰りすしや2、3切れ単位の刺し身の販売に力を入れる。
- 「多品種を少量ずつ食べる、個人のライフスタイルに合わせた初の試み」と取締役。
- このほか「自分へのご褒美」をコンセプトにした雑貨店など、「個人」に焦点を当てた商品構成が多い。
- 買った本を片手にゆっくり飲食を楽しむブックカフェ「PAPER WALL CAFE」も改札内に登場。
- 「せわしない駅構内に、あえてゆったりした空間を持ち込んだ。価値の変化を楽しむ狙いが支持されるかどうか」と手がけた地元・オリオン書房の専務。
- 丸善の文具店は、100円の消しゴムから70万円の時計まで揃える。
- 「お客様と対話しながら商品選びをお手伝いする。ゆっくり買い物が楽しめる店を目指したい」と店長。
- 運営会社の鎌田由美子社長に聞く
- 「エキナカ」施設、エキュート立川は、大宮、品川に続く三つ目。
- 開発・運営するJR東日本ステーションリテイリングの鎌田由美子社長は、2001年(平成13)から立川駅や大宮駅の改装に関わり、大宮の開業を同社営業部長として主導し、品川では社長として陣頭指揮を執った。
- 近隣百貨店や地元商店との関係は
- 大宮や品川のエキュートをやってみて思うのは、「新しいマーケットだったのかもしれない」ということ。
- 例えば、こだわりの大福1個とか、焼き鳥2本だけ、とかを買えるところはあまりなかった。
- エキュートはそういうニーズに応えるところ。
- 改札内にはアクの強い、クセのある店舗も出した。
- あまりバッティングはしないと考えている。
- 先行エキュートとの違いは
- 街に個性があるように、駅もそれぞれであるべきだと思っている。
- 立川は自然の豊かさを感じられるような空間にしたかった。
- 吹き抜けやエスカレーター上部に植栽を配した。
- 4階の保育園には芝生の庭がある。
- どんな施設を目指すのか
- 駅を変えるための会社だと思っている。
- 案内表示を見やすいように柱に広告を出さなかったり、各店舗の看板がせり出さないようにおさえたりと、まずは駅の改善を第一に考えた。
- そうした中で、「エキュートがあるから立川が好きになった」と言ってもらえる存在になれたら、と思う。
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| 2007.07.15 |
- 「駅ナカ」部分開業へ
- 10月5日
- 約90店舗入居予定
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- 建設中の駅ナカ「エキュート立川」の店舗部分を先行してオープンすると発表。
- 4階に入る予定の診療所や別棟のホテルなど残りの部分は2008年(平成20)春の完成を目指す。
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| ■旧立川飛行場 >>戻る |
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| 2007.05.31 |
- 国大綱案受け今の姿に
- 跡地利用
- 飛行場があった街(下)
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- 立川飛行場跡地には広域防災基地と自衛隊立川駐屯地、緑が広がる国営昭和記念公園、オフィス・商業ビルが立ち並ぶ地区に変わった。
- 跡地の利用計画が現在の姿に固まるまでには、地元と国との間で激しい攻防があった。
- 全面返還が決まった1973年(昭和48)から4年にわたり東京都、立川市、昭島市の地元3者は、話し合いを重ねた。
- 「国際会議場を誘致して、国際的な街にしようという話もあったんだよ。インターナショナル・フレンドシップ・シティー構想なんて言ってね」と、地元民間人でつくる「基地跡地問題特別委員会」の委員長をしていた懐石料理「無門庵」の小林さん(65)。
- 1977年(昭和52)に全面返還されても、その後1年余り協議が続く。
- 最も地元の反発を呼んだのが、陸上自衛隊飛行基地の存続だった。
- 国は跡地を大規模公園、広域防災基地、業務市街地に3分割する内容の大綱案を示した。
- そこに飛行基地の存続が盛り込まれていた。
- 立川市は財源面などから実現性の高い国の大綱案を取る。
- 自衛隊の飛行基地を受け入れる代わりに、滑走路の位置や長さ、訓練運用などに条件を付けた。
- 「今振り返ると、国の案を受け入れたからこそ、立派な国営公園ができ、今の立川があるんだと思う」と、当時1年生議員だった元立川市議会議員(76)。
- 戦前日本の航空機製造の一翼を担った旧立川飛行機(前身は石川島飛行機製作所)は、不動産業が中心の「立飛企業」などに生まれ変わった。
- その倉庫群の大半は、戦前の飛行機製造工場の建物。
- アメリカ軍に工場を接収され、会社存続を模索する中で、基地返還直前にアメリカ軍から返ってきた建物を活用しようと、賃貸倉庫業を始めた。
- 「壊してしまうのは簡単ですが、立川のために長い目で見たら、残すことが大切だと考えています」と社長(72)。
- 基地返還から30年。
- 立川、昭島市にまたがる460万平方メートルの跡地のうち、まだ利用計画が決まっていない「国有留保地」が約100万平方メートルもある。
- 昭島市側の国有留保地内にボイラーの煙突や石造りの建物跡が見られるのみで、当時の建物はほとんど残っていない。
- 飛行場東側に最後まで残っていた格納庫と発動機講堂建物は、1999年(平成11)頃までに、取り壊された。
- 1922年(大正11)の立川飛行場完成時に建てられた発動機講堂は、鉄骨を複雑に組み上げて柱のない空間を作るという、当時としては最高の建築技術が用いられていた。
- 建物を残そうと多くの市民が働きかけたが、財政上の理由から取り壊された。
- 跡地にできた広域防災基地では、陸上自衛隊が災害救援を中心に活動。
- 国営昭和記念公園は、年間300万人以上が訪れる立川の顔となった。
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| 2007.05.30 |
- 戦争で軍専用化、標的に
- 空襲
- 飛行場があった街(中)
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- 「神風」号が亜欧連絡飛行のスピード世界記録を達成してから、わずか3カ月後の1937年(昭和12)7月、日中戦争が始まる。
- 世界に秀でた機体と乗組員は、軍に徴用されるようになる。
- 偉業を達成した飯沼飛行士、塚越機関士の2人は、朝日新聞社航空部に所属したまま、陸軍に徴用され、同僚らと共に神風号で偵察飛行を行った。
- 「今日は海軍、明日は陸軍と、毎日のように軍服を着分けていました。時々間違えて、あわてて着替えていたこともありました」と塚越機関士の長男(76)。
- 陸軍と海軍に代わる代わる徴用され、自宅から出かける、父の出勤風景を覚えている。
- 参考→飯沼飛行士記念館 (長野県安曇野市)
- 立川飛行場が陸軍専用となり、どんどん拡張していった飛行場の敷地には、軍の航空研究所ができ、立ち入りは厳しく制限されるようになる。
- 当時の花形産業だった航空機製造にあこがれ、和田さん(84)は東京府立航空高等工業学校の発動機工学科に入学。
- 1944年(昭和19)、学徒動員で日立航空機立川発動機製作所に配属された。
- そこで約600人の旧制中学の学生たちと、1日の休みもなく飛行機のエンジンを作り続けた。
- 工場は立川飛行場の北方、現在の東大和市にあった。
- 部品を1日で組み上げて敷地内の試験場に回す。
- 24時間動けば「合格」で、すぐに荷造りして発送した。
- 作っていたエンジンは、特攻機に載せると聞かされたという。
- 「ようは片道だけ動けばいいということです。ひどい話ですが・・・」。
- 1945年(昭和20)2月初め、工場が初めてB29の空襲を受けた。
- 参考→旧日立航空機変電所(東京都東大和市)
- 飛行場は1927年(昭和2)頃から順次拡大し始める。
- 1937年(昭和12)に日中戦争が始まるのと前後し、軍の意向で一気に拡張が進み、第2次大戦末期には当初の約3倍に広さとなった。
- 主に北と西の方向に広がり、砂川周辺の農民たちを中心に土地が接収された。
- 代わりに飛行機工場や発電施設などができ、立川は急速に軍都へと変わっていく。
- 敗戦後まもなく、米軍に接収された立川飛行場は「立川基地」と名前を変え、飛行場周辺の町並みは米軍兵相手の歓楽街へと一変する。
- 1955年(昭和30)、米軍が滑走路を延長するため砂川の農地を接収しようとしたことに地元農民が反発し、「砂川闘争」が起こる。
- 反基地闘争として知られ、全国から支援の学生や労組員が集まった。
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| 2007.05.29 |
- 僕らの原っぱ 名機飛来
- 先進技術の舞台
- 飛行場があった街(上)
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- 第一次大戦で航空機を重要視するようになった陸軍は、東京近郊に新しい空港の候補地を探した。
- いくつかの候補地の中から、広くて平らな土地があり鉄道があったこと、予定地内に立ち退きが必要な民家が少なかったことなどが決め手となって、立川が選ばれる。
- 1922年(大正11)3月の着工からわずか半年で完成。
- 翌1923年(大正12)、立川村は立川町になる。
- 関連施設とともに多くの関係者が立川に移り住んだため人口が急増。
- 1940年(昭和15)には東京市、八王子市に次ぐ東京で3番目の市、立川市となった。
- 1933年(昭和8)までは民間と共用だった。
- 昭和初期には数多くの外国機も飛来。
- 世界一周飛行を成功させたフランスのナンジュッセ・コリー号(1928年(昭和3))、女性単独世界一周飛行のイギリスのブルーバード号(1930年(昭和5))、世界初の北太平洋無着陸横断飛行を成し遂げたアメリカのミス・ビードル号(1931年(昭和6))・・・。
- ミス・ビードル号は、乗組員だけでは横断飛行に備えた機の整備ができず、朝日新聞社の航空部員が手伝ったという。
- 整備技術を信頼され、記録を目指す飛行の経由地に利用された。
- 国際飛行場「TACHIKAWA」の名は世界に知られていた。
- 1937年(昭和12)、朝日新聞社機「神風」号が94時間17分56秒の亜欧連絡飛行スピード世界新記録を打ち立てる。
- 出発式は羽田飛行場で行われたが、記録飛行の出発地は立川。
- 当時の羽田飛行場は滑走路が短く、十分な燃料を積んで飛び立てなかった。
- ヨーロッパ各国が挑戦し失敗し続けた記録を、国産機である神風号が樹立。
- 「航空日本」を印象づける歴史的快挙となった。
- 参考→飯沼飛行士記念館 (長野県安曇野市)
- 「飛行機が南に飛べば春が来て 北に飛べば秋が来て 農耕も 年中行事も ときには飛行場がサイクルであった」(『立川飛行場物語』から)
- 飛行場は、立川の人たちにとって生活の中心であり、誇りであった。
- 「立川飛行場」が1922年(大正11)に開設されて85年、戦後アメリカ軍に接収されて基地となった後、日本へ返還された1977年(昭和52)から30年。
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| 2007.04.16 |
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- 「神風号・亜欧連絡飛行記念・紙ヒコーキ大会」が富士見町2丁目の国有地内で開かれた。
- 朝日新聞社機「神風号」が70年前の1937年(昭和12)に東京−ロンドン間を94時間17分56秒の世界最速記録で飛行したのを記念した企画。
- NPO立川航空宇宙博物館主催。
- 紙飛行機の組み立ては、武蔵野ペーパープレーンクラブのメンバーが指導。
- 会場には神風号の資料や、実物の4分の1の大きさの模型も展示された。
- 神風号が飛び立ったかつての立川飛行場を知るお年寄りも来場し、懐かしそうに資料などを見ていた。
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| 2004.08.01 |
- 立川に残せ、大空の記憶
- 航空資料館の夢に熱
- 地元のグループ
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- 立川市にあった旧立川飛行場が姿を消して25年余。
- 歴史を刻んだ資料や機体などを集めて後世に伝えようと。
- 「以前、飛行場内にあった旧発動機講堂(飛行機格納庫)の保存運動にも取り組んだが、結局、壊されてしまった。
- いま残さないと、立川飛行場の歴史と存在意義のすべてが消えてしまう」とNPO法人立川航空宇宙博物館の理事。
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| ■国営昭和記念公園 >>戻る |
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| 2008.06.19 |
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- 鉢の樹木から大自然の風景を感じとる日本古来の伝統芸術、盆栽。
- 命ある植物を素材に、時間と手間をかけてつくることから、完成することのない「生きた芸術」とも呼ばれる。
- 昭和記念公園に全国初の国営盆栽展示施設「盆栽苑」が開苑したのは2004(平成16)年。
- 推定樹齢250年の真柏(しんぱく=ミヤマビャクシン)をはじめ、日本盆栽協会の国風盆栽展に出品された芸術的価値の高い作品を中心に、全国の愛好家から寄贈された69鉢を所蔵。
- 常時55鉢を展示する。
- 来苑者の9割は女性。
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アサヒタウンズ |
| 2008.05.02 |
ポピー30万本 風にゆらゆら
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- アイスランドポピーが見頃。
- 公園中央部の「原っぱ西花畑」には、約30万本のポピーが薫風に揺れる。
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| 2008.04.07 |
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- 今年は開園25周年を迎えることから、さらなる入園者増を狙った試行措置。
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| 2008.04.01 |
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- 2006年度(平成18)より約9万7千人増えたという。
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| 2008.03.28 |
- さあ花見 「食」商戦熱く
- 3レストランが大幅改装
- 初の花見コンシェルジュ
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- 都内有数の桜の名所、国営昭和記念公園に来る人たちをターゲットにした「食」商戦が活発化している。
- 園内3カ所のレストランが初の大幅改装をして一斉オープン。
- 焼きたてパンが食べ放題、屋外で何も持たずにバーベキュー、ファミリーレストランと、各店の方向性を明確にした。
- 公園まで徒歩5分(*桜のある所まではかなり歩く)という地の利にある高島屋立川店には、今年初となる「花見コンシェルジュ」が登場。
- 園内の桜の開花状況やお勧めの場所を案内したり、家族構成や予算に合わせた弁当、スイーツ選びをアドバイスしたりする。
- 過去に同店で弁当などを買っていた花見客は、昼間の桜をゆっくり楽しむ傾向があったといい、「女性同士やママ友達、デジカメ片手の熟年夫婦などが主なターゲット」
- 関連HP→高島屋
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| 2008.03.26 |
- 花見の供に高級弁当「園弁」
- 昭和記念公園、老舗料理店と協力、発売へ
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- 期間限定で、地元の老舗懐石料理店「無門庵」が弁当を売り出す。
- 鉄道の「駅弁」、空港の「空弁」にあやかり公園の「園弁(そのべん)」と名付けた。
- 春の花畑をイメージし、多摩地域で採れた旬の野菜をふんだんに使用した和食中心の盛り合わせ。
- 1日50個限定で要予約。
- 「彩(いろどり)」弁当(3千円)
- ウナギのちらし寿司、合鴨ロース、葉の花や立川産ウドの煮物
- 「若筍弁当」(21OO円)
- タケノコご飯、ウドと木の芽の味噌あえ、レンコンはさみ揚げなど。
- 公式HP→むもん
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| 2008.03.20 |
春の訪れにニッコリ
- ミツマタ咲く
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- 樹皮が和紙の原料になるミツマタの花。
- 黄色い花びらの中で雄しべがほほえんでいるように見える。
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| 2008.03.06 |
春を告げる可憐で多彩な花々
- 雪割草展示会
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- 春の雪解けとともに姿を現す早春の花「雪割草」。
- 花の形や色から、葉の形まで様々なものが見られ、最近は関東地方などでも栽培法が普及し、人気が急上昇。
- 「国際雪割草協会関東支部」主催。
- 山野草の一種で、初心者でも種から育てて開花を楽しんだり、交配してオリジナルの花作りを楽しんだりすることができる。
- 最近では多くの愛好家が数えきれないほどの種類を生み出し、花の変異が多彩になっている。
- もっとも種を植えて花が咲くまでに3年、さらにほかの花と交配させて新しい種を生み出すまでに、しっかりした管理と時間は欠かせない。
- 雪国の花のせいか、暖かな関東地方などでは知らない人も多い。
- 関連HP→International Hepatica Society
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アサヒタウンズ |
| 2008.02.17 |
イカの足?盆栽人気
- 「仏手柑」展示
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- 日本庭園で、垂れ下がったイカの足のようなオレンジ色の実をつけた盆栽が展示されている。
- 「仏手柑(ぶっしゅかん)」という。
- お釈迦様の生まれたインド原産のミカンの一種。
- 仏の手に似ていることから名付けられた。
- 日本庭園には約70点の盆栽があり、来場者の8割近くが女性であることから、展示用に色鮮やかな盆栽を探した。
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| 2008.01.13 |
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- ウルトラマンの必殺技で怪獣を倒して遊ぼうというイベントがあった。
- NPO「立川こども劇場」主催。
- パルテノン多摩(多摩市)で上演される子ども向け演劇「おとうさんはウルトラマン」のプレイベントとっして企画された。
- 3〜11歳の子どもたち約10人が、段ボールの輪っかにビニールテープを巻き、必殺技「ウルトラスラッシュ」を製作。
- 輪っかを投げて、段ボールのバルタン星人やジャミラなどを次々に倒した。
- この日の怪獣たちは、劇場のディスプレーにも使われる。
- 劇は父親が平和を守るのに忙しいウルトラマンという設定。
- 久々の休みに子どもと遊園地に向かったその時、街に怪獣が出現。
- 子どもとの約束か、正義の味方か究極の選択を迫られるストーリー。
- 関連HP→立川こども劇場
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| 2007.12.01 |
黄色のじゅうたん散策
- 昭和記念公園イチョウ並木
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- 長さ約300メートルのイチョウ並木も木々の葉がほとんど落ち、人々が黄土色のじゅうたんの上を静かに散策していた。
- 98本のイチョウは米軍立川基地時代からある数少ないもの。
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| 2007.11.11 |
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- 「秋の楽市」に中東バーレーンの大使館が「アラビア書道」で来訪者の名前を書くブースを出している。
- 同国を身近に感じてほしいと初参加したが、雨で客の入りはさっぱり。
- 「美しいアラビア書道の文字をどうぞ」と呼びかけている。
- 10月の港区民まつりでは100人以上が訪れ、「結婚式場の案内板に使いたい」との依頼もあったという。
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| 2007.10.18 |
- 『昭和記念公園の四季』出版 昭島市の風景写真家・瀬戸さん
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- 10年間に1000枚を撮影。
- 春のアイスランドポピーや菜の花、初夏のシャーレポピー、秋のコスモス。
- 一方で、あまり知られていないシロツメグサ、半夏生(はんげしょう)、ミソハギ、ホタルブクロ、シモバシラなども紹介して、昭和記念公園の多様さを表現している。
- 「東京の公園は樹木中心。昭和記念公園の魅力は広々とした花畑と見事な色彩感覚です。チューリップ畑では原色の美しさが表現されている。秋のイチョウ並木、プラタナス、ケヤキ、モミジの紅葉も捨てがたい」と瀬戸さん。
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アサヒタウンズ |
| 2007.10.08 |
春と勘違い?サクラサク
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- 園内西側の残堀川沿いにあるコヒガンザクラが咲いている。
- 例年はソメイヨシノが咲く前の3月下旬から4月初旬にかけて咲く。
- 2001年(平成13)に植えられて以降、初めて開花を確認した。
- 残堀川にかかる「やまぶき橋」北側に植えられてコヒガンザクラ13本のうち5本が花をつけた。
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| 2007.10.06 |
秋桜 丘を染める
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- 「コスモスの丘」が、ピンク色に色づき始めた。
- 五分咲きのコスモス80万本が風に揺れる。
- 見頃は今月10日ごろから。
- 中旬からは、「みんなの原っぱ」南西の花畑でも黄色いコスモス約30万本が咲く。
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| 2007.05.09 |
- GWに38万人、過去最高の人手
- 人気です、昭和記念公園
- 車・トイレ・長蛇の列
- 受け入れ態勢、課題
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- 無料入園日だった4日には、約3千台収容の駐車場が午前中までに満車になった。
- 周辺の道路には駐車待ちの車が約1.5キロの列を作り、入場まで最大約2時間かかったという。
- 園内ではトイレやレストランにも長い行列ができた。
- 約160ヘクタールある広大な園内を1周する数少ない乗り物「パークトレイン」やレンタサイクルに乗れないなど、利用者からの苦情も相次いだ。
- 公園を管理する国土交通省の外郭団体「公園緑地管理財団」によると、入園者の約半数が車で来園する。
- 公共交通機関の利用を呼びかけているが、効果的な対策は打ち出せていないのが現状。
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| 2007.05.06 |
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- 「盆栽苑」で松やモミジ、イチョウ、ケヤキなどの盆栽が一斉に緑や赤の新芽を芽吹かせている。
- 全国の愛好家から寄贈を受けた61鉢の盆栽が展示の中心で、国内最高峰の「国風盆栽展」に出品されるような逸品ぞろい。
- 盆栽苑は2004年(平成16)に国内で初めての国営盆栽展示施設として開かれた。
- 苑内で一番古い盆栽は樹齢300年のエゾマツ。
- 昭和初期に国後島で採取されたもので、最大の特徴は「サバ幹」と呼ばれる幹の木質部が見える部分。
- 盆栽の世界で「サバ幹」が認められるようになったのは、このエゾマツが最初と言われ、1934年(昭和9)の第1回国風盆栽展に出品され、注目を集めたという。
- 苑内には「一鉢でフェラーリ(約2千万円)が買える」ほど貴重な盆栽もある。
- 鉢の中に植物をバランス良く配置し自然を表現する手法は日本独自のもので「BONSAI」は世界共通語にもなっている。
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| 2007.05.05 |
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- 1日あたりの過去最高。
- 無地のこいのぼりに公募した子どもと大人が筆で絵を。
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| 2007.04.29 |
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- チューリップの花絵「フラワーカーペット」を募集して参加した69人が制作。
- 縦6メートル、横8メートルの絵。
- 新潟県新発田市の農家で、球根栽培のために摘み取って捨ててしまう花を利用。
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| 2007.04.26 |
たくさんのポピーや小花たち
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- フラワーフェスティバルを開催中。
- GWは、ネモフィラ、リナリアなど小花数十万本が見頃になりそう。
- オレンジや黄色のアイスランドポピー10万株がすでに満開。
- 赤やピンク系のシャーレーポピー20万本も徐々に咲き始めそう。
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アサヒタウンズ |
| 2007.04.23 |
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| 2007.04.17 |
華やかさ一面 チューリップ
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- チューリップガーデンで、360種類20万球のチューリップと100種類25万球のムスカリやヒヤシンスなどが見頃を迎えた。
- 世界的に有名なオランダのキューケンホフ公園をモデルに花の配置などを考え、昨年からはチューリップ以外の花も織り交ぜて長く楽しめるよう工夫してきた。
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| 2007.04.05 |
- 人の痛み知ってこそ
- 昭和記念公園
- 春せんきょの気分
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| 2007.03.25 |
見頃、もうすぐ
- 昭和記念公園で桜開花
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