写真21:地上を流れる最終地点(杉並区久我山2丁目)

写真20:写真中央にカメ(杉並区久我山1丁目)

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写真19:この辺りによく見かける農産物や卵などの販売機
(三鷹市牟礼1丁目)

写真12:(武蔵野市桜堤2丁目)

玉川上水
たまがわじょうすい
(国史跡)
東京都羽村市〜杉並区
グーグルアース座標
西端(上流・羽村堰)=N35 45 21.74 E139 18 29.74
東端(世田谷区)=N35 45 21.74 E139 18 29.74
撮影日:2005/8/4〜8/11
写真1:福生市内
概要
  • 神田上水と並び、江戸市民の飲料水をまかなった二大上水の一つ。
  • 現、羽村市から現、新宿区まで43kmある。その高低差は約92m。100m進むごとにわずか21cm下がるだけ。当時としては高精度の測量が行われた。
  • 水路として使われなくなってから、下流域の水質が悪化したが、近年、清流復活の試みの成果が出始めているという。
  • ほぼ上水に沿って歩くことができるが、福生市の一部で歩くことができない。
玉川上水の歴史
西暦 日本-年代 玉川上水-出来事
1652 江戸 承応元年 幕府は多摩川の水を江戸市中まで引く計画をたてる。
1653 この計画を請願したという江戸の町人の兄弟が工事担当者に任命され、工事開始。
1654 多摩郡羽村(現東京都羽村市)から水を引き、新宿までの40数キロの工事を7カ月間で完成させた。
1739 元文4 功績を認められた兄弟は、幕府から200石の拝領、「玉川」の姓を名乗ることを許可(玉川兄弟)、上水管理役を任命される。しかし3代目の時の不祥事で、この年罷免され、玉川上水は幕府の直営となる。
1901 明治 明治34 東京に改良水道ができたため、市内への給水が中止される。
1948 昭和 昭和24 作家、太宰治が愛人とともに入水自殺する。
1965 昭和40 この年まで水路自体は利用されていた。
2003 平成 平成15 8月 下流の暗渠部を除いた約30kmが国の史跡に指定される。

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写真2:牛浜橋(福生市牛浜)

写真3:上水公園(昭島市拝島町)

写真5:(立川市砂川町4丁目)

写真6:(小平市中島町)

写真9:(小平市小川町1丁目)

写真8:(小平市小川町1丁目)

写真10:小平市津田町1丁目

写真4:玉川上水と残堀川の交差(立川市上砂町4丁目)
写真は残堀川→この下を玉川上水がもぐっている。

写真11:上水沿いの箱に入れただけの無人野菜売り場
→そばにあったお盆の野菜で作った動物
(小平市喜平町1丁目)

写真16:万助橋(三鷹市下連雀1丁目・武蔵野市御殿山1丁目)

写真17:(三鷹市井の頭5丁目)

写真7:農作物を売る露店(小平市小川町1丁目)

写真14:三鷹駅横(武蔵野市中町1丁目)

写真18:東京女子大学付近(三鷹市牟礼4丁目)

写真13:(武蔵野市桜堤2丁目)

■東京都玉川上水の情報、地図、概要

写真15:太宰治が1948年(昭和23)に上水に入水自殺(じゅすいじさつ)したことについてのプレートがある。
(三鷹市下連雀2丁目)

国分寺市
小平市
立川市
昭島市
福生市

写真10

写真9

写真8

写真7

写真6

写真5

写真4

写真3

みずくらいど公園

写真2

写真1

羽村市
羽村堰
井の頭公園
小金井公園

写真21

杉並区
三鷹市
武蔵野市
西東京市
小金井市

写真20

写真19

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写真11