- 石神井川をせき止めてできた、ボートが浮かぶ石神井池と湧水の三宝寺池(さんぽうじいけ)の2つの池の公園
- 三宝池には国の天然記念物の沼沢植物群落がある
- 池の周辺に石神井城址がある
- 城は鎌倉時代の後期に築かれたと考えられている
- 石神井城の城主である豊島(としま)氏は、平安時代末期から室町時代中期まで、現在の台東区、文京区、豊島区、北区、荒川区、板橋区、足立区、練馬区などを勢力範囲としていた
- 照姫の悲話
- 1477(文明9)年に豊島泰径(やすつね)が太田道灌との戦いに破れ、三宝池に入水した
- それを見た娘(または泰径の弟の妻の説も)である照姫が後を追って入水したという悲話が伝わっている
- この逸話から毎年4月下旬の日曜日に「照姫まつり」が行われている
- 公園内の城址の説明板とは合わない気が
- 「太田道灌に攻められ、石神井城は落城し、廃城となる」
- 「最後の城主、豊島泰径は平塚城(現・北区)に敗走、翌年、再び太田道灌に攻められ小机城(現・横浜市)に敗走、その後は不明」と書かれている
- ”太田道灌に攻められ、三宝池に入水した”という逸話はこれと一致しないと思うのだが
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