写真11:多宝塔(埼玉県文化財)

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写真121::売店の「五百羅漢」への入口

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写真2

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写真13:五百羅漢 >>拡大

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写真1

■喜多院の境内

写真6:「書院」(国重要文化財)から庭を眺める

写真5:「客殿」の内廊下

写真2:山門(国重要文化財)

写真10 (360度) >>拡大

写真3:「客殿」(国重要文化財)

写真4:「客殿」の外廊下

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喜多院
きたいん
(一部・国重要文化財)
埼玉県川越市小仙波町(こせんばまち)1丁目
グーグルアース座標=N35 55 4.17 E139 29 19.84
撮影日:P3〜7=2005/9/30 他=08/10/18
写真1:本堂の慈恵堂(じえどう)(埼玉県文化財)
概要
  • 川越大師として親しまれている。
  • 江戸城から移築された、三代将軍徳川家光春日局ゆかりの建物がある。
  • 鎌倉時代に発展した関東の天台宗の総本山だった無量寿寺。
    • しかし無量寿寺は戦火で焼失し、荒廃する。
  • 江戸時代、1611年(慶長17)、天海大僧正により無量寿寺の下部寺院だった北院が無量寿寺を復興し、名前を変えて喜多院になった。
  • 1638年(寛永15)、川越大火により、川越城の大部分と城下町の中心部分を焼失する。
    • 喜多院もほとんどの建物を焼失する。
  • この時天海は上野の寛永寺(東京都台東区)に住んでいた。
    • 現在の寛永寺の中堂は大火後に再建された喜多院大堂(おおどう)を明治時代に移築したもの。
  • 現存する喜多院の建物のほとんどは、川越大火の後に再建されたもの。
    • 客殿、書院、庫裏江戸城から譲り受け移築されたもの。
      • 客殿:
        • 三代将軍の「徳川家光誕生の間」と呼ばれている部屋がある。
      • 書院:
        • 春日局化粧の間」と呼ばれている部屋がある。
    • 大火の翌年にはほぼ再建された。
  • 明治時代に、喜多院は江戸時代に幕府からもらった土地を没収されたため衰退したが、戦後になって復興された。
  • 五百羅漢
    • 約50年間かかって1825年(文政8)に完成した500体以上の羅漢像。
  • 客殿、書院、庫裏、慈恵堂、五百羅漢
  • 拝観時間:8:50AM-4:00PM(季節、日祝でこれより終了遅くなる)
  • 休み:年末年始、指定日(HPで要確認)
  • 拝観料:400円
喜多院に関する記事喜多院の記事
公式HP
喜多院

■埼玉県川越市喜多院の情報、地図、概要

■記念スタンプ

写真9:慈恵堂南側から >>拡大

写真8:慈恵堂北側から (360度) >>拡大

写真7:「慈恵堂」への渡り廊下