長野県安曇野市の名所別記事
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※無記入は信濃毎日新聞
梓川サービスエリア(長野自動車道・上り) >>戻る
2008.06.03
  • レストラン 食材使い回し
  • 薬味用ワサビ、6年前から
市民タイムス
  • 薬味用ワサビ芋 別の客にも提供
  • 運営の松本電鉄 謝罪
2008.06.02
  • わさび芋使い回し
  • サービスエリア食堂
  • そばの薬味、6年前から
  • 松本電気鉄道(通称:松電/松本電鉄)は長野自動車道上り線(安曇野市)梓川サービスエリアにある同社運営の「レストラン梓川」で、ざるそばなどの薬味用のわさび芋を使い回していたと発表した。
    • 6年以上前から再使用していたといい、社長は「もったいないという感覚が優先し、安全衛生面での自覚が欠けていた」と謝罪。
    • 常連の客が、食事のたびにわさび芋の長さが違うのに気付き、店側に指摘。
    • わさび芋の長さは10センチ弱で、客が5センチ程度残した場合、使い回していたという。
時事通信
2008.04.19
  • 地元食材生かした新メニューを販売
  • 梓川SA内のレストラン
2007.11.25
  • 梓川SAでリンゴ宣伝
  • 安曇野産2種 消費拡大へ
  • 農産物の消費拡大や生産振興などに取り組んでいる松本園芸推進協議会は、長野自動車道上り線(安曇野市)の梓川サービスエリアでリンゴの試食・即売会を開いた。
    • 「ふじ」と「シナノゴールド」の2種類をPR。
    • 「シナノゴールド」は長野県独自に交配して育成した品種で、果汁が多く甘みが強いことをアピールした。
市民タイムス
2007.02.23
  • 梓川SAに「スマートIC」
  • 5月にも検討組織
  • 安曇野市と松本市
  • 松本市と安曇野市は、梓川サービスエリアにETC専用のスマートインターチェンジを設置するための検討組織を設ける。
    • 「スマートインターチェンジができれば、近くにあるあづみ野産業団地利用者らが便利になる」と安曇野市建設課。
    • 「松本インター周辺道路の渋滞緩和につながる」と松本市幹線道路課。
信濃毎日新聞
安曇野アートヒルズミュージアム >>戻る
2006.08.08
  • ガラスの花畑広がる
  • 「花とガラスのきらめき☆フェスタ」
    • 庭園にガラスの花や風鈴を飾るほか、館内のガラス製品に生花を生けるなどして夏の涼を演出している。
    • 「花とガラスと音のコラボレーション」と題した企画では、ミュージアムの北側に広がる庭園にバラやチューリップ、ダリアなどを模した色とりどりのガラスの花千本を植え、ガラスの花畑をつくり出している。
    • 庭園の水辺周辺には風鈴とウインドベル計約70個ほどがつるされ、涼しげな音を奏でている。
    • 園内に隠したガラス製の四つ葉のクローバーを探すイベントも行われ、見つけた子供にはプレゼントが贈られる。
市民タイムス
安曇野絵本館 >>戻る
2008.05.30
  • 大人が楽しめる空間
  • 私のお気に入りスポット
  • 入り口近くに、未就学児と20人以上の団体客の入場を断る看板があり、びっくりしました。
    • 大人が絵本の1枚1枚の原画と、しっかりと向き合える空間になっていたんです。
    • 場内全体が落ち着いた雰囲気で、印刷物では分かりにくくなってしまうだろう、作家が絵に施した細かな表現までが、じっくりと味わえました。
    • 入館料に飲み物代が含まれており、観覧を終えて森の中のテラスで、お茶などを飲むんです。
    • とてもすがすがしい気分になりますよ。
  • 安曇野絵本館は「絵本の絵を子供の領域から解放し、大人が『自分がかつて子供だったこと』をあらためて認識する場」をテーマとして、1990(平成2)年にオープンした。
    • 主に海外の作家の個展(原画展)を開いているが、国内の作家の原画展を開く時もある。
市民タイムス
安曇野ジャンセン美術館 >>戻る
2007.12.14
  • 夢織人(ゆめおりびと)
  • ジャンセンの1枚のデッサンとのとてもいい出会いからスタートした美術館。来館者にもいい出会いを提供できる場所でありたい。
    • 「ジャンセンの絵は、”暗い”という印象を持つ方が多いようです。しかし、華々しい表の顔だけでなく、他の人たちが見落としてしまいがちな日常の一こまから美しさを見いだし、愛情あるまなざしで描いています」と、館長代理を務める塚原小百合さん。
  • 安曇野ジャンセン美術館は、11991(平成3)年に塚原さんの父が長年集めていたジャンセン作品を展示する場としてオープン。
    • ピカソシャガール後のフランス画壇を支えるジャン・ジャンセン(1920(大正9)年〜)の作品を常設展示する世界初の美術館となった。
  • 「美術にもっと興味を持ってほしい」。
    • 塚原さんは、そのための”入り口”作りに工夫を凝らす。
    • 夜間開館はもちろん、ダンスや音楽とのコラボレーションもその一つ。
    • 「何かに興味を持って美術館に足を運んでもらえば、そこで作品との出会いが生まれます。いい出会いをしていただきたい−、それこそが私たちの願いです」。
週刊まつもと
2007.12.01
  • 4年ぶりに冬季営業
市民タイムス
2007.09.06
  • 安曇野でダンス ダンス
  • ジャンセン美術館 新たな魅力
  • ダンスイベント「Dance dance Dance! 2days」を開いた。
    • モダンダンスの公演とフラダンスのレッスン。
    • 「いりぐちはどこだって、はじめたらそれがはじまり」をテーマに新たな切り口で美術館をPRし、楽しんでもらおうと企画した。
  • 1日は、モダンダンス。
    • 薄暗い館内展示室を舞台に、舞踏家が展示した絵から感じ取ったイメージを体で表現した。
    • 静まり返った会場は、舞踏家の呼吸だけが聞こえ、時に激しく、なまめかしく踊る姿は、いつしか観客を異次元の世界へ引き込んだ。
  • 2日目は、緑に囲まれた美術館の庭でフラダンス。
    • 静かな木漏れ日の屋外ステージで、参加者はレイ(花輪)を首にかけ、講師のまねをして、手や腰を振った。
  • 「絵もダンスも1つの芸術であり、表現法。それぞれに込められた思いを体で感じ取ってほしい。イベントを通して、今まで美術館に興味はなかった人も館に足を運ぶきっかけになれたら」と、企画した塚原さん。
タウン情報
2007.06.20
  • ジャンセンが描くイタリアの風景
  • 「ジャンセンが視(み)たイタリア」展が開かれる。
    • アルメニア出身の画家キャン・ジャンセンが、イタリアのベニス、トスカーナ、アンティコリなどの風景や人物を描いた作品を中心に飾る。
信濃毎日新聞
安曇野橋節郎記念美術館 >>戻る
2008.05.18
  • 池も表現空間
  • 女性3人展
  • 地元の女性作家3人による作品展「circulate(サーキュレイト)」が始まった。
    • 2階建ての蔵が主会場だが、中庭には写真を転写した石を池の中に並べた展示があり、空間を生かした見せ方が印象的。
信濃毎日新聞
2008.05.11
  • 花故人しのび ボタン満開
  • 昨年亡くなった橋さんが、東京都練馬区の自宅で育てていたボタンで、一昨年に譲り受けた株が、しっかりと根付いて見事に咲いている。
市民タイムス
2008.04.24
  • 故郷 安曇野へ愛着深く
  • 漆黒の夜空 北アルプスの稜線
  • 芸術に生きて 高橋節朗が残したもの(下)
  • 北アルプスの山並みを見渡す安曇野の、田んぼに囲まれた狐島(きつねじま)という小さな集落に、高橋節郎の生家はある。
    • 節郎が子どものころは、今のような街明かりもなく、夜になると満天の星空に包まれたことだろう。
  • <信州の星空をじーっと眺めていると、その中に自分自身が吸い込まれていくような感じがする。すると、闇の中からいろいろな形が浮かび上がってくる。漆黒の天空に現れる、動物の姿、人間や妖怪。そんな少年時代のイメージが、私の作品のモチーフを生み出している。>安曇野高橋節郎記念美術館の図録に収められた節郎の言葉。
    • 幼いころ、土遊びをしていて見つけた土器の破片や矢尻を手に眠りについたこと、家の近くの「水晶山」に、水晶を堀りに行ったこと・・・。子どものころ心踊らせた想い出も、節郎は個展に寄せた文章に書いている。
  • 1992(平成4)年、78歳のときの作品「満天星花」は、漆黒の夜空を横切る天の川のなかに、花や木、アンモナイトの化石、勾玉、土偶などが、星座のようにちりばめられている。
    • 画面の右下、満月の光に稜線を浮かび上がらせるのは、北アルプスだろう。
  • 信州美術会の会長を1983(昭和58)年から亡くなるまで四半世紀に渡って務めた節郎は、「美術家は身近な自然や風土に目を留め、その素晴らしさを表現し、伝えていかなければならない」と、ことあるごとに話していたという。
    • 「故郷の景観が少しずつ変わっていくことへのさびしさがあったのではないか」と金工家の木下五郎さん(63)。
    • 「変化は止められないかもしれないけれど、美術によって、一定の歯止めをかけたいと思ったのだろう。自然の深いところを吸収し、表現した節郎の姿勢に学びたい」
  • 一周忌を前にしたこの3月末、節郎の生家に近い田んぼの一角にある墓地に、遺族や教え子たちが墓を建てた。
    • 山並みを思わせる形の墓石は、節郎の立体作品「化石の森」をイメージして、黒漆の質感に近い石でつくったという。
    • その磨かれた表面は、安曇野の空と山々をくっきりと映し出していた。
信濃毎日新聞
2008.04.23
  • 「大きな革袋を持って」
  • 技術や技法ではなく
  • 芸術に生きて 高橋節朗が残したもの(中)
  • 漆芸家の並木恒延さん(8)が東京芸術大学大学院の2年になった1976(昭和51)年、高橋節郎が学外から招かれて漆芸研究室の教授に就任した。
    • 名前は知っていた信任教授の作品を見て、並木さんは「”文様”のイメージがあった漆芸とはまったく違い、絵画まっしぐらな作品だと感じた」と言う。
    • 同大デザイン科を卒業後、いったん就職した会社を辞めて大学院に入り直し、自由な漆の表現を目指していた並木さんは、大いに刺激を受けた。
    • だが、「先生から、技術的なことは一切、教えてもらわなかったんです」と振り返る。
    • 節郎は学生たちに、西洋や日本の美術作品をスライド写真で見せたり、小説を読むことを勧めたりしたが、学部でも大学院でも、技術や技法の指導はしなかった。
    • 「不満を持つ学生ももちろんいたけれども、技術が優先しては良い作品は作れないということを教えてくれたのだと思う」と並木さん。
  • 「漆芸家である前に、芸術家として伝えるものを持ってほしいと考えていた先生は技術重視だった当時の教師や学生に、もどかしさを感じていたようだ」と、教授時代の節郎を非常勤助手として支えた、東京芸大教授で漆芸家の三田村有純さん(58)。
    • 「先生の技法は、先生が自分の感性を語るために生み出したもの。教えてはくれなかったし、誰もまねできなかった。だからこそ、私たちも独自に作品を作っていくことを学んだ」
  • 「新しい水がどんどん入るような、大きな革袋を自分のなかに持ちなさい」。
    • 節郎は学生たちに、常々そう語っていたという。
    • 1982(昭和57)年に節郎が東京芸大を退官したとき、学生たちは、手作りの”卒業証書”を節郎に贈った。
    • そこには、「何も教えてくれなくてありがとうございました」と書かれていた。
2008.04.22
  • 「動く壁画」・漆版画・立体・・・
  • 新しい表現 挑み続け
  • 芸術に生きて 高橋節朗が残したもの(上)
  • 安曇野市出身の漆芸家、高橋節郎が昨年92歳で亡くなってから1年が過ぎた。
    • 18歳まで暮らした安曇野の自然や風土への愛着を生涯のテーマに、「漆芸(しつげい)」にとどまらない表現を追求し、旺盛に向かう姿勢は、後に続く世代や信州の美術家にも大きな影響を与えた。
  • 2本の角を生やした子鬼を思わせるユーモラスな造形。
    • 四角や三角、円など幾何学的な形で構成された立体は、一見して漆工芸には見えない。
    • だが、黒と漆で滑らかに仕上げられた表面は、漆特有の光沢と深みをたたえている。
    • 全国を巡回中の第47回日本現代工芸美術展に出展された、高橋節郎の「双樹の門」。
    • 2001(平成13)年に脳梗塞で倒れた節郎は、「何かあったとき」にはこの作品をだすよう、妻(70)に言い残していたという。
  • 1940(昭和15)年、東京美術学校(現・東京芸術大学)工芸科漆工部の研究科を26歳で修了。
    • その直後から、カラフルな「色漆」で植物を描いたびょうぶや箱で公募展に毎年のように入選し、注目された。
      • しかし、実用品に装飾を施す漆工芸の枠に収まることなく、漆を使った絵画へと表現の領域を広げ、大画面の平面作品や、壁にかけたり額に入れられるように仕立て、自ら「動く壁画」と呼んだびょうぶ作品を試み始める。
    • その表現は年月を経て研ぎ澄まされ、黒と金の世界に集約されていった。
      • 節郎は、漆塗りの面に針などで線や点を描き、漆で埋めた後に金を置く「鎗金(そうきん)」の技法で知られる。
    • 漆芸の第一人者としての評価が確立した晩年も、新たな表現を求める意志は衰えなかった。
      • 1990(平成2-)年代には、「80歳になったから、新しい世界に挑戦する」と妻に”宣言”し、立体作品に本格的に取り組む。
2007.05.15
  • 花色鮮やかに花競演
  • ツツジやボタンの花が見ごろ。
    • 橋さんの父が100年以上前に植えたツツジもある。
    • ボタンは橋さんの東京都の自宅から2年ほど前に移植した。
市民タイムス
2007.04.21
  • 高橋節郎さん死去
  • 92歳だった。
  • 黒漆の表面に彫った文様に、金を埋め込む「鎗金」(そうきん)の技法を深め、独自の世界を切り開いた。
  • パリで個展を開いているさなか、83歳で文化勲章を受けたときの喜びの言葉、「さらに深く、漆の可能性を追求したい元気がわいてきた」。
  • 創作意欲は晩年まで衰えず、漆オブジェといった前衛的な造形も手がける。
  • 漆芸の開拓者だった。
  • 信州の自然は天からの授かり物。美しい宝を守り伝えるのも信州人の務め−。こんなことも折りに触れて書いたり、語っていた。
信濃毎日新聞
2007.04.20
  • 高橋節郎さん死去
  • 新しい漆芸開拓
  • 文化勲章
  • 92歳
  • 肺炎のため東京都新宿区の病院で死去した。
    • 伝統技法や形式の枠を超え、モダンな美の表現としての新しい漆芸を開拓し、日本工芸の近代化に貢献した。
    • 1998年(平成10)長野冬季五輪で販売された公式記念メダルもデザインした。
  • 安曇野の自然愛し
  • 高橋節郎さん死去
  • 故郷の知人ら「おやじのようだった」
  • 美術館の支援組織「友の会」会長は15年ほど前、集客を考えて市街地への美術館建設を提案した。
    • 高橋さんは「安曇野にいくつもある美術館を楽しんで巡るには北穂高もいいじゃないか」と返したという。
      • 「いま思えば生意気なことを言ったのに、少しも怒ったりしなかった」と懐かしんだ。
2007.01.19
  • 鎗金技法で幻想世界
  • 安曇野市出身の漆芸家・高橋節郎さん(92)の作品を一堂に集めた美術館。
    • 高橋さんの漆芸術は「鎗金」(そうきん)と呼ばれる技法で作られ、漆黒と金を基調に幻想的な世界を表現している。
市民タイムス
安曇野の里 >>戻る 公式HP→信州 安曇野の里
2008.01.09
  • 電飾に新年の装い
  • 昨年から開かれている「Azumino光のページェント」に「謹賀新年」のイルミネーションが新たに加わった。
市民タイムス
2007.12.09
  • キラキラのおもちゃ箱
  • 光の催し
  • 2年目の今年は「チョットのぞいたおもちゃ箱」がテーマ。
2007.11.08
  • 冬の安曇野に夢の光
  • 今年も電飾 若者が企画
  • 安曇野市の20〜40代の市民有志が、観光スポット「安曇野の里」で、第2回「2007Azumino光のページェント」の電飾の取り付け作業を始める。
    • 昨冬初めて実施したところ好評だったため、今季は電飾の数を2万個ほど増やし、約6万個にする予定。
    • 作業を手伝えるボランティアを募集するとともに、使わなくなったイルミネーションの提供も呼び掛けている。
  • ビレッジ安曇野、あづみ野ガラス工房、プラザ安曇野、レストチロル、田淵行男記念館がある敷地内の約2ヘクタールを使い、イルミネーションを飾りつける。
    • ガラス工房の作家の作品の中に電飾を入れて美しく照らしたり、ツリーや白鳥、飛行機などの形の飾りを作ったりする計画。
    • 開催期間は12月8日から1月31日。
有明山 >>戻る
2006.01.15
  • 有明山の「山」はなんと読む?
  • 安曇野市と松川村にまたがる有明山(2268m)は、「天の岩戸」や「八面大王」といった神話や伝説があるほか、霊山として開かれたことから信仰の対象としてあがめられてきた。
  • この山の名前は「ありあけやま」だとばかり思っていたが、「ありあけざん」と言う人が多い。
  • 山頂には二つの神社の奥社がある。
    • 一つは安曇野市穂高有明の有明山神社(ありあけやまじんじゃ)のもので、もう一つは松川村の有明山社(ありあけさんしゃ)
  • 有明山神社の宮司は、「子供のころから会話で『ありあけざん』と言い、『ありあけやま』とはあまり言わない」という。
  • 安曇野の景色などを歌った松川村無形文化財の民謡「正調安曇節」、松川小学校(松川村)と穂高北小学校(安曇野市)のそれぞれの校歌の歌詞にも有明山が登場するが、いずれも「ありあけやま」と歌われる。
    • 「『ん』で終わると歌いにくいからではないでしょうか。『やま』の方が柔らかい気がする」と松川村安曇節保存会の歌謡副部長。
  • 山の名を冠した商品では、大雪渓酒造(池田町)の純米酒は「有明山(ありあけざん)」、丸山菓子舗(安曇野市)のどら焼は「有明山」(ありあけやま)。
  • 『コンサイス日本山名辞典』(三省堂)では、「ありあけやま(ざん)」と書かれて、「現在の名前になった由来についてははっきりしていない」と記されていた。
  • 末広がりの富士山に似た形から「信濃富士」や「有明富士」とも言われるし、天照大神(あまてらすおおみかみ)が隠れた天の岩戸が落ちたとされる「天の岩戸」伝説から、かつては「取放(とっぱなし)山」「戸放(とばなし)山」と呼ばれたこともあった。
市民タイムス
2004.10.24
  • 有明山に幻の二滝
  • 台風で大雨となった有明山(2268.3m)に2本の幻の滝が出現した。
  • 南斜面の標高約1550m付近の断崖。
  • 昔、修験者が山頂を目指して登った「深沢」(ふかさわ)と呼ぶ難所。
  • 里から仰ぐと、上下それぞれ約30mの2本の滝が紅葉する山肌に見えた。
  • 元有明郵便局長(80)は、子供のころ父親から「大雨の時に、滝ができるから見ろと教わった」と話す。
  • 「今日、初めて目撃できた。一生のうちでこんなに感動したことはない。この滝は、安曇野の”伝承の遺産”です」と大喜び。
  • 10月としては、1898年(明治31)からの観測史上初の大雨だった。
タウン情報(信濃毎日新聞)
井口喜源治記念館 >>戻る
2007.09.04
  • 日米結ぶ 喜源治の教え
  • 関係者 シアトルへ
  • 私塾生の足跡たどる
  • 井口喜源治の私塾「研成義塾」で学び、その後、アメリカ・シアトル(ワシントン州)に渡った人々の足跡をたどろうと、井口喜源治記念館の関係者が現地を訪ねる旅行を計画している。
    • 明治末期から大正期にかけてシアトルに渡り、井口の教えを胸に生き抜いた人々の生活や苦労に思いをはせる。
    • 井口を通してつながりのある安曇野市とシアトル市の将来の交流促進への夢も描いている。
  • 研成義塾で学んだ教え子たちは800人近くに上る。
    • うち、日本からの移民が多かったシアトルには穂高(旧穂高町)の若者を中心に70人余りが渡り、定住していった。
    • 現地では「穂高倶楽部」と呼ばれる会を設け、情報交換や交流を重ねた。
    • 「よき人」になるように、との井口の教えを守って誠実で勤勉な生活を送り、米国社会から認められた。
  • 井口喜源治
    • 1870(明治3)年-1938(昭和13)年
    • 現・安曇野市穂高に生まれる。
    • 小学校教諭として勤務したが、同級生らの始めた禁酒会に加わり、芸者の置屋を設けようとする動きに対して反対運動を続けたため排斥され、公職を去った。
    • 1898(明治31)年に私塾・研成義塾を設立し、英語、数学、漢文や信仰するキリスト教などを教えた。
    • 「よき人」になることを義塾の目的に掲げた。
市民タイムス
2007.02.23
  • 教育の志 教え子ら再現
  • 私塾「研成義塾」を創設し、農村青年の教育に生涯をささげた井口喜源治(1870年(明治3)-1938年(昭和13))の記念館。
    • 同級生だった東京・新宿の中村屋を創業した相馬愛蔵らの支援で研成義塾をつくり、34年間で約800人を世に送り出した。
  • 記念館は井口の生家跡に1969年(昭和44)、没後30年を記念し、教え子らが建設した。
    • 展示している愛蔵の妻・黒光の嫁入り道具で、長女・俊子の義塾入学を記念して贈ったオルガンは、現存するオルガンとしては日本で2番目に古いという。
    • 「井口の教えは、えらい人になるより(品性の)良い人になれだった。館に足を運んで人間教育の原点に触れてほしい」と記念館理事。
2007.02.18
  • 愛用のミシン展示
  • 研成義塾の教師・青柳さく
  • 献身的な教育しのぶ
  • 井口喜源治の私立中学校「研成義塾」に明治末期から大正期に勤めた裁縫科教師・青柳さく(1886(明治19)-1921年(大正10))愛用のミシンを展示。
    • 1917年(大正6)にアメリカで製造された。
    • シンガーミシンの創立者、アイザック・シンガーが考案した、それまでのミシンの性能をはるかにしのぐもの。
  • さくは喜源治の請われ、勤めていた小学校から研成義塾に移った。
    • 薄給にめげず献身的に勤め、裁縫のほか、家事、唱歌などを担当して評判を呼んだ。
    • ミシンは当時のさくの月給の10倍以上で、このミシンを用いて女生徒たちに扱い方や洋裁を教えた。
飯沼飛行士記念館 >>戻る
2007.07.12
  • ”次作”は「飯沼飛行士」・・・
  • 豊科出身・故熊井啓監督
  • 脚本完成、映画化望む声も
  • 5月に亡くなった旧豊科町出身の映画監督・熊井啓さん。
  • 「美貌なれ昭和−神風号の男たち」という題名で、既に脚本を書き上げていた。
  • 2005年(平成17)の第5回安曇野映画祭のレセプションの席で「安曇野を舞台にした映画を」と求められたのに応え、筆を起こしたという。
市民タイムス
2007.02.02
  • 日欧間の最速記録、顕彰
  • 1937年(昭和12)、東京−ロンドン間を朝日新聞所有の国産機「神風」号に乗り100時間を切る世界最速の大飛行を成し遂げ、世界の航空史にさん然と輝く金字塔を打ち立てた飯沼飛行士と塚越機関士。
  • 日本ばかりでなく、世界中の人々がこの快挙にわき、熱狂した。
  • 1903年(明治36)、ライト兄弟が初めて動力飛行に成功してからわずか34年後だった。
  • 当時の世界記録は東京−パリ間で165時間53分。日本とヨーロッパを結ぶ南方コースの100時間切りには、世界各国の飛行士が挑んだが、ことごとく失敗していた。
  • 飯沼飛行士は当時26歳で、朝日新聞社に勤めていた。
  • 太平洋戦争開戦すぐに29歳で戦死した。
2006.09.06
  • 飯沼操縦士、業績冊子に
  • 記念館は1989年(平成元)にオープン。
  • 冊子は、収蔵する新聞記事や写真など100点余をまとめた。
  • 「『神風特攻隊』と勘違いして来館する人がいるなど、偉業が知られていない。後世に正確に伝えていきたい」と館長。
信濃毎日新聞
臼井吉見文学館 >>戻る
2007.07.10
  • 臼井吉見 没後20年に 
  • 安曇野愛した郷土の作家 12日に、れんげ忌
  • 「れんげ」の名は、臼井が随筆『安曇野の思い出』で「うしろに、北アルプスの屏風を立てひろげて、隅々まで、紫雲英(レンゲ)の花絨毯(じゅうたん)を敷きつめた、田植前の安曇野の美しさにくらぶべきものが、ほかのどこにあるだろうか」と記したことによる。
信濃毎日新聞
2007.02.16
  • 書斎復元 生原稿も展示
  • 『安曇野』の著者で、この小説を通して「安曇野」の名を全国に広め、編集者、評論家、作家として活躍した臼井吉見。
    • 『安曇野』の執筆を開始したのは1964年(昭和39)で、10年かけて完成させた。
市民タイムス
絵本美術館 >>戻る
2007.07.05
  • 絵本の原画展
  • いせひでこさんの55作品
  • 「ルリユールおじさん」の原画。
    • 作品は今年講談社出版文化賞の絵本賞を受賞。
    • パリで暮らす少女がルリユール(製本職人)と出会い、壊れた図鑑を直してもらう内容。
信濃毎日新聞
  • 花色鮮やかにアジサイ通り
  • 絵本美術館前の道沿い。
    • 7年ほど前に周辺の旅館や飲食店、美術館などが苗を植え、地域住民とともに育てて根づかせた。
大熊美術館 >>戻る
2003.04.19
  • 毎年デザインが異なり、プレゼントや記念品として人気が高いデンマークのクリスマスプレート。
    • 生産が始まった1895年のものからすべてそろっている。
    • デンマーク王室ゆかりのロイヤルコペンハーゲン窯と、ビング&グレンダール窯の200枚余りが並ぶ。
    • 戦争のときも途切れることなく焼かれ、図柄はクリスマスを祝う家族や教会、雪の風景など様々。
    • その年の型は、クリスマスが終わるとすべて壊されるという限定品。
asahi.com
烏川渓谷緑地 >>戻る
2008.07.18
  • 烏川緑地に熊3頭
  • 一部立ち入り禁止に
  • 森林エリア近くでツキノワグマ計3頭が出没し、森林エリア全域と水辺エリアの一部が当面立ち入り禁止になった。
    • 「熊は用心深く、人の気配に敏感。音の出る物を持ったり、会話したりしていれば、近寄ってこない」と、緑地管理員で森林インストラクターの根萩さん(53)。
信濃毎日新聞
2007.08.18
  • 涼求め水遊び楽しむ
  • 穂高の最高気温は10日連続で33度以上となった。
市民タイムス
蔵久 >>戻る
2008.07.17
  • 蔵久 サービス優秀
  • 立川駅ビル内覆面調査結果
  • 蔵久・立川エキュート店(東京都立川市・JR立川駅内)が、「立川エキュート」主催の2007(平成19)年度第1回サービス覆面調査で出店している全62店舗中2位の優秀賞を受けた。
    • 覆面調査員が接客、清潔度、オリジナル性など8項目90事項を調べ、100点満点の94点を獲得、このほど表彰式をした。
  • 最も評価されたのがオリジナル性。
    • 同店では、5種類のかりんとうを100グラムから量り売りをしており、また、定番のほか、コーヒーやシナモン味など、若い世代向けにも品揃えを充実した。
  • サービス面では、新しく採用した社員2人が、エキュート立川の開店(2007(平成19)年10月)前に、蔵久本店で2週間研修を受け、接客や商品について学んだ。
  • 「田舎から出ていった会社が東京で評価され、光栄。商品を売るだけでなく、お客さんの満足度を得られるよう、コミュニケーションを大切にしたい」と社長。
タウン情報
2007.08.25
  • 久星の青柳社長(45)が取得
  • 日本調味料ジュニアマイスター 
  • 知識深め、和食文化創造へ
  • 蔵久は、江戸時代の1810年(文化7)に建築された古い民家を敷地ごと借りて、母屋の一部と馬小屋を改修して営業している。
    • かりんとうの製造で砂糖の知識は豊富だが、しょうゆや塩、みそについては専門外のため、「基礎知識として勉強になった」と話す。
    • 日本調味料マイスター協会は、和食文化の基礎となる調味料の魅力や、使い方などを正しく伝えられる人材を育成するため、昨年設立された。
    • 「ジュニアマイスター」コースでは、砂糖、塩、酢、しょうゆ、みその魅力を学び、豊かな食生活を自ら考えられる知識を身に付ける。
    • 関連HP→日本調味料ジュニアマイスター
信濃毎日新聞
2007.03.01
  • レモン風味で後味すっきり
  • 「蔵久」かりんとう
  • 豊科の花林糖(かりんとう)販売「蔵久」(くらきゅう)はレモン風味の「白花林糖」を販売している。
    • 定番の黒花林糖の黒砂糖に対し、白砂糖を使い、レモン風味を加えた。
    • 「後味がすっきりする」という。
      • ※春季限定らしい。
タウン情報
黒沢の滝 >>戻る
2008.02.21
  • 氷の”芸術”
  • 1カ月前にはまだ音をたてて流れていた滝が完全に凍りつき、冷え込みの厳しさを物語る。
    • 水しぶきがそのまま凍った個所もあり、氷越しに流れ落ちる水が透けて見えてガラス細工の繭のよう。
    • 滝へと向かう林道はまだ雪深く、黒沢不動尊の手前から歩いて30分ほどかかる。
    • 二段になった落差約30メートルの滝は、下段部分と滝つぼがすっぽりと雪に覆われ、上段に氷の造形美が見られた。
    • 近くにある天然スケート場・室山池の氷もまだ厚い。
市民タイムス
2008.02.07
  • 氷柱の内側 流れる水
  • 厳しい冷え込みで凍りつき、独特の景観をつくっている。
    • 滝は高さ約30メートル。
    • 氷柱が重なるように岩肌を覆っている。
    • 高さ5メートル、幅2メートルほどの穴がぽっかりと開いていて、中でしぶきを上げて流れる水が見える。
    • 車の乗り入れは難しく、林道から滝までの約300メートルは膝丈ほどの雪道を歩かねばならない。
  • 滝の水は水道水源で「観光スポットとしてはPRしていない」(市商工観光課)。
信濃毎日新聞
2008.01.23
  • 氷の”芸術”今冬は・・・
  • 落差約30メートルの滝が凍って”自然の芸術”を造ることで知られる「黒沢の滝」が、今年はまだ完全凍結に至っていない。
    • 里では寒い朝が続くが、山間部の自然は今のところ「暖冬」を告げているようだ。
    • 近くにあって天然スケート場となる室山池は、今年まだ1日も利用できていない。
市民タイムス
小岩嶽城跡公園 >>戻る
2007.08.05
  • わが安曇武士 しのぶ
  • 信玄が攻落 
  • 小岩嶽城址で集い
  • 地元住民による「小岩嶽城址を偲ぶ会」が開かれた。
  • 小岩嶽城は1551年(天文21)(戦国時代初め)に武田勢に攻められ落城した。
  • 安曇武士と呼ばれる兵が領土を守るために戦い、子供や女性を含めて5百人余が命を落したと伝えられている。
信濃毎日新聞
2007.04.29
  • 小岩嶽落城−籠城者は奴隷になった 
  • 信玄の筑摩・安曇郡平定 
  • 松本平と武田信玄
  • 武田軍が討ち取った首は5百余人といわれるが、記録する側では戦果を大きくするために大げさに書くことがあるので、これが事実かどうかはわからない。
市民タイムス
国営アルプスあづみの公園(安曇野地区) >>戻る
2008.08.17
  • 麦舟流して送り盆
  • 麦わらで作った舟を流し、先祖の霊を送る盆行事が行われた。
    • 三郷及木老人クラブ学習会の会員や観光客らが参加。
    • 十字や舟の形に組み、かんば(樺)を帆のように立てて作った麦舟を、参加者が展望テラス近くの水路へ運んだ。
    • 色鮮やかな盆花も飾り付けられ、ちょうちんを手にした子供の後ろに、麦舟を抱えるように運ぶ子供が続いた。
    • 会員やスタッフが麦舟のかんばに火をともして水路に流し、多くの来場者がその様子を見守った。
  • 麦舟流しはかつて送り盆の16日夕、墓参りから戻った後に、家の近くの川や堰(せぎ)で行われた。
    • アルプスあづみの公園では毎年、安曇野の盆行事に触れる機会として実施している。
市民タイムス
2008.08.10
  • 伝統受け継ぐ盆棚
  • 盆行事として安曇野に古くから伝わる盆棚の展示が、テーマ展示館で始まった。
    • 「安曇野のお盆」と題し、三郷及木(およびき)老人クラブ学習会が今も受け継がれる伝統行事を再現。
  • 盆棚は高さ約2メートル、幅1.8メートル、奥行き約90センチ。
    • 養蚕農家が蚕を飼育する時に使った三尺棚の上に戸板をのせて盆ござを掛け、盆花やナスの馬などを飾った。
    • トンヅル(クズのつる)を約2メートルの高さに張り、ササゲやホオズキをつり下げた。
    • 仏前にはモモやスイカ、トマトを供えた。
  • 「昭和30年代(1945-)の地域の行事について知ってもらう機会になれば。伝統を見つめ直すことで、現代の暮らしの参考にもなるのではないか」と会長。
2008.06.24
  • 花風に揺れるヤナギラン
  • ヤナギランが見頃。
    • 紅紫色の花が初夏の風に揺れる。
    • 四季折々の花が楽しめる「段々花畑」内の530平方メートルに栽培。
  • ヤナギランは1メートル以上に真っ直ぐ伸びた茎の上部で次々と「ラン」に似た花を咲かせる多年草。
タウン情報
2008.05.25
  • 延べ入場者 今夏100万人
  • 開園から4年
  • 四季の自然 多彩に体験
  • 安曇野の新しい顔として、2004(平成16)年7月に堀金・穂高地区の一部が開園し、年間30万人近い客を集めている公園。
    • 安曇野の自然と田園文化や北アルプスの山岳景観を生かした体験型公園で、8月には延べ入園者数が100万人に達する見込み。
  • あづみの公園は「自然の中で感性を育む遊・創・空間」を理念に、「自然と文化に抱かれた豊かな自由時間活動の実現」をテーマに据えた公園の建設を目指し、1990(平成2)年に国土交通省の直轄事業として着手された。
    • 「堀金・穂高地区」と「大町・松川地区」に分かれた全国的にも珍しい分散型で、すべて完成すると356ヘクタールの巨大公園となる。
  • 開園しているのは堀金・穂高地区の27ヘクタールで、「あづみの楽校」というコンセプトの下、安曇野の自然・文化・歴史を楽しみながら学習できるテーマ展示館、観光情報の発信基地となるガイドセンターなどが利用されている。
  • 公園の最大の特徴は、四季を通じてさまざまな体験メニューが用意されていることで、ガーデニングや写真、絵画、ノルディックウオーキング、バルーンクラフトなどの教室、探鳥会や木の観察会、シイタケ栽培、みそ玉造りなどの講座もあり、自然の中で「安曇野」が満喫できる。
市民タイムス
2008.04.22
  • 安曇野味わう「園弁」
  • 初オリジナル弁当
  • 地元の特産PR
  • アルプスあづみの公園が初のオリジナル弁当「園弁」(そのべん)を開発した。
    • 食材は有機野菜をはじめ、すべて安曇野産というこだわりの弁当。
    • 空港の空弁(そらべん)、高速道路サービスエリアで販売する「速弁」(はやべん)などと並ぶ人気弁当に−と、同園で売り出す。
  • 「あづみの御前(ごぜん)」(\2000)と「あづみの三昧(ざんまい)」(\1500)の2種類。
    • 地鶏の山賊焼きや信州サーモンのカルパッチョ、松本一本ねぎのみし揚げ、タラの芽・山ウドの天ぷら、ニジマスの甘露煮−など安曇野の食材を厳選。
    • 米は安曇野産のコシヒカリ、デザートのリンゴやイチゴも安曇野産と徹底。
    • 見た目は地味だが、素朴な田舎料理が詰まっている。
    • 1日60食限定の予約制。
  • 園弁
    • 昨秋、国営武蔵丘陵森林公園(埼玉県滑川町(なめがわまち))が地元の老舗割烹旅館と共同開発した「紅葉見(もみじみ)弁当」(\2000)が始まり。
      • 1日20食限定で大好評だったという。
    • 今春からは、国営ひたち海浜公園(茨城県ひたちなか市)、国営昭和記念公園(東京都立川市・昭島市)などでも地元特産品を生かした園弁を販売、全国の国営公園に広がりつつある。
タウン情報
2008.03.01
  • 花ネコヤナギ 顔を出す
  • 例年以上の積雪がここ数日の暖かさで次第に解けだしている。
    • 日中の暖かさに誘われるように、あちこちで絹毛に覆われたネコヤナギが顔を出し、春の訪れを告げている。
  • ネコヤナギは約300本が小川沿いなどに植えられ、風に吹かれてゆらゆらと揺れる。
    • 春の日差しを浴びると毛が銀色に輝き、林の中で幻想的に浮かび上がった。
信濃毎日新聞
2007.12.22
  • 夜景光の世界 5万人感動
  • 県内最大の電飾 夜彩る
  • 県内最大級の夜間イルミネーションイベント「森の光物語」が大盛況。
    • 11月23日に始まったイベントは12月20日までに5万人近くが来園し、「週末を中心に平日も予想以上のにぎわい」。
    • 「森の光物語」では広大な園内を20万球のイルミネーションで彩り、来園社を幻想の世界に包み込んでいる。
  • 冬季の夜間開園イベントは、昨年2週間実施し好評だったため、今年は1カ月間に延長した。
    • 冬場の誘客を求める観光関係者からは「イベントを安曇野の冬の風物詩に定着させたい」と期待の声が高い。
    • 22〜24日は穂高牧(ほたかまき)に林寺駐車場を設け、無料のシャトルバスを運行する。
市民タイムス
2007.11.23
  • 夜景電飾20万個 夜に彩り
  • 園内を電飾で彩るイベント「森の光物語」を始める。
    • 23日から来月24日まで。
    • 冬のイルミネーションは3年目。
  • 昨年は15日間で約3万5千人を集め、今年は期間を約2週間延長した。
    • 約30メートルの光のトンネルを設置。
    • 70メートルにわたって星形のアーチを並べ、高さ10メートルのアカマツなどを光で彩った。
    • シカ、クマ、リスなどの電飾もある。
    • 23日からの3連休は電飾を見下ろす熱気球体験も企画。
信濃毎日新聞
2007.11.21
  • 夜景”電飾”効果に期待
  • 国営公園から誘客
  • 夜間開園イベント「森の光物語」に合わせて、市内の観光業者などが誘客に知恵を絞っている。
    • 県内最大規模のイルミネーション20万球で園内を飾り、昨年は2週間で約3万5千人を集めたが、「客を素通りさせた」と残念がる商業者も多かった。
    • 今年は夜間営業、無料送迎、独自ツアーなどの取り組みが現れ、底冷えする冬の安曇野観光が例年になく熱を帯びている。
  • 昨年は終末を中心に、渋滞が公園と豊科市街地方面を結ぶ県道や広域農道まで続いた。
市民タイムス
2007.10.31
  • 次期整備へ アンケート
  • 新たに整備するのは、開園部分の北側に位置する約28ヘクタール。
    • 整備着手の時期について「公園の大町・松川地区が一部開園する2009(平成21)年度以降」と、公園事務所。
信濃毎日新聞
2007.09.06
  • 花風に揺れるコスモス
  • コスモスの花が見頃を迎えている。
    • 現在は3〜5部咲き。
    • 「猛暑が続いたせいか、例年より早く咲き始めた。背丈は低いがその分眺めやすいと公園管理センター。
  • 今月中旬には80種類ものコスモスをプランターで一斉に飾る品種展示が行われる。
    • 園内ではこれから、八重咲きのコスモスなども順次開花する。
市民タイムス
2007.08.17
  • 伝統の「麦ぶね流し」再現 
  • 人懐かしく送り盆
  • 昭和30年代(1955年-)まで安曇野の送り盆の行事だった「麦ぶね流し」を再現するイベントが行われた。
    • お盆が終わる16日夜の行事で、かつては安曇野の各地で、暗闇の中を火がゆらゆらと進む幻想的な光景が見られたという。
  • 農業の機械化に伴って牛馬の餌となる麦を作らなくなったことから、麦ぶね流しは行われなくなった。
市民タイムス
2007.06.03
  • 皇太子ご夫妻が植樹
  • あづみの公園の「つどい」で
  • こども病院も視察
  • 郷土芸能をご鑑賞
  • 皇太子ご夫妻
  • 正調安曇節に温かい拍手
  • 第18回全国「みどりの愛護」のつどいに出席された。
2007.05.16
  • 緑濃い扇状地 遊具や池整う 空から拝見安曇野の今
信濃毎日新聞
2004.08.25
  • 1カ月で約10万人
  • 予想上回る来園者
  • 趣向凝らし秋冬の集客へ
市民タイムス
御宝田遊水池 >>戻る
2008.02.16
  • 白鳥 北へ旅立ち
  • 越冬中の白鳥の数を計測しているアルプス白鳥の会は、白鳥がシベリアへ向けて旅立つ「北帰行」が始まったとみられる、とした。
    • 「ここ数日、夜明けとともに空を舞う姿が見られる。旅立ちに備えて、飛ぶ練習をしているのだろう」と会代表(73)。
    • 昨季の北帰行は2月16日に始まり、4月13日に完了した。
市民タイムス
2008.01.16
  • 快晴の北アルプスに白鳥
  • 多くのアマチュアカメラマンが「これほど晴れた日はシーズン中に幾日もない」という青空のもとで、白鳥の姿を追っていた。
    • 遊水池にはこの日午前7時ころ470羽の白鳥がいた。
    • 朝のうちに多くの白鳥が近くの水田へ飛び去るとあって、写真愛好者たちのお目当ては水面を飛び立つ瞬間の雄姿。
2007.02.17
  • 故郷へ一直線
  • 白鳥北帰行
  • 暖冬で昨年より1週間早く開始
  • 安曇野市内で越冬している白鳥の北帰行が始まった。
    • 昨年より1週間早く、暖冬の影響とみられる。
2007.02.11
  • じっくり白鳥観察
  • 安曇野市自然体験交流センターせせらぎで、白鳥観察会を開いた。
犀川白鳥湖 >>戻る
2008.07.05
  • 鳥インフルエンザ対策に苦悩
  • 県内のハクチョウ愛護団体
  • 餌付け時の着替え・観光客の制限検討
  • 「本当に必要?」慎重論も
  • 今春に東北地方や北海道でハクチョウの死骸から強毒性の鳥インフルエンザが検出され、県内のハクチョウ愛護団体が飛来シーズンを前にして対策に頭を悩ませている。
    • 餌付け時の靴の履き替えや観光客の接近の制限を検討する団体もあるが、内部に「そこまでやる必要があるのか」との声も根強い。
    • 「見えない敵」への警戒とハクチョウへの愛着の間で揺れている。
  • 犀川白鳥湖などで越冬するハクチョウを世話している「アルプス白鳥の会」によると、2007(平成19)年-2008年のシーズンは、安曇野市一帯で975羽が越冬した。
    • 同会内では現在、対策として会員以外への餌やり自粛の要請、給餌担当者の衣服、靴の着替え、手洗いの徹底などが挙がっている。
  • 人間への直接の感染はないとされるが、人が野鳥のふんを付着させて移動すると、鶏などへの感染の危険性が高まる。
    • 「餌付けで接近するとふんを踏んだり、ふんが体に付いたりする。着替えや手洗いは最低限必要」と同会の会田さん(59)。
  • ただ、同会も対応は固まっていない
    • 会合では、会員から「鳥インフルエンザが発生するかどうかも分からない」と意見も出て、対策に慎重な声が大勢を占めた。
  • 犀川白鳥湖は、ハクチョウが初飛来した直後の1985(昭和60)年に結成された同会の活動により、越冬地として定着。
    • 冬の観光スポットとして全国に知られるようになった。
    • 「来る人が減るのは寂しい。どう向き合うべきか、しっかり考えたい」と原とみ子代表(73)。
  • 諏訪地方で活動している「諏訪湖白鳥の会」も対策は未定。
    • 「少なくとも、訪れた人に直接手を触れないよう注意を促す必要がある」と事務局長(53)。
    • 「見に来た人をがっかりさせることは言いにくい」とも。
  • 県外では対策を始める地域がある。
    • 比内地鶏の主産地、秋田県大館市では2007(平成19)年-2008年の冬、市が餌付けを禁止した。
    • 「影響を考えると仕方ないが、冬に感じていた気持ちの潤いがなくなった」と、約20年にわたり世話をしてきた「大館白鳥の会」の事務局長(56)
  • 「危機管理は行政の仕事で、行政の指導も必要ではないか」と安曇野市の「御宝田白鳥の会」の会員(75)。
    • 原則として野鳥への餌付けは好ましくない。現時点で指導はしていないが自粛を求める方向で検討している」と、県野生鳥獣対策室
信濃毎日新聞
2008.04.16
  • 桜を見ながら飛び立つ白鳥
  • 安曇野で越冬している白鳥の数が41羽にまで減った。
    • 前日までは200羽前後いたといい、まるで桜の咲き始めが合図だったかのように、北へ飛び立ったとみられる。
    • 暖冬だった昨年は4月13日に最後の白鳥が飛び立った。
  • 今年は4月に入っても300羽以上いて、「花見をしたいのかな」との声も聞かれた。
    • 「いなくなるのは寂しいが、いつまでも残っているのも心配だった」と、白鳥の会の会員。
市民タイムス
2008.03.16
  • 白鳥を見ながらつきたてのもち
  • 白鳥湖に飛来する白鳥の世話をしている「アルプス白鳥の会」は、白鳥湖に面したえさ場で新年恒例のもちつきをした。
    • 白鳥見物に訪れた市民や観光客に振る舞った。
    • もちつきはえさの提供者や見物客に感謝しようと1995(平成7)年に始まった。
信濃毎日新聞
2008.01.09
  • 犀川に憩う「冬の使者」
  • 安曇野全体で535羽のコハクチョウが飛来。
    • 772羽が越冬した昨季とほぼ同じペース。
    • 例年1月下旬から2月中旬にかけてコハクチョウの数が最も多くなり、その後北帰行が始まる。
2007.11.01
  • 安曇野に冬を告げるコハクチョウ
  • 安曇野に飛来する冬の使者・コハクチョウの数が日増しに増え、県内外から訪れる観光客の数も次第に目立っている。
    • 白鳥湖では25羽がシベリア(ロシア)からの長旅の翼を休めている。
タウン情報
2007.10.17
  • 「冬の使者」安曇野に
  • 6日朝、コハクチョウ1羽が今季初めて飛来した。
    • 安曇野一帯の昨季の越冬数は暖冬の影響もあり、その前のシーズンと比べて3分の1の772羽に激減した。
信濃毎日新聞
2007.10.10
  • 寝床も万全 白鳥おいで
  • 安曇野に白鳥が飛来する時季が近づき、地元のボランティア団体・アルプス白鳥の会が観察小屋や餌の保管場所を設ける作業をした。
    • 昨年7月の豪雨で左岸側の河川敷が削られた中で迎えた昨季と打って変わって、今季は犀川から水をひく農業用水路の復旧によって「(白鳥が羽を休める)よどみが広がりねぐらとなる中州もあって越冬には最高の条件」が整い、会員たちは飛来を心待ちにしていた。
  • 準備作業では、トラックの荷台に載せた観察小屋「白鳥観察館」を岸辺に設置した。
    • 餌やり場を従来の場所から100メートルほど上流に移して、その近くに餌を保管するビニールハウスも造った。
    • 会では白鳥の餌となるくず米の提供も求めている。
    • 安曇野への白鳥の初飛来は昨年が10月14日、一昨年は12日で、平均だと19日。
市民タイムス
2007.06.07
  • 白鳥の越冬 3分の1に
  • 安曇野一帯で
  • 記録的な暖冬の影響か。
信濃毎日新聞
2006.08.29
  • 白鳥越冬ピンチ
  • 7月の豪雨で流れ変化
  • 河川敷削られよどみ消える
市民タイムス
2006.02.12
  • 安曇野で越冬する白鳥を見守る原とみ子さん
  • 定年退職後、地元のボランティア団体「アルプス白鳥の会」に入会。
    • 以来12年、近くの自宅から朝、昼、夕の3回、毎日欠かさず訪れる。
    • 会員と手分けして、1回に与える餌は米や麦15キロ。
    • 「白鳥かあちゃん」と呼ばれ、2003年(平成15)から代表。
  • 1984年(昭和59)に56羽が初めて飛来した。
    • 犀川にはヨシやコケなど自然の餌が少ないが、会員の世話により飛来数は増加。
    • 3年前には安曇野全体で千羽を超えるようになった。
  • 今季は、倍以上の2400羽と異例。
    • 「北陸の越冬地が記録的豪雪となり、餌を求めて飛来したのでは」と思う。
    • 増えすぎて、麦畑が荒らされる被害もあり「歓迎できる現象ではない」。
朝日新聞(東京多摩版)
2004.10.15
  • 安曇野に早めの飛来
  • コハクチョウ、豊科の犀川に
信濃毎日新聞
拾ケ堰(じっかせぎ) >>戻る
2008.07.30
  • 農業用水路にワカサギ
  • 「拾ケ堰」 どこから?
  • 国などが実施した魚類の生息状況調査で、ワカサギが見つかった。
    • 調査地点四カ所の内の一つで投網に1匹掛かった。
    • 諏訪湖など湖沼に生息し、周辺河川には産卵で遡上するが、「農業用水路での発見例は聞いたことがない」と、県水産試験場諏訪支場(下諏訪町)。
  • 市耕地林務課によると、堰に流入する複数の水路も水がないと流れない排水路で、ワカサギが生息しているとは考えにくいという。
    • 「流れのある所でこれだけ成長したとは考えられない。他の湖沼から移そうとしても30分ほどで死んでしまう。何らかの原因で偶然いたとしか考えられない」と、諏訪支場の主任研究員。
信濃毎日新聞
2008.07.29
  • イワナ「取れたよ!」
  • 小学生ら約50人がイワナのつかみ取りをした。
    • 堰を維持管理などをボランティアで担っている住民組織「拾ケ堰応援隊」が、堰に親しみ、大切にする意識を持ってもらおうと毎年企画しており、4回目。
    • 約40メートル区間をせき止め、約200匹を放流。
  • つかみ取りの前には、護岸に自然石を積んだ「景観重点区間」約300メートルの歩道で草むしりもした。
    • 応援隊と拾ケ堰土地改良区が堰の果たす役割や先人の労苦を記したガイドブックも子どもらに配った。
2008.06.01
  • 常念に向かう流れ
  • 拾ケ堰の記念碑
  • 野辺の散歩道
  • 安曇野最大の農業用水路・拾ケ堰をたたえて、「山に向かって流れる川」という表現を聞いたことがある。
    • 高い所から低い所へ、山を背にして下るはずの水流を逆転させたということ。
    • 実際、堰の中流部辺りに行くと、水は常念岳に向かってゆったりと流れている。
  • 拾ケ堰は、木曽に発する水量豊かな奈良井川から取水(松本市島内)し、梓川を横切って標高570メートルの標高線に沿って烏川まで北流する。
    • 安曇野は西山から流れる川によって造られた扇状地が並んでいるから、同心円状の東向き緩斜面の等高線を南から北へなぞると、場所によって西向きに弧を描く。
    • これが山と向き合う水流の秘密。
    • 完成は1816(文化13)年で、極めて緩やかな傾斜の水路築造を可能にした当時の測量・土木技術の精密さに舌を巻く。
  • 拾ケ堰の長さは15キロで、受益面積は900ヘクタールを超す。
    • 1ヘクタールを潤すために必要な水路延長は、県平均で100メートル余りだが、拾ケ堰は16メートルと少なく、「非常に効率の良い水田開発だった」。
  • 豊科・三郷境の堰脇に県が1995(平成7)年に整えた憩いの場に「安曇野と拾ケ堰」と題する碑がある。
    • 「県屈指の米どころ安曇野を形成し、美しい北アルプスの山麓に水と緑の豊かな田園とその文化を拾ケ堰は育ててきた」という碑文。
市民タイムス
2007.10.27
  • 拾ヶ堰ガイドブック完成
  • 堰を維持管理している拾ケ堰土地改良区と草刈り作業などをしている住民組織の拾ケ堰応援隊が製作。
    • 近年、ごみの投機が目立っており、歴史や役割を住民に伝えて堰を大切にする意識を高めようと企画した。
    • 安曇野の地形や地質、当時の工事の様子、現代の維持管理の風景などを解説。
    • 堰の清掃作業や草刈りなどの参加者に無料配付するほか、学校の教材としても活用を図る。
信濃毎日新聞
貞享義民記念館 >>戻る
2007.11.14
  • 「貞享騒動」理解深めて
  • 演劇 籾は死なず 上演実行委など
  • 背景や意義学ぶシンポジウム企画
  • 松本地方の演劇団体などが来年松本市で上演する「籾(もみ)は死なず」をめぐるシンポジウムが「貞享義民記念館」で開かれる。
    • 「籾は死なず」は、今年亡くなった安曇野市出身の映画監督熊井啓さんが長年温めてきたテーマで、熊井さんが上演に向けて総指揮を務めていた。
  • 貞享騒動は、1686(貞享3)年の中萱(なかがや)村(現在の安曇野市三郷明盛(みさとめいせい))で起きた。
    • 凶作が続く中、松本藩が一層厳しい年貢を課したことに抗議し、庄屋の多田加助らが中心となって年貢の軽減を直訴。
    • 藩はいったん農民の要求を聞き入れる覚書を出したがすぐに返上させ、加助ら中心人物とその師弟ら28人を処刑した。
  • 「あまり知られていない貞享騒動の背景や歴史的意義などを、きちんと学習しようと計画した」と、上演実行委員会代表の松本大学学長。
信濃毎日新聞
2007.03.02
  • 権力に挑んだ加助の志
  • 1686年(貞享3)に、旧三郷村で、厳しい年貢の取り立てに耐え切れなくなった農民が、松本藩に対して他藩並みの年貢に引き下げるよう訴えた。
    • 首謀者は多田加助ら28人。
    • 命をかけて生きる権利を訴えたが、処刑された。
    • 農民が自分たちで食べる分はほとんどなかったという。
  • 多田家跡の周辺は「義民の里」として整備されている。
市民タイムス
常念岳(山頂は松本市) >>戻る
2008.05.23
  • 見つめ直すウェストン
  • 7月 常念岳市民登山
  • ゆかりの教会牧師ら参加
  • 安曇野市民でつくる「ふるさと常念登山の会」が7月に計画する常念岳(2857m)の市民登山に、英国人宣教師ウォルター・ウェストンゆかりの横浜市(神奈川県)の教会から牧師らが初めて参加する。
    • 日本アルプスを世界に紹介した功績を見つめ直そうと同会が呼び掛け、教会側も登山を通じて「先輩」の生き方を知ろうと参加を決めた。
  • ウェストンは3回来日し、計13年間日本に滞在。
    • 初来日していた1894(明治27)年、常念岳に登頂し、眺望の素晴らしさや地元住民との交わりを記録に残している。
    • 2度目に滞在した1902(明治35)年から4年間、横浜市の横浜アンデレ教会に在籍した。
  • 窓口役になった日本聖公会横浜教区の山崎牧師(71)によると、ウェストンは登山にのめり込んで牧師の仕事に不熱心だった−という評価が一部の牧師らにある。
    • これに対し「登山は休暇を利用しており、仕事に熱心だったのは文献から明らか。誤解を解きたい」と山崎さん。
    • それも今回の登山に参加する目的とする。
  • 「牧師の皆さんが花を添えてくれてありがたい」とウェストンの常念岳登山を曾祖父が案内した藤原会長(68)。
    • 市民登山は、5町村の合併で2005(平成17)年に発足した安曇野市の一体感を広げようと昨年初めて開催。
信濃毎日新聞
早春賦歌碑公園 >>戻る
2008.04.30
  • 世代と国越え歌う「早春賦」
  • 安曇野に春を告げる第25回「早春賦まつり」が29日、歌碑前で開かれた。
    • 青空に北アルプスの山々が映える絶好の天気の下、子供たちのチャイム演奏でまつりの幕を開けた。
    • サクラさんとディーバさんは3世代が共に歌うステージに登場し、日本語の歌詞にともどうことなく歌いきった。
市民タイムス
2008.04.29
  • 「早春賦」 作詞者の孫が市長訪問
  • 早春賦まつり」に出席するため、孫のディーバさん(12)を伴い25年ぶりに安曇野を訪れたサクラさんは、「次は安曇野の人たちにインドネシアに来てもらい、共に早春賦を響かせたい」と夢を語った。
    • (※同じ新聞の記事で20日付と29日付でディーバさんの年齢が違う)
2008.04.20
  • 早春賦まつり サクラさん来訪
  • 歌支えに生き抜いた人生
  • 作詞者の孫・インドネシア人
  • 第25回「早春賦まつり」に「早春賦」の作詞者・吉丸一昌(1873(明治6)年-1916(大正5)年)の孫。
    • でインドネシア人のサクラ・ナルカヤさん(62)が訪れることが決まった。
    • 今回は、サクラさんの半生を振り返るドキュメンタリー映画「二つの故国をつなぐ歌−Diva早春賦を歌う」に出演する、サクラさんの孫娘・ディーバさん(13)が初めて安曇野を訪れる。
  • 戦争時の落とし子であるサクラさんは、一昌の二男である父親捜しに半生を注いだ。
    • スマトラ島を襲った大津波では親族や家財を失うなど波乱万丈の人生を、春を待ち望む「早春賦」を支えに生き抜く。
    • 当日は早春賦歌碑前で、地元の合唱団らとともに亡き祖父が残した「早春賦」を歌う。
    • ディーバさんは将来、日本への留学を希望しており、市内の中学校で授業風景を見学する計画もある。
2007.04.30
  • 「早春賦」青空に響く
  • 県内外から300人
  • 早春賦まつり
2007.04.29
  • 郷土愛こもる「早春賦」歌碑 
  • 故橋節郎さん 筆振るう 
  • イベント前に地元で話題
2007.04.24
  • 早春賦支えに苦難乗り越え 
  • 日本−インドネシア 家族のきずな
タウン情報
2007.04.21
  • 希望の灯 常に抱く
  • 歌の真意 体現する人生
  • 海を越えた「早春賦」D
  • 1月1日、サクラさんが営むホテルに大勢の人だかりができた。
    • 穂高の「早春賦」歌碑の拓本から造られたモニュメントの除幕式。
    • ディーバさんたちが、この日のために練習を重ねた「早春賦」を歌うシーンが映画のクライマックスとなる。
    • 少女たちに歌声に、大町市で収録された「早春賦千人大合唱」の壮大な歌声が重ねられる。
  • 吉丸昌昭は、貧しい下級武士の子に生まれ苦学を重ねた。
    • 自宅の私塾で地方出身の恵まれない若者の面倒を見て、日本初の夜間中学校も開いた。
  • 昌昭さんは「祖父が早春賦に込めた真の願いは何か」という答えを心に秘めて映画を作った。それは「春を待つことは希望を失わずに生きるということ」。
    • 2年に及んだ撮影は、サクラさんの人生を通して、その答えを確かめる取り組みでもあった。
市民タイムス
2007.04.19
  • 巨大津波で孫を失う
  • 映画制作誓う
  • 海を越えた「早春賦」A
  • 2004年(平成16)12月26日、インドネシア・スマトラ島西沖でマグニチュード9.3の地震が発生した。
    • その後起きた巨大津波はインド洋沿岸を次々に襲い、サクラさんが住むバンダアチェの街をもろとも飲み込んだ。
    • ニュースは「バンダアチェが地上から完全に姿を消した」と伝えていた。
  • 消息不明の1カ月後、サクラさんは災害時、シンガポールで入院していて幸いにも難を逃れたことがわかった。
    • だが、津波は海岸から3キロ離れた鉄筋コンクリートの自宅を大破し、5歳の孫をはじめ親族の命を奪った。
  • 昌昭さんはテレビ番組やCMを制作する制作会社に入って世界中を飛び回っていた。
    • 以前から祖父と「早春賦」の顕彰がライフワークだった昌昭さんだが、今回のドキュメンタリー映画を撮るきっかけは、2004年(平成16)10月のサクラさんの夫の訃報だった。
    • 「異国で暮らすいとこの半生を記録する『サクラの戦後60年』を作ろう」との思いを抱き、企画、制作準備を進めていたころに津波の惨事は起こった。
  • 昌昭さんは外務省が渡航自粛地区としていたバンダアチェに入った。
      • その風景は「まるで原爆が落とされた跡だった」。
      • サクラさんが家宝として居間に飾っていた早春賦歌碑の拓本も流された。
      • 諸外国の救援隊でごった返すメダン空港で、サクラさんは昌昭さんに会うなり言った。
      • 「インドネシアのことを忘れてなかったのですね」。
      • その一言は昌昭さんに、あきらめかけていた映画の制作続行を固く誓わせた。
2007.04.17
  • 「私のパパを捜して」
  • 異国に流れる吉丸の血
  • 海を越えた「早春賦」@
  • 安曇野で春を待ちわびる心を歌ったとされる「早春賦」にまつわるドキュメンタリー映画「二つの故国をつなぐ歌−Diva早春賦をうたう」が完成。
    • 主人公は大津波の爪痕が残るインドネシア・スマトラ島に暮らすサクラ・ナルカヤさん(61)で、早春賦を作詞した吉丸一昌(1873年(明治6)-1916年(大正5))の孫である。
  • 映画は同じく一昌の孫である東京都調布市の吉丸昌昭さん(67)が2年をかけて制作した。
    • 昌昭さんは青少年時代を旧三郷村(現、安曇野市)で過ごした。祖父が偉大な教育者で「早春賦」の作詞者であることは聞かされていたが、自分が生まれた時は既にこの世を去っていた。
    • 大町高校(大町市)に入学した日、校歌の作詞者が祖父であると知り、「初めて親近感を覚えた」という。
  • インドネシア・スマトラ島北端のバンダアチェでは自分の父親を捜す少女がいた。
    • 名前はサクラ。
    • 終戦間際、元日本兵と現地女性との間に生まれた。
    • 父は終戦後、メモを残して日本に引き上げた。
    • 「私の名は池尻昌言。この娘はサクラと命名する。戦争に負けやむなく日本に帰るが必ず戻ってくる」
    • サクラさんは物心ついたころから、「自分の名がなぜ日本名か。なぜ父親がいないのか」と疑問を抱き、母親を悩ませた。父親探しは7歳から始まった。
    • 日本人商社マンが訪れるたびに「パパを探して」と懇願したが、まともに受け止める人はいない。
  • 捜し始めて20数年たった1974年(昭和49)に、バンダアチェに駐留していた戦友会22人が戦跡訪問のため訪れた。
    • その中の一人に父が残したメモを渡した。
    • 帰国後すぐ高崎市役所の記者クラブで会見を開いた。
    • サクラさんの願いは、毎日新聞の全国版に「父の『池尻』捜して」という見出しで報じられた。
    • その日、東京の昌昭さんの実家では、この記事をめぐる大騒動が起きた。
2007.04.16
  • 桜の花あり桜に北アとワサビ田
  • 穂高川沿いに点在する見ごろを迎えた桜並木の背後には残雪の北アルプスの山並みが望め、すぐ南側には青々としたワサビ田が広がっている。
大王わさび農場 >>戻る
2008.04.05
  • 花ワサビの花 農場の春彩る
  • ワサビの花が見ごろ。
    • ワサビ田を見渡す園路沿いでは梅の花も咲いている。
    • 植えてから1〜2年たったワサビが「白い十字架」と呼ばれるかれんな花を咲かせ、一面に広がる緑色の”じゅうたん”を彩る。
    • 2月中旬に咲き始め、今月いっぱい楽しめるという。
    • 紅白の梅が7、8分咲きとなり、コヒガンザクラのつぼみも膨らんでいる。
市民タイムス
2008.01.05
  • ハンバーグにワサビの薬
  • 穂高のそば処大王
  • 新メニュー 和風味が人気
  • ワサビの葉をメーンにした和風ハンバーグが新作料理として登場。
    • 肉の上に大きな葉を1枚載せて焼き、ワサビと大根おろしを混ぜたドレッシングをかけてさっぱりとした味に仕上げている。
2007.11.14
  • 程よい辛さでやめられない!?
  • 「えびせん」にワサビ味
  • 安曇野産100%使用 カルビーと開発
  • 安曇野特産のワサビを100%使用したスナック菓子「かっぱえびせん わさび味」が、信州の土産品として県内限定で販売され、話題となっている。
2007.11.07
  • 輝くワサビ田に万華鏡
  • クラフト工房 オリジナル商品人気
  • 農場内の安曇野クラフト工房に、オリジナルの万華鏡を販売するコーナーがあり、人気を集めている。
    • 万華鏡作りの世界チャンピオンが考案したキットで手作りした万華鏡など、よそで手に入らない商品が多く、制作体験もできる。
    • 「清流が輝き緑の葉が鮮やかなワサビ田の風景はまるで万華鏡のようだ」と工房を出店する角田さん(45)が感じたのがきっかけ。
  • 昨年、万華鏡の世界大会で2年連続グランプリに輝いた依田夫妻(東京都)宅を訪ねた。
    • 「子供に万華鏡を見せて作らせる場を与えたい」という願いで意気投合し、依田夫妻が考案したキットを特別に仕入れる話がまとまった。
2007.05.21
  • 日本一の名水でのどを潤す
  • 口に「ひやり」のち「甘み」
  • 安曇野わさび田湧水群
  • 朝日新聞会員サービスホームページでのアンケート結果。
  • 半年から数年かけて地下をくぐり、雪解け水は地表に現れる。
    • 自然の「濾過装置」を経た安曇野の湧き水は、硬度25〜55前後の軟水。
    • カルシウム、マグネシウムなどのミネラル分が比較的少なく、まろやかな口当たりを生む。
    • 1年を通じてほぼ13度の水温も、おいしさの重要なポイント。
  • 入り口の左手には、黒沢明監督がほれ込み、映画「夢」の舞台に選んだ水車小屋が悠然と構える。
  • 東京ドーム11個分の敷地に、小石を積み上げた畝が幾重にも連なり、その間をさらさらと水が流れていた。
  • 安曇野のわさびづくりは、明治初期、北アルプスに自生していた苗を梨畑の用水路に植えたことに始まる。
    • 一躍脚光を浴びたのは、1923年(大正12)の関東大震災。
    • 東海道線の不通で伊豆・静岡産が東京に入らなくなり、代替品として出荷量が倍増。
    • 寒暖差の大きい気候でじっくり育まれた辛みの「冴え」が評判を呼んだ。
  • わさびといえば静岡県と思う人が多いが、販売量は現在、加工品を含め長野県が全国一
朝日新聞(東京多摩版)
2005.01.25
  • 皇太子(現、天皇)ご来訪、観光化に弾み
  • 当時の公衆トイレ廃止で振り返る
  • 大王わさび農場は1951年(昭和26)当時、わさびの卸売りだけを手がけていて、現在のように立派な施設はなかった。
  • 皇太子夫妻の訪問が決まり、休憩のために2時間半ほど滞在される建物と、随行員の休憩所、警備関係者の詰め所の建設が必要になった。
    • 農場側は高い建設費を負担することに当初は難色を示したが、当時の町長に「町の名誉と観光のためにやってほしい」と説得された。
    • 突貫工事で3つの建物を1億3千万円かけて建設した。
    • すべてが完成したのは訪問の前日だったという。
    • これに合わせて町は農場わきに駐車場と公衆トイレを設置した。
  • ワサビ田にすむ魚をお見せした際には、皇太子さまが「ウグイですね」と話され、社長が「殿下、それは違います。アカウオです」と言うと、皇太子さまは笑顔で「学名ではウグイというんですよ」と話されたという。
    • この訪問をきっかけにして完成した建物を活用するため、小売りと観光関連にも乗り出した。
    • 皇太子夫妻の滞在がきっかけで安曇野の知名度が上がり、その後の営業努力で観光地としての地位を築いた。
    • 夫妻が滞在された建物は、現在も観光シーズンには茶室として開放され、他の建物も土産店などとして利用されている。
  • 「農場の今の姿が当たり前のように思われていますが、ここに至る歴史も知ってもらえれば」と社長。
市民タイムス
田淵行男記念館 >>戻る
2008.07.18
  • 新グッズにピンバッジ
  • 記念館グッズに新たにピンバッジが加わった。
    • 緑の葉、黄色いリュックサック、緑色のチョウが描かれた3種類。
    • 記念館の活動を支援する友の会が考案。
  • 緑の葉は田淵の写真集『山のアルバム』の外箱に描かれていた絵。
  • リュックサックは田淵本人が描いた絵で、1985(昭和60)年に発売のエッセー『黄色いテント』で挿絵に使われている。
  • チョウは、チョウの観察記録や環境を写した写真集『高山蝶』の巻末にある印。
市民タイムス
2008.04.1
  • 桜の花あり色濃く 百楽桜
記念館前にある「百楽(ひゃくらく)」が見ごろ。
  • 桜は、常念岳に206回登った田淵行男の言葉「一山百落」(一つの山には百の楽しみがある)にちなんで名付けられた。
  • 田淵がチョウの研究のため訪ねた、白馬村の寺院にあったエドヒガンザクラを母木にしている。
2008.03.2?
  • 花花々咲き 春の訪れ
  • ワサビ田で、ミズバショウが白い花を咲かせている。
    • 周囲にはリュウキンカやザゼンソウも見られ、安曇野の春の訪れを告げている。
    • 4月6日、桜の鑑賞に合わせ、入館者に抹茶や菓子を振る舞う「さくらまつり」を予定。
信濃毎日新聞?
2008.01.20
  • 大自然に残る人々の足跡
  • 「尾根路をゆく モノクローム山岳写真の魅力」展
  • 田淵行男は日本のネイチャーフォトの原点に立つ写真家である。
    • 自然を愛し、自らその中に入り込んで撮影を行う態度は、現在活躍中の多くの写真家が畏敬の念を払い、その目標としている。
  • 自然写真というと人物像や電線・民家といった人工物が写し込まれていない作品というのが一般的な認識か。
    • しかし、「自然」と呼ばれているものは、実は、私たちの祖先の営みが築きあげてきたものを多分に含んでいる。
    • そこにある「山」を写真によって表現するには、急峻な絶壁や頂上の絶景を撮影しただけでは、その全貌を表現し記録したとは言えない。
    • 山の麓には人々の生活があり、その営みは山から恵みを分けてもらうための山道となり、山へのあこがれとともに、足取りはやがて尾根路となる。
    • 山へ向かう汽車、農村の風景、深い森林、古びた山小屋、彼にとってはどのどれもが山を構成する一部であり、作品の中の重要な要素なのだ。
    • 開催中の企画展では、そのような「登山者」の視点から作品を選出し、展示構成している。
  • 一つの物語を、手軽に何カットでも撮影し持ち運ぶことができるデジタル写真全盛の時代だからこそ、シャッターを切る瞬間にこだわった田淵の視線に注目し組み立ててみた。
    • 田淵が何を見つめていたのか、作品に添えた詩を手がかりに味わっていただきたい。
  • 作品は1940(昭和15)年〜1960(昭和35)年代のものが多く、もはや人工物とはいっても時間の重みが加わり、見るものに郷愁を感じさせる景色のひとつになっている。(学芸員・今井亜美氏・抜粋)
市民タイムス
2008.01.19
  • 花早くも春の顔
  • フキノトウ
  • 敷地内にあるワサビ田の周りで、フキノトウが顔を出し始めた。
    • 地中から黄緑色の小さな花茎を見せている。
    • 「年々フキノトウの出るのが早まっている。温暖化の影響だろうか」と同館。
2007.12.25
  • 夜景幻想的な光の芸術
  • キャンドルナイト
  • 同館近くで開催中の「Azumino光のページェント」に合わせて初開催。
    • イルミネーションを見た後、記念館にも足を運んでもらおうと、夜間開館した。
    • 前庭のワサビ田にろうそく100個を浮かべたほか、「あづみ野ガラス工房」の作家が作品「意識の痕跡」を展示。
    • ガラスの塊がブラックライトで浮かび上がり、幻想的な芸術の夜を演出した。
    • 「今まで美術館や芸術などに関心がなかった人も、これをきっかけに少しでも興味を持ってくれたら」と学芸員。
タウン情報
2007.12.19
  • 夜景夜のミュージアム堪能
  • 22、23日、開館時間を午後9時まで延長する夜間開館を実施する。
    • 午後6時からは施設周辺に並べた約100本のろうそくに火をともす「キャンドルナイト」を催し、幻想的な雰囲気をつくり出す。
    • 記念館を含む観光スポット・安曇野の里で開催中のイルミネーションイベント「Azumino光のページェント」に合わせた企画で、午後5時半以降の来館者には学芸員作りのペーパーウエートが贈られる(先着10人)。
市民タイムス
2007.10.13
  • 花ツリフネソウ満開
  • 昆虫の宝庫に
  • 前庭のワサビ田でツリフネソウが満開。
    • ハチやチョウが飛び交っている。
  • 「チョウが集まる場に」と高山蝶の研究家で安曇野市出身の写真家田淵行男(1905(明治38)年-1989(平成元)年)の願いを受け、開館時に職員が庭に種をまいた。
    • 今年は、季節外れのハナショウブが数株、ツリフネソウの群落に交じって咲いた。
    • 庭にはほかに、ワスレナグサや秋の七草フジバカマも咲き乱れ、昆虫の宝庫に。
タウン情報
2007.10.05
  • 山とチョウの写真ずらり
  • 企画展
  • 企画展「山と高山蝶」。
    • 写真家の田淵行男が約50年前に撮った山やチョウの写真を中心に展示。
信濃毎日新聞
2007.08.08
  • 昆虫の「不思議」紹介
  • 滋賀県大津市の写真家、今森光彦さんの作品展「世界の昆虫たち」。
    • 「虫や植物の造形のおもしろさ、自然の不思議さに触れてほしい」。
2007.04.01
  • 花春告げるミズバショウ
  • 田淵行男記念館に咲く
  • 暖冬のためか例年より一週間ほど早い。
    • 5月の連休ころまで楽しめそうという。
市民タイムス
2007.03.25
  • 花安曇野にも春
  • ザゼンソウ開花
  • ザゼンソウは、記念館の周りを取り囲むワサビ田の一角に、一株だけが生えている。
    • 座禅を組む達磨大師の姿に似ていることからダルマソウとも呼ばれている。
    • 黄色の花を付けるリュウキンカも咲いているほか、4月になると前庭に植えられた桜も開花して、一帯は”花の季節”を迎える。
2006.01.15
  • 素顔の田淵行男
  • 終戦後、教育用理科教材のスライド写真を手がける仕事につくが、ノルマをこなすほかは、山の中に入り込み、原始の美しい自然が残る安曇野と北アルプスを一人むさぼり、写真に収めるという生活を続けていた。
  • 多く残した蝶の細密画もこの頃制作したもの。
  • 1950年(昭和25)、「山のアルバム」は20冊を超えていた。
  • ふとしたことをきっかけに、これらが知人の手を介し、朝日新聞社に持ち込まれ、復刊したばかりの「アサヒカメラ」誌の編集長の目に留まる。
  • そして、雑誌への写真掲載、作品集の発行が矢継ぎ早に決まる。
  • これは写真界にとっても大事件だった。
2005.08.24
  • 細密画で「安曇野の蝶」
  • 企画展「山の絵本 安曇野の蝶 田淵行男の細密画」
    • 鉛筆と水彩で、羽の模様や体毛の一本一本を色鮮やかに描き込んだ約20点が並ぶ。
信濃毎日新聞
豊科郷土博物館 >>戻る
2008.08.16
  • お勝手から探る安曇野
  • 開催に当たり、学芸員が、地域のお年寄りを訪ね、安曇野のお勝手事情を聞き取り調査した。
    • 安曇野は古くから、県内でも有数の米どころだったが、戦時中は、米穀の配給制と供出制度により、農家でも米を自由に食べることができなかった。
    • このため、1955(昭和30)年ころまで、安曇野の食文化は、小麦粉を加工した「粉食」だったといい、当時のお勝手で活躍した「こね鉢」「ふかし釜」「うどん練り出し機」といった調理器具が並ぶ。
    • すいとん、薄焼き、七夕まんじゅうなどの粉食は写真を展示。
  • 薪の準備や火の管理など手間が掛からない「ぬかくど」(米のもみ殻を燃料にしたかまど)は昭和20(1945)〜30(1955)年代に普及。
    • 農家女性の家事の負担を劇的に軽減したという。
    • 市民全体でつくる安曇野ブランドデザイン会議の「ぬかくど隊」が、ぬかくどでご飯を炊き、来館者に振る舞った。
  • 「昔の暮らしは決して楽ではなかったが、近所同士助け合い、みんなで協力して生きていた。一仕事した後に飲むお茶の時間が楽しかった」と展示を懐かしそうに見ていた女性(77)。
タウン情報
2008.07.04
  • 昭和の「お勝手」再現
  • 暮らしの変遷たどる
  • 特別展「お勝手からみた安曇野」
    • 博物館が収蔵する調理器具を中心に展示。
    • 台所用品の発展や食生活の変化、家庭での女性の役割などを探る。
    • 安曇野の伝統食の料理教室や、郷土料理にかんする講演会も開かれる。
市民タイムス
2007.12.02
  • 江戸−明治の絵馬16点
  • 特別展「絵馬ものがたり 安曇野の庶民の祈り」
    • 市内の神社に奉納されている江戸時代末期から明治時代の絵馬を展示。
    • 神話や昔話の1場面をとらえた絵馬に絞って展示。
    • かつては地区ごとなど複数人で絵馬を奉納したため、大型のものが多いという。
  • 展示品で最も古いのは1835(天保(てんぽう)6)年。
    • 戦国武将加藤清正が押さえつけた虎に刀を当てがう「虎退治」。
  • 最大の絵馬は縦1メートル、横2.6メートル。
    • 鎌倉時代の武将新田義貞が北条氏を攻める前に黄金の力を海に沈め、竜神に祈りをささげる場面。
信濃毎日新聞
2007.08.17
  • 絵地図で実感 安曇野の歴史 
  • 江戸−明治の30点展示 
  • 上を歩ける拡大版も
  • 村と村の境界線を明確にするために用いられたという「絵地図」は、現在の地図とは異なり、目的をはっきりさせて描くことに主眼が置かれた。
市民タイムス
2007.08.14
  • 歴史への思い 絵地図の旅
  • 夏の特別展「絵地図で旅する安曇野」。
    • 地図の起源は、文字の起源よりもさらに数千年さかのぼるという。
    • 特別展は江戸時代から明治、現代に至るまで安曇野を中心に描かれた絵地図の移り変わり時代に沿って見られる。
  • 目玉の巨大絵地図「松本藩領村々絵図」(1710-20年代)の写しは、セイコーエプソン松本事業所の協力で、現存する絵地図を1.8倍に拡大。
    • 靴を脱ぎ、実際に地図の上を歩きながら見ることができる。
タウン情報
2007.08.09
  • 「絵地図で旅する安曇野」
  • 江戸から明治初期の30点
  • 「昔」と「今」から、次の街づくりへ
  • 「未来」も描いて展示を
  • 「当時の風景も感じ取れる独特の世界観も見どころ」と館長。
    • 「境界・水・山」と題したコーナー
      • 村の境界を示した絵地図や氾濫を繰り返した犀川の境を取り決めた地図などを展示。
      • 「東海道膝栗毛」で知られる十辺舎一九が安曇野を描いた「続膝栗毛」。
  • 絵地図作家・谷口靖子さんが1987(昭和62)年に美術大学の卒業制作のひとつとして作製した「安曇野1点からぐるり地図」。
  • 「見る人が今と昔の安曇野との違いを知り、これからの街づくりを考えるきっかけにしてほしい」との思いを込め、「未来の絵地図」を展示。
中日新聞松本ホームサービス
2007.04.12
  • 応募は過去最多
  • 白鳥写真展
タウン情報
2007.02.03
  • 地元の文化拠点 活動盛ん
  • 豊科郷土博物館「友の会」
  • 書道や絵画 11の部活動
  • 今後も会員拡大へ
  • 「博物館友の会」の部活動が盛ん。
    • 美術、写真、絵手紙など11の部があり、約300人
    • 会員のほぼ全員がいずれかの部に入っている。
  • 同館は「一般に友の会といえば、館の主催事業に参加するファンの集まり。部活動が活発なのは県内でも珍しいのでは」と言う。
  • 2005年(平成17)に発足した安曇野市には、ほかの旧町村に民俗資料館があるため、館の在り方を見直す時期にきているという。
信濃毎日新聞
2007.01.28
  • 一足早く桃の節句
  • 明治のひな人形展示
市民タイムス
2006.08.27
  • 入館者、前年比2000人増
  • 刀剣の特別展が後押し
  • 本年度の入館者の半数以上が8月に開催された安曇野市合併記念特別展「安曇野の刀剣」の入館者1984人で、特別展の展示内容が大きく影響している。
  • 郷土博物館は1979年(昭和54)に開館。
  • 1984年(昭和59)の13694人境に入館者は減少に転じた。
  • 運営が旧豊科町から豊科町文化財団に移行された2001年(平成13)以降は約4700人から約5600人の間で推移している。
豊科近代美術館 >>戻る
2008.08.10
  • 子どもたちに対話型鑑賞
  • 美術館でおしゃべりしよっ!(下)
  • 対話型鑑賞は、大人たちではなく、子どもたちにこそ体験してもらいたい鑑賞方法。
    • 子どもたちの柔軟な発想で作品を鑑賞してもらうと、大人たちが考えもしなかった世界を語り出してくれる。
  • 有名なエピソード
    • 大原美術館(岡山県倉敷市)で子どもたちに対話型鑑賞を行った事例で、モネの描いた「睡蓮」を観た子どもが「カエルがいる!」と言った。
    • モネはカエルなど描いていない。大人が「どこにいるの?」と尋ねたところ、「今は潜っているんだ!」と答えた。
    • 子どもたちが、作品の中に入り込んで作品の本質をきちんと理解していることに驚かされた。
  • 今回の展覧会では、中信地区の小、中学校、高校に呼びかけて、授業や部活動の中で対話型鑑賞を行い、美術館を利用していただける機会を設けている。
    • スライドや写真ではなく本物の作品だけが持つ魅力を直(じか)に感じて、味わってもらいたい。
  • この対話型鑑賞をリードしてきたのは、ニューヨーク近代美術館元学芸員のアメリア・アレナス。
    • この展覧会は彼女の基本構想により「あなたはだれ?」というテーマから始まる。
    • 人を表現した作品だけを選んでみても、作家・時代・素材等によって表現が異なる。
    • 出土品の「縄文のビーナス」(複製)(→尖石縄文考古館(茅野市))・中村不折の「西洋婦人像」・荻原守衛の「坑夫」・草間弥生の「シャングリラの女」が並ぶ。
  • 一つ一つの作品を鑑賞していただくのも良いが、こうして展示した時、どうしてここまでも表現が違うのか、そして、どうして違ってくるのかに気がつけるのではないか。
    • 作品の違い、考え方の違いは個人の違いでもある。
    • これは他人を理解することにも通じてゆく。
    • 美術館賞をすることが人生にとって有意義であることを感じていただければ。 (学芸員。三沢新弥氏・抜粋)
市民タイムス
2008.08.09
  • 作品イメージ 語らう
  • 特別展で「対話型鑑賞」
  • 県内の美術館に収蔵されている作品を集めて、「対話型鑑賞」を試みる特別展「美術館でおしゃべりしよっ!」。
    • 「対話型鑑賞」とは、作者や題名を伏せて作品を鑑賞し、作品から感じたイメージを話し合い理解を深めていく方法。
    • 初日、特別企画として作品の前で自由に討論する講座が開かれ、参加者は思い思いにイメージを膨らませながら作品を語り合う中で、さまざまなとらえ方があることに驚いていた。
2008.06.07
  • 豊科交流学習センターの耐震問題
  • 併設美術館「一部改築」
  • 現在の美術館は個々の展示室が狭く、絵画など大型の作品を運び込めない。
    • 「作家が精根込めた作品を廊下に飾るのは悲しい。美術館の耐震改修に合わせて、広い展示室を館内に計画するのは合理的」と市長。
信濃毎日新聞
  • 熊井啓さんの功績 顕彰
  • 交流施設に展示室
  • 映画資料や遺品 後世に
  • 美術館に隣接して建てる豊科交流学習センターに、昨年亡くなった旧豊科町出身で安曇野市名誉市民の映画監督・熊井啓さんの顕彰展示室を設けることを検討している。
    • 熊井さんが生前に、「没後に映画の世界を紹介する場所を豊科の地に常設してもらえたら」と願っていたことを受け、故人の意志を尊重することにした。
  • 市内には、名誉市民の漆芸家・橋節朗さんの記念館(高橋節郎記念美術館)が地元の北穂高に、安曇野を好んだ写真家・田淵行男さんの記念館(田淵行男記念館)が豊科南穂高にある上、明科出身で名誉市民の能楽師・青木祥二郎さんを顕彰する薪能公演が明科地域で毎年開催され、偉大な故人をたたえている。
    • 市教育委員会は、それぞれゆかりのある地域に顕彰する施設や行事があることなどを踏まえて、熊井さんの作品展示室の設置計画を打ち出した。
市民タイムス
2008.06.07
  • 交流施設 美術館に併設
  • 規制緩和で計画通りに
  • 美術館の耐震基準が改正法に適合していないため、美術館の広さの2分の1以上を増築することができなかった。
    • 既存部分を段階的に改修できる国のガイドラインの一部が改正され、既存部分(美術館)の耐震基準を満たす計画(全体計画)を立てる期間が5年以内から20年程度に緩和され、既存部分の2分の1以上の増築も差し支えがなくなった。
2008.05.30
  • 花色も香りも豪華 バラ800株見ごろ
  • 庭園を彩るのは約800株。
    • 31日から6月8日まで「バラまつり」を開く。
    • 「シーザー」「ゴールドバニー」など約500種類(本当?)が、白、黄、赤などの花を付けている。
    • 美術館の魅力を高めようと、10年以上前に植栽。
信濃毎日新聞
2008.05.01
  • 音に恋する展覧会
  • 「音」に関係した絵画、彫刻、現代アートなどを集め、目に見えないはずの「音」を、見て味わう「美術」で表現した「音に恋した美術展」。
    • 唐津市近代図書館(佐賀県)、釧路市立美術館(北海道)と開く、豊科近代美術館にとっては初の公立美術館共同巡回展。
    • 美術館に気軽に足を運ぶきっかけにと、2年前から3館で準備してきた。
  • 館内には、楽器を演奏する人々を描いた絵、楽器をモチーフにした抽象画のほか、シャガールの版画集「ダフニスとクロエ」(1957(昭和32)年-60年)、マチスの代表作(1947(昭和22)年)といった巨匠の作品も。
  • 現代美術作家、金沢健一さんの作品「音のかけら」シリーズを中心に、実際に触って音を出せる造形作品もあり、館内あちらこちらで不思議な音が響く。
  • 楽器展示コーナーでは、ストラディバリによる小型のバイオリンで、世界に2丁しかないという「ヴィオリーノ・ピッコロ」(1720年)をはじめ、クラシックギターやペダルハープなどヨーロッパの職人が作った貴重な品が並ぶ。
    • ワークショップコンサートでは、形も音色も異なる11種類のバイオリンを演奏、紹介した。
タウン情報
2007.10.17
  • 山形県の学生とオブジェの競演
  • 安曇野の作家ら
  • 「あづみ野ガラス工房」の作家6人と山形県山形市の東北芸術工科大学の大学院生・卒業生14人の合同展「山ぽん長ぽん工芸展」。
    • ガラス工芸や織物、陶磁器などを展示。
  • ともに山に囲まれた地域で活動しており、山形県と長野県の「盆地」から作品を発信しようと命名。
    • 鉄板上に大小のガラス玉約50個をちりばめたオブジェ、長さ約10メートルの織物など芸術性を強調した作品や日常生活での使用を意識した陶器などが並んだ。
信濃毎日新聞
2007.10.03
  • 丁寧に描き個性を発揮
  • 日本水彩画会が県展
  • 県内1カ所で毎年開かれ、49回目を迎えた伝統ある展示会で、中信では4年ぶり、豊科近代美術館では初の開催。
市民タイムス
2007.09.02
  • 存在感あふれる作品群
  • 「安曇野でみる彫刻」展(下)
  • 2007(平成19)年の文化庁芸術拠点形成事業(ミュージアムタウン構想の推進)の一環として開催。
    • 美術館を中心としたミュージアムタウンというあり方を模索する試みで、他の施設や学校との連携を念頭に置いている。
    • 市内の中学生向けの彫刻ワークショップを開催しており、安曇野の彫刻の伝統の継承、未来の美術界への貢献となれば幸いである。
2007.06.08
  • 花800株見ごろ
  • バラまつり
  • 1997年(平成9)頃、友の会会員がそれまでチューリップを植えていた庭園にバラを植えたのが始まり。
信濃毎日新聞
2007.05.30
  • 花鮮やかに咲き誇る 
  • バラまつり
  • 第7回「バラまつり
  • 周囲や庭園には約5百種類・8百本のバラがあり、順次見ごろを迎えている。
市民タイムス
2006.09.12
  • 時間の経過、立体に
  • 企画展「美術館ワンダーランド 夏の思いで」
    • 暗い一室に並ぶ小箱。のぞき込むと、煙のようなものが閉じ込められている。
      • 色とりどりの色が美しい。
      • 実は、小箱は積み重ねた35ミリフィルム。
      • 被写体はアイスクリームやクリップ、錠剤の山、街の景色など。
      • 例えばアイスクリームは、溶けていく一瞬一瞬を撮り、その一こま一こまを積み重ねてある。撮影の原理は映画と同じだが、こまを帯状の横並びにつなげるのではなく、層状に積み上げて”上映”している。
    • 「きっかけは、お好み焼きなんです」と出品した中西信洋さん。
      • 友人と食事をした時、次々に切り取られていくお好み焼きを見て「その形が変化する過程を一つの立体で表現できないか」と思いついた。
      • 「どんな立体になると思う?と友だちに話したら、とても頭の中では想像できないと言う。では実際にやってもようと」
      • お好み焼きが切り取られていくさまを一つの立体で表現できないか−これも突飛な発想だが、その立体を私たちは「想像できない」というところに中西さんの問題提起がある。「人間の想像力はいかに頼りないか、ということです」
    • 実際の体験と知覚を通してしか認識できないことが、まだまだ人間にはたくさんある裏返せば、さまざまなメディアから情報を受け取る一方の現代人の想像力が、いかに危ういものか、ということでもありそうだ。
信濃毎日新聞
2006.03.16
  • 故・高田博厚さん作、盗品が競売に
  • 容疑者を逮捕
  • 神奈川県鎌倉市で彫刻家の故・高田博厚さんの作品が盗まれた事件で、鎌倉署は山梨県大月市の会社員(57)を窃盗容疑で逮捕した。
  • 被害品がオークションに出品されているとの情報提供があり、発覚。
  • 藤本容疑者は数回にわたり、高田さんの妻、常さん(93)が住む自宅兼アトリエに侵入し、ブロンズ像22点(2288万円相当)を盗んだ疑い。
    • (※豊科近代美術館には高田博厚の作品が常設展示されている。)
朝日新聞(東京多摩版)
中房温泉 >>戻る 公式HP→中房温泉
2007.10.16
  • 地球の熱でホックホク料理
  • よくばり湯の旅
  • 北アルプス・燕岳(つばくろだけ)の登山口にある一軒宿。
  • 地熱に温められ、源泉は70〜97度。
    • 冷水のパイプを通したりすることで、薄めずに適温にしている。
  • 風呂は屋内外に14カ所。
朝日新聞(東京多摩版)
長峰山(ながみねやま) >>戻る
2008.06.22
  • 山頂に立つ塔の由来
  • 輝く未来 次代へ託す
  • 安曇野の眺望 多くの人に
  • 旧明科町が、1971(昭和46)年に明治元年(1868)から100年目を迎えたことや、長峰山林道が開通したこと、明科町商工会が創立10周年となったのを記念して塔を建設し、「歴史の塔」と名付けられた。
    • 「山頂は風光明媚な場所なのに、あのころは地元の人でさえ関心が低かった。何とかして長峰山の良さを売り出したかった」と塔のデザイン担当で旧明科町商工会の職員だった江口さん(78)。
  • 塔は高さ約10メートル、幅約5メートルの鉄製で、「過去」「現代」「未来」を意味する3つの輪を縦に連結させた姿。
    • 土台となる過去の輪は戦争を体験した人たちのつらい思いなどを表す茶褐色、中央の現代の輪は平和を表す緑色、未来の輪はまちの発展に期待を込めた銀色。
    • タイムカプセルが、建立に合わせて埋められた。
    • 開封時期は50年後。
    • 当時の関係者の多数が中高年齢となっていて、「覚えてくれているだろうか」と不安の言葉を漏らした江口さん。
市民タイムス
2007.11.20
  • 長峰山で野沢菜収穫
  • 天平の森
  • 漬け方の手ほどきも
  • 長峰山森林体験交流センター・天平の森は、山頂近くにある農場で、初めてのイベント「山頂栽培・野沢菜収穫体験」を実施する。
    • 「市内ではおそらく最も標高が高い畑」で、収穫作業を楽しんでもらい、野沢菜漬けの手ほどきもする。
  • 天平の森近くには、旧明科町時代から農業学習塾の会場として使われてきた畑がある。
    • 昨年から天平の森の指定管理者となった穂高カントリーは、「市民にはあまり知られていなかった存在だった」という畑に目を付け、今年、収穫体験用の野沢菜を作付けした。
  • この畑では以前から野沢菜が栽培され、「標高が高い地で育った野沢菜は非常に柔らかくておいしい」と評判が高かった。
    • 天平の森は来春から、「山頂農場」でジャガイモ、タマネギ、野沢菜、サツマイモの植え付けから収穫までを体験する農業塾を開講する。
    • 「山頂農場を内外に広くPRして、東山観光の活性化につなげたい」
2007.07.02
  • 安曇野に天使のはしご
  • 長峰山より幻想のパノラマ
  • 北アルプスから流れ出るいくつもの河川が形成した複合扇状地。
    • 安曇野の東山、標高934メートルの長峰山山頂からは、北アルプスを正面に、南から犀川、西から穂高川、北から高瀬川が流れる。
    • ”安曇野の風景”を一望でき、訪れる人の心を打ってやまない風景である。
  • かつて川端康成が東山魁夷と井上靖を呼び寄せて山頂で一堂に会し、川端が「残したい静けさ、美しさ」とつぶやいたのは有名。
  • 初夏のある日、北アルプスを覆い尽くす曇天の雲間からこぼれるように落ちて来る太陽光がスポットとなり、安曇野の地を照射した。
信濃毎日新聞
2007.05.26
  • 昼夜のはざま 魅せる光の模様
  • 水鏡輝く初夏の安曇野
  • 長峰山から見下ろす水鏡は、田植えが終わったこの季節の風物詩。
    • 残雪の北アルプスを背景に、航空写真を見るような光景が広がる。
  • 南から犀川(梓川)、北から高瀬川、西から穂高川と、田園を縫って流れる河川がここで合流する。
    • 国土庁認定の「水の郷」の顔。
    • 名水百選の「安曇野わさび田湧水群」は眼前にあり、光と水と緑が一体になり、迫ってくる。
    • ことに、夕景から夜景へと変化していく光のショーは感動的。
    • 青空を映し、銀色に日差しを反射していた田んぼや河川も、夕方には黄金色に表情を変える。
    • さらに、だいだい色から赤銅色に染まり、輝きは夜景にバトンタッチされる。
タウン情報
光城山(ひかるじょうやま) >>戻る
2011.12.29
  • 善意の柵 倒され・・・
  • 「整備したばかり」嘆くNPO会員
タウン情報
2008.05.08
  • 水鏡のパッチワーク
  • 県内有数の米どころ、安曇野市で、国道19号と犀川の間に広がる豊科光(とよしなひかる)周辺では、代(しろ)かきや田植えが進む水田が水鏡になって輝いている。
    • 近くの光城山から望むと青空を映した水田と、水を貼っていない田とあぜ道がパッチワークのよう。
    • 豊科光地区では今週中に代かきが終わり、10日から田植えが本格化する。
信濃毎日新聞
2008.04.27
  • 皆が愛する桜坂
  • 紅谷さん 埼玉から移住、日々充実
  • サクラ物語
  • 光城山の麓から頂上にかけて桜が帯状に連なる。
    • その山の麓に、新たな住宅街が形成された。
    • 2002(平成14)年に誕生した「桜坂区」。
    • 安曇野を一望できる立地と美しい名前にひかれて大勢の人たちが移り住み、当初の30世帯ほどから、今では170世帯にまで膨らんだ。
市民タイムス
2008.04.18
  • 身近な里山 心のふるさと
  • 私のお気に入り
  • 光城山は桜の名所で知られ、登山道と山頂に約2千本の桜が植えられている。
    • 地元の皆さんが毎年、補食したり余分な枝を切り落としたりして整備しており、過去に2回、日本桜の会から表彰を受けた。
    • この場所を好きな理由はもう一つ。
      • 安曇野の水鏡がよく見えること。
      • 桜が散り始めるころの風景。
      • 水田に水が入り、田植えの準備が始まったときの安曇野は、とても美しい。
      • 加えて夕焼けで真っ赤に染まった空と青紫の北アルプス、空とは微妙に違う水鏡の赤の対比は、まさに一幅の絵。
  • 光城山一帯が森林公園になっており、山頂の光城山は市史跡に指定されている。
    • 戦国時代、海野一族の光氏が築城したもので、1582(天正4)年に小笠原貞慶(さだよし)が修復して使った。
    • 山頂は標高911メートルで、林道を経由して車でも行かれるが、麓から登山道が2コースあり、歩いて登る人が多い。
      所要時間は両コースとも4、50分。
    • 桜以外にもニシキギやドウダンツツジ、ウメモドキなど植物の宝庫。
    • 山頂からは林道で長峰山につながっており、ウオーキング感覚で往復できる。
2007.04.25
  • 桜の花ありウソ!?桜食べちゃったの 
  • 名物 ピンクの帯見られず 
  • 木の実不作で花芽を餌か
  • 光城山の桜は、大正初年に地元住民がソメイヨシノを植樹したのが始まり。
    • 桜が約2千本あるという登山道や山頂一帯は毎春、大勢の花見客でにぎわう。
  • いつもの年だとふもとから山頂へと連なる桜の帯も、今年はほとんど見られない。
    • 「さまざまな情報を総合すると、ウソが原因だと考えられる」と信州野鳥の会会長。
    • 昨年の秋は、ウソが好んで食べるウメモドキやエビツル、スイカズラの実が不作だった。
    • 「亜高山帯にいて渡りをしないウソが近くにあった桜の花芽を食べたのではないか」。
市民タイムス
2007.03.05
  • 桜の花あり爛漫の桜坂歩く
  • 北アルプス望む桜の名所
  • 光城山は1700本以上のソメイヨシノが登山道を包む桜の名所。
  • 登山口から山頂までの標高差は約350メートルあり、2週間ほどかけて花色が徐々に上がっていく。
  • 大正天皇即位を記念して、地元青年会の人たちが植樹した。
2006.12.15
  • 桜の花あり北アを一望、桜の名所
  • 標高は911メートルとさほどではないが、戦国時代には一帯を支配していた海野一族に連なる光氏の光城があった。
    • 光城は、海野一族が一帯に築城した五城の一つで、武田信玄の侵攻で1553年(天文22)に落城した。
    • 土塁や空堀が残っているが、のろし台があった辺りには、火の神様を祭る古峯神社が建っている。
穂高神社 >>戻る
2008.08.17
  • 勇壮、華麗に手筒花火響く
  • 「みたままつり」
  • 穂高神社境内にある穂高霊社で戦没者の霊を慰める「みたままつり」が営まれ、遠州手筒花火が奉納された。
    • 勢いよく噴き上がる火柱や滝のように降り注ぐ火の粉が闇夜を彩り、豪快な爆発音が一帯に響き渡った。
    • 静岡県浜松市の遠州三ケ日手筒花火保存会が、約40の手筒花火を披露した。
市民タイムス
2008.08.13
  • 安曇野の歴史たどる
  • 穂高神社大遷宮祭
  • 記念映画の撮影開始
  • 記念映画「ゆきと爺のあづみ野物語」の撮影が始まった。
    • 東山を望む穂高牧(ほたかまき)の水田の土手で、穂高神社の御船会館でくわを目にしたゆきが、九州から安曇野に来て米作りを始めた安曇族に思いをはせる、映画の中程の回想シーンを撮った。
2008.08.07
  • ありがとう、信州の少女たち
  • ”ゆき”役の決定から1週間後に、私はシナリオの最終原稿を書き上げ、作品のテーマを「伝承」と「刷新」に決めました。
    • 『遷宮』とは古くなった神殿と拝殿を新しく建て直すこと。
    • ちょうど人間の古い細胞を新しい細胞と入れかえて「命の刷新」を試みるのと同じように、古来の伝統を継承しながら神殿を新しくする”みやうつし”の神事をドラマの背景に、”ゆき”は山男の爺を相手に美しい安曇野の里山をいきいきと駆けぬけてゆきます。=映画監督・河崎氏
2008.07.15
  • 「ゆき」役に石川優衣さん
  • 穂高神社の記念映画
  • 最終審査 歌でアピール
  • 大遷宮祭に合わせて制作される記念映画「ゆきと爺のあづみ野物語」の主人公となる少女「ゆき」役を決める最終オーディション。
2008.05.25
  • 来年大遷宮祭
  • 奉祝、観光誘客へ一丸
  • 盛儀記念の映画製作も
  • 来年5月に行われる20年に1度の「大遷宮祭」に向けて、127年ぶりに拝殿の建て替え工事をしている。
    • 拝殿の建て替えは、本殿一棟を造り替える大遷宮祭の記念事業として行い、旧拝殿より約180平方メートル広い約570平方メートルの規模。
  • 造りは木造平屋だが、本殿側と境内側をガラス張りとし、本殿が見えにくく吹きさらしで寒かった点を改善する。
    • さらに祈祷をいす席で受けられるようにし、床を低くしてバリアフリー化も図る。
    • 建材にはケヤキと木曽ヒノキを使い、12月の完成を予定。
2008.04.11
  • 「大遷宮祭」を映画に
  • 穂高神社 歴史の重み描く
  • 主人公「ゆき」役公募
  • 20年に1度の「大遷宮祭」を舞台にした、ドラマ仕立ての映像作品が作られる。
    • 穂高神社が、過去の遷宮祭でも撮影実績がある信州映像舎(安曇野市)に制作を発注し、穂高在住の映画監督・河崎さん(71)が脚本・演出を手掛ける。
    • 主人公の少女役を公募する。
  • 作品の題名は「ゆきと爺(じい)のあづみ野物語」。
    • 神社についての率直な疑問をぶつける少女「ゆき」と、信州映像舎代表で写真家の中沢さん(86)が演じる「爺」との会話を柱に物語が展開する。
    • 大遷宮祭まで約1年がかりの長丁場の撮影になる、安曇野の四季の風景も盛り込み、穂高神社とのかかわりが言われる福岡県福岡市の志賀島でもロケを予定している。
  • 映画に関わって48年の河崎さんは、新人の発掘と育成に成果を上げてきた。
    • 監督デビュー作の「青い山脈」(1975(昭和50)年)で三浦友和、片平なぎさ、田中健らを抜擢し、その後も山口百恵、中井貴一、松田聖子らを育てた。
    • 「映画が初めてという人と仕事をした経験が信州でも生かせる。(ゆきが)どんな少女になるか、私自身も楽しみ」と河崎さん。
2008.04.09
  • 業種超え奉祝会設立
  • 善光寺御開帳と誘客連携
  • 大遷宮祭
  • 来年5月に営まれる20年に1度の「大遷宮祭」に向けて、市内の商工、観光、宿泊、交通関係者などが、大遷宮祭奉祝会設立総会を開いた。
    • 神社最大の盛儀を市の観光振興につなげる。
    • 初めて同時期に行われる善光寺(長野市)御開帳との連携も視野に、全国から安曇野への誘客を目指して業種を超えて一丸となる。
  • 大・小遷宮祭に向けた奉祝会の設立は今回が初めて。
    • 観光協会、商工会、商店会、宿泊業者、旅行代理店、観光事業所、交通事業者などの20人がメンバーとなり、企画、広告、誘客、宿泊、タクシー、JRの6部会を設けた。
    • 事業計画では、タイアップイベントの企画、周辺商店街の受け入れ態勢の整備、ポスター・パンフレットの作製、観光宣伝キャラバンの実施、交通・警備協力の依頼、善光寺前立本尊御開帳との誘客連携などを決めた。
2008.04.05
  • 拝殿建て替えは127年ぶり
  • 本殿間近に地鎮祭
  • 拝殿の建て替え工事の地鎮祭が営まれた。
    • 旧拝殿を解体した際に「明治十四(1881)年」と書かれた棟札が見つかり、127年ぶりの建て替えであることが分かった。
    • 旧拝殿が取り壊され、奥の三棟ある本殿を間近に仰ぐ、今しか見られない光景の中で厳かに神事が行われた。
  • 拝殿の建て替えは、本殿一棟を造り替える20年に1度の「大遷宮祭」(来年5月)の記念事業として行われる。
2008.03.18
  • バシッ! 魔を払う
  • 奉射(おびしゃ)
  • 拝殿で宮司が東北に向けて「神の矢」を放った。
    • 次に袮宜(ねぎ)が東南に「殿の矢」を射て四方の魔を払った。
      • (※袮宜:たぶん、神事において、村人の中から選ばれた人、だと思われる)
    • 続いて権袮宜が、拝殿から12.5メートルほど東側の神楽殿につり下げられた直径1.6メートルの的を狙って、12本の矢を次々に射て的中させていた。
  • 御利益があるとされる矢を参拝客が奪い合い、木製の的も細かく分解され、参拝客らが持ち帰っていった。
2008.01.01
  • 穂高人形 華やかに
  • 保存会の3教室が展示
  • 伝統のある穂高人形の展示会が始まった。
    • 地元の穂高人形保存会の3つの教室が歴史上の人物やおとぎ話をテーマにしてそれぞれ制作した作品。
  • 穂高神社は、20年に1回拝殿を建て替える「大遷宮祭」を2009(平成21)年に行い、奉祝行事として穂高人形まつりを開く。
    • 開催に先立って多くの人に穂高人形について知ってもらうため、参拝客でにぎわう年末年始のこの時期に展示会を開くことにした。
2007.12.22
  • お酒なし 交通安全第一
  • 正月 穂高神社が配慮
  • 新年から、正月三が日に境内で自由に飮めるようにしていた振る舞い酒をやめる
    • 穂高神社は交通安全の神様をまつる神社として知られ、各地から交通安全の祈祷を受けるために車で訪れる参拝客が多い。
    • 飲酒運転による悲惨な交通事故が全国各地で問題となる中、参拝客が飲酒して運転をする危険性をなくすために万全を期す。
  • 二年参りの参拝客に振る舞う御神酒はすでに昨年の大みそかからやめており、新年は正月三が日に拡大して徹底を図る。
    • ご神前にまつった御神酒の振る舞いは正月の伝統行事として広く親しまれてきたが、飲酒運転の根絶が求められる時代の流れを踏まえて決めた。
市民タイムス
2007.09.28
  • ぶつかり合う「御船」の迫力
  • 恒例の「御船祭り」。
    • 5台の御船は川中島の合戦など歴史や伝説にちなんだ人形絵巻で飾られた。
    • このうち長さ12メートルと大きい2台の「大人船」がぶつかり合った。
    • 御船祭りは古代に北九州から移住したとされる安曇族の海での活躍をたたえている。
信濃毎日新聞
2007.09.25
  • 楽しみ ぶつかり合い
  • 「お船祭り」
  • 時代絵巻の人形も見もの
  • 26、27日、本宮例祭が開かれ、県選択無形民俗文化財「お船祭り」の神事が繰り広げられる。
    • お船祭り」のクライマックスは27日午後3時から。
    • 全長約13メートルに及ぶ大人船2隻と子供船3隻が境内を巡った後、大人船同士がぶつかり合う。
  • それぞれのお船には、穂高人形師が熟練の業で作った戦国武将加藤などの人形が飾られる。
    • 今年はNHK大河ドラマ「風林火山」にちなみ、上杉謙信武田信玄による「川中島の合戦」、武田氏の知将・山本勘助が延焼する敵城から由布姫(ゆうひめ)を救い出す場面などの時代絵巻が展開される。
市民タイムス
2007.08.20
  • 安曇野観光アピール 
  • 09年「大遷宮祭」 
  • 安曇野市 ツアー・番組制作 働き掛け
  • 安曇野市は20年に1度の2009年(平成21)の「大遷宮祭」に向け、観光キャンペーンに乗り出す。
信濃毎日新聞
2007.08.18
  • 人形で見たい場面 募集 
  • 大遷宮祭の飾り物
  • 境内を盛大に彩る穂高人形の飾り物の見たい場面。
    • 歴史をはじめ民話や神話、童話など問わない。
    • 穂高人形の飾り物の場面は神社境内の森を背景として、地元の人形師たちが伝統の技を用いて壮大に描き出す。
市民タイムス
2007.07.12
  • いすに座り参拝可能に 
  • 大遷宮祭に合わせ 拝殿も建て替え
  • 生活様式の変化や体の不自由な参拝者に配慮。
    • 靴を履いたまま入り、正座せずにいすに座っておはらいを受けられるよう設計する。
  • 大遷宮祭は、本殿を造り替え、祭っているご神体を移す行事。
    • 穂高神社の本殿は左殿、中殿、右殿の三棟あり、左殿を外側に移動させ、空いた部分に中殿を新築する。
    • 右殿は他の神社へ払い下げ、現在の中殿を右殿とする。
  • 「正座だと、慣れていない人は神事に集中できない。神社だから正座する場があってもいいという気もするが、参拝者の気持ちを尊重した」と宮司。
信濃毎日新聞
2007.03.18
  • バシッっと厄払い
  • 穂高神社で奉射祭
  • 安曇野に春を告げる伝統行事「奉射(おびしゃ)」。
    • 神職が五穀豊穣や家内安全を祈願して放った矢を、集まった参拝者がわれ先にと奪い合う。
市民タイムス
2007.01.21
  • 大遷宮へ大木伐採
  • 現地は、山梨、埼玉との境の甲武信ヶ岳に近い標高1800mの雑木林
信濃毎日新聞
2007.01.21
  • 貴重ツガの木 穂高神社へ
  • 大遷宮へ伐採式
  • 前回1989年(平成元)の大遷宮では九州産のツガの木を使ったこともあり、「県内でツガの木が見つかってうれしい」との声。
    • 茅野市消防団のラッパ隊10人も「友情参加」し、コメツガが倒れるときには諏訪大社御柱祭と同じファンファーレを響かせて雰囲気を盛り上げた。
  • 穂高神社は1年ほど前、県内でツガの木を探し始めた。
    • 今回の場所は秩父多摩甲斐国立公園内にあり、木の伐採が制限される地域。
    • 川上村の村長らの協力で環境省から伐採許可を得た。
2007.01.21
  • 「山に感謝」巨木伐採
  • 上村で式年遷宮、準備
  • 2009年(平成21)5月に行う20年に1度の式年遷宮に向け、造り替える本殿の用材となるツガを伐採する神事が、川上村の国有林で行われた。
    • 国有林から約40本のツガが本殿の用材として切り出される。
    • 穂高神社の本殿は古くからツガで造り替えられるのが習わし。
    • 切らせてもらうツガを探すのに苦労した。
    • 穂高神社によると、500年以上を誇る式年遷宮の歴史の中で、伐採の開始にあたり神事を営んだという記録はない。
市民タイムス
2006.08.27
  • 安曇野にお船祭りが多いのは?
  • 海人族の祖先神に由来
  • 息づく伝統 20社が継承
  • 豪快な音を立てて、巨大な木製の「お船」二隻が穂高の穂高神社でぶつかり合う。
    • 勇壮さで知られる「穂高神社御船祭り」のクライマックス。
  • 海から遠く離れた安曇野だが、穂高神社以外にも船形の山車(お船)を引き回す祭りが複数の神社で行われている。
    • 「安曇野」という呼び名は7世紀ころ、九州地方の海人族「安曇族」が移住したことからついたという。
    • お船は安曇族の祖先神であり、海神の穂高見神などの神霊が降臨する場所としての意味がある。
    • お船が繰り出す例祭は数多く、規模の小さいものを含めると20社近い。
  • 穂高神社は「昔は地域住民が協力し合い、手間暇やお金をかけて準備をしたものだが、今では価値観が多様化し、祭りの維持自体が難しくなった。毎年造り直す必要があるお船は、衰退したのではないか」と推測する。
満願寺 (栗尾山つつじ公園) >>戻る 
2008.07.22
  • 200年枯れることなく
  • 満願寺のわき水
  • 水めぐり
  • 参拝者用の駐車場近くと、石段170段を上った本堂・庫裏(くり)東側に、自由にくめる水場がある。
    • 地域住民、市内のそば店やパン店などが来るほか、遠くは中京、関東方面からの常連もいる。
  • 水温は年間を通じて約10度。
    • 夏は冷たく、冬は温かく感じるので、野沢菜洗いに最適といい、古くは寺の修行僧らの生活用水として使われた。
    • 1965(昭和40)年以前は、飲み水のほかに、穂高牧(ほたかまき)地区の農業用水にも。
    • 昭和40年代(1965-)、上水道が整備された当初は、ポンプでくみ上げ、牧地区の簡易水道水として、人々に供給。
    • 現在は、一部を安曇野市の上水道水源に充てている。
タウン情報
2008.05.20
  • 花新緑に囲まれ花鮮やか
  • ツツジ満開
  • 境内の栗尾山つつじ公園で、鮮やかな紅色の花が満開。
    • 小さな青紫色の花を付けて垂れ下がるフジの花も見ごろ。
市民タイムス
2008.05.17
  • 花咲き誇るツツジ5千本
  • 今年は寒い日が続き例年に比べ開花が5日ほど遅れた。
    • 赤色のツツジは1週間前から咲き始め、満開を迎えている。
信濃毎日新聞
2008.04.28
  • 花山の寺に”春”到来
  • 参道の先に広がる別世界
  • 山全体を極楽浄土に見立てた信濃三十三観音霊場第二十六番札所。
    • 795年頃、坂上田村麻呂有明山に住むという八面大王の討伐を祈願したという言い伝えも残る。
  • 仁王門の先には鐘楼と本堂がたたずみ、右手につつじ園が広がる。
    • 回遊式の庭園で約6000本の花々が咲き乱れる。
市民タイムス
2007.11.02
  • 紅葉モミジ 燃えるよう
  • 紅葉盛り
  • モミジの紅葉が盛り。
    • 初夏に小さな白い花をつけるドウダンツツジも紅葉し、常緑種のツツジとの対照を際立たせている。
市民タイムス
道の駅アルプス安曇野ほりがねの里 (と、「旬の味ほりがね物産センター」) >>戻る
2008.08.14
  • 花鮮やか大輪 1万本
  • ヒマワリの品種は開花期間が長い「サンオペラ」
市民タイムス
2008.08.12
  • 花鮮やかヒマワリ 大輪の花1万本
  • 農産物直売所「旬の味ほりがね物産センター」南のヒマワリ約1万本が、一面に黄色い大輪の花を咲かせている。
    • 遊休地を景観や観光に生かそうと、旧堀金村時代から取り組み、9年目。
  • 今年は、脂搾り用の品種から、開花時期が長い鑑賞用の品種に変えたため、色も鮮やかだという。
    • 6月に種をまき、堀金地域営農支援センターが小まめに除草するなど無農薬で育ててきた。
タウン情報
2008.04.16
  • 花菜の花 「黄色いじゅうたん」
  • 旬の味ほりがね物産センター脇の休耕田で菜の花が見ごろを迎えている。
    • 安曇野市堀金地域営農支援センターが管理し、地元の人たちが協力して種をまいて育ててきた。
信濃毎日新聞
2008.02.09
  • 地元食材で彩り豊か
  • 「すあま」新発売
  • 旬の味ほりがね物産センターで、米粉を練った菓子「すあま」作りが行われている。
    • 蒸した米粉に砂糖をまぶしてつき、、食材を混ぜて練り上げる。
    • 地元産の梅漬け、みそとクルミ、黒ごま、桜の塩漬け、ヨモギの5種類。
  • 例年はこの時期、やしょうまを作っていたが、今年から、地元の食材を豊富に使えて手軽に作れるすあまに切り替えた。
市民タイムス
2008.01.24
  • みその仕込み 最盛期
  • 手づくりの味人気
  • 旬の味ほりがね物産センターで、みその仕込みが最盛期を迎えている。
    • 寒い時期に仕込んだみそは、10月以降に店頭に並ぶ。
2007.04.19
  • 花”黄色の大河”元気に泳ぐ
  • 菜の花畑こいのぼり
  • 「旬の味ほりがね物産センター」隣
2007.04.17
  • 花黄色いじゅうたん一面
  • 菜の花が満開
  • 道の駅ほりがね物産センターの南
  • 道の駅の南の約6000平方mの畑。
    • 堀金地域営農支援センターが7年前から育て、夏のヒマワリ、コスモスとともに畑は「花の名所」として定着した。
    • 例年より2週間ほど早い開花。
    • 今月いっぱい楽しめるという。
タウン情報(信濃毎日新聞)
2007.02.22
  • 「心結ぶ」かあさんの思い
  • ほりがね物産センターの「おむすび定食
  • 松本地方の直売所 自慢の味
  • 地元の女性たちが毎日、堀金産のコメでにぎったおむすびを定食として出す。
    • 堀金地区では、おむすびにネギみそを付けて食べる習慣があり、定食の皿にもネギみそを盛る。
    • 天ぷらを北アルプス・常念岳に見立てた「常念天丼」も人気。
信濃毎日新聞
室山アグリパーク >>戻る
2008.05.04
  • 癒し提供 節目祝う
  • ファインビュー開館10年
  • 太鼓演奏やもちつき
  • 温泉宿泊施設・ファインビュー室山が開館から丸10周年を迎え、記念イベントが開かれている。
    • 安曇野市や松本市を一望できる夜景も人気を集めている。
市民タイムス
龍門渕公園 >>戻る
2008.06.26
  • 花咲き誇る5万株
  • あやめまつり
  • 県内随一といわれる約150種・5万株余りのアヤメ、ハナショウブ、ジャーマンアイリスが咲き誇っている。
    • 6月下旬までが見ごろ。
タウン情報
2008.06.23
  • 花ハナショウブ 見ごろに
  • 22日は第24回あやめまつりのメーンイベント。
信濃毎日新聞
2008.04.12
  • 「あやめまつり」規模縮小
  • 混雑避け 鑑賞に配慮
  • 住民主導の企画・運営へ
  • 竜門渕公園(市民タイムスは「竜」と表記)とあやめ公園で開くあやめまつりの内容を見直している。
    • 例年2日間行っているメーンイベントを1に縮小する。
    • 園内や駐車場が運営委員やイベントの参加者で混雑して観光客に支障を来している現状を改善し、観光客に心行くまで花を鑑賞してもらう。
  • イベント日に駐車場の確保が難しく「高齢者を連れて行きたいが車を止める所がなくて歩かねばならず困る」といった指摘を受けてきた。
    • 「メーンの日を外して見に行く」と混雑を避けて訪れる予定の観光客もいた。
    • 見ごろの時季に合わせて訪れる人に配慮して、内容を見直すことにした。
市民タイムス
2007.06.18
  • 花ハナショウブ 徐々に見ごろ
  • 約5万株。
  • 一帯は地元住民ら約10人が市から委託を受けて管理。
    • 「アヤメやハナショウブは管理が大変で、県内では栽培をやめるところが出ている。大切に育てた花を見に来てほしい」と本町アヤメ同好会。
信濃毎日新聞
2007.06.17
  • 花満開の花と催し堪能 
  • あやめまつり
市民タイムス
碌山美術館 >>戻る
2008.08.04
  • 碌山の才能開花期知って
  • 2001年からの企画展完結編
  • 病没までの2年間 紹介
  • 企画展「碌山 愛と美に生きる」
    • 彫刻家荻原碌山の生涯を5期に分け、2001(平成13)年から開いている企画展の完結編。
    • 留学を終え、東京にアトリエを構えた1908(明治41)年から、30歳の若さで病没した1910(明治43)年までを紹介している。
  • 展示の中心は、「女」「文覚」「デスペア」の3つの人物石膏像。
    • 碌山は、新宿中村屋主人の妻、相馬黒光(こっこう)を慕い、その苦しみが反映したとされる「いわば恋愛の苦悶の三部作」。
信濃毎日新聞
2008.04.23
  • 碌山美術館50周年祝う
  • 「杜江館」もオープン
  • 「杜江館」(もりえかん)は鉄筋コンクリート2階建てで、常設の絵画展示室、収蔵庫、図書研修室がある。
    • 茶色いれんがを壁面に配して落ち着いた雰囲気。
    • 2006(平成18)年に完成した後、美術品に影響を与える空気中の物質を除去する「からし期間」を経て開館した。
  • 絵画展示室には、碌山がアメリカやフランスに留学していた時代や帰国後に描いた油彩画やデッサン、スケッチブックなど計約20点が飾ってある。
    • 「彫刻家として知られている碌山は最初は画家を目指していた。絵の鑑賞を通じて碌山の人生を感じてほしい」と美術館。
市民タイムス
2008.04.20
  • 情熱を結集、ついに開館
  • 碌山美術館 50周年記念(下)
  • 美術館は「守衛(碌山)の精神的支えとなったキリスト教、明治時代の作品を収納するにふさわしい建築」というコンセプトのもと設計された、まさに守衛のためにデザインされたものである。
2008.04.04
  • 碌山美術館が50周年
  • 記念展示など企画
  • 記念事業として、「一世紀のあゆみ」展を開催。
    • 碌山の没後、東京の新宿中村屋裏にアトリエを移して設置した「碌山館」から現在まで、碌山の芸術を守ってきた歩みを写真や来館者名簿などの資料で振り返る。
信濃毎日新聞
2008.01.03
  • 碌山も遊んだ双六
  • 1896(明治29)年に発行された「世界周遊双六(すごろく)」の複製を館内のグズベリーハウスに置いている。
    • 荻原守衛(碌山)も遊んだすごろくという。
    • 守衛の先輩にあたる下村為山が絵をかいたすごろくで、横浜を振りだしに布哇(ハワイ)や桑港(サンフランシスコ)、紐育(ニューヨーク)、巴里(パリ)、羅馬(ローマ)、北京といった都市を巡り、東京で「上がり」となる。
  • 守衛が20歳の1899(明治32)年に記した日記「つくまのなべ」の元日の欄に、師の井口喜源治や先輩の相馬愛蔵らと、このすごろくで遊んだとの記述がある。
    • 開催中の「つくまのなべ」にまつわる資料展に合わせた企画。
市民タイムス
2007.12.15
  • 愛され続ける聖地
  • 碌山美術館半世紀
  • 臼井吉見の『安曇野』を歩く
  • 碌山美術館の開館までには、前史とも言える長い年月がある。
    • 碌山が没して1カ月、1910(明治43)年5月、東京上野で開かれていた「荻原碌山遺作展」に東京高等師範学校の務台理作(現・安曇野市三郷出身の哲学者)が出かけ、深く感動して「この大芸術家は、わが郷土の誇りである」と兄に手紙を書き送ったのが、引き金をなった。
    • やがて、務台を慕う信州の教師たちの間で碌山研究が始まり、戦前『信濃教育』などに成果を発表、戦後に引き継がれた。
  • 1953(昭和28)年、南安曇教育会に碌山研究委員会が設けられる。
    • 1954(昭和29)年には、新宿中村屋で「碌山を偲ぶ会」が相馬良(そうまりょう)(黒光)(こっこう)、高村光太郎、石井鶴三の発起人で開かれ、碌山美術館建設への機運が、郷土の教師たちや東京の碌山ゆかりの人々の間で高まった。
    • 1955(昭和30)年、碌山研究委員会は碌山作品保存会に切り替わり、碌山全作品のブロンズ化を実現、1956(昭和31)年、碌山館建設準備会が発足。
    • 1957(昭和32)年、碌山館建設準備会は「財団法人碌山美術館設立委員会」となり、目標700万円の募金活動が展開された。
  • 苦労は実り、総額837万円が29万9千百余人から集まる。
    • (碌山美術館入り口のレリーフに刻まれた「この館は二十九万九千百余人の力で生まれたりき」の文字が、感謝の思いをいまに伝える)
    • 穂高中学校(当時)の校地を旧穂高町が無償提供して建設工事は始まり、全校生徒がれんがを運び、瓦を上げる姿が感動を呼んだ。
    • 1958(昭和33)年4月22日、碌山四十九回忌に落成開館を迎える。
  • 席上、東京国立博物館館長は「もし”芸術の聖地”の言葉があれば、ここに惜しみなく捧げる。偉大な芸術家の業績をかくも純粋に伝えるは類(たぐい)まれなることである」との賛辞を贈ったが、決して誇張ではなく、当時個人の作品のみを収蔵展示する美術館は世界に、ロダン美術館(フランス・パリ)、セガンチーニ美術館(イタリア)(※検索するとスイス・サンモリッツにあるらしいのだが)の2つしかなかった。
  • ・・・以来半世紀、碌山美術館の時を告げる鐘は職員の手によって鳴り続け、作品配置も創館当時のまま。隣の中学校の生徒さちが清掃する姿も変わらない。」
2007.03.16
  • 碌山公園 4月22日開園
  • 景観に配慮 
  • ゆとり空間
  • 碌山美術館の南側。
  • 旧穂高町が2002年(平成14)度から進めていた「緑化重点地区整備事業穂高駅周辺地区」の最終事業として取り組んだ。
    • 事業費は土地購入費を除き、約2億7千万円。
2006.09.08
  • 憩いの空間、姿徐々に
  • 碌山公園建設進む