上杉謙信の年表
西暦 日本-年代 上杉謙信-出来事
1548 戦国期 1548(天文17) 兄の晴景と争って家を継ぎ、春日山城主となる。
北条氏康に追われた関東管領、上杉憲政や、武田信玄に追われた北信濃の村上氏、高梨氏らを保護し、2度上洛(地方から京都に行くこと)して将軍から関東出兵と信濃出兵の名分を得る。
1553 1553(天文22) この年以来、信濃の川中島(長野市)へ5回(川中島の戦)出兵する。
1560 1560(永禄3) この年以来、関東へは十数回出兵した。
1560 関東出陣で北条氏康を追い詰めた。
1561 1561 氏康の拠城の小田原城を囲んだが、結局落せなかった。
後日、鎌倉鶴岡八幡宮で上杉憲政から上杉の姓と関東管領職を譲られて名を上杉政虎と改めた。
この年、越後へ戻ると、ただちに信濃へ出兵して有名な第4次川中島の戦で武田信玄と激戦した。
しかし、老練な信玄に振り回された形で終わり、武田氏の信濃進出を許す結果となった。
1572 1572(元亀3) 織田信長と同盟を結んで越中を平定、ついで加賀、能登に進攻した。
1577 安土桃山 1577(天正5) 織田軍を破って能登を制圧する。
1578 1578 関東出陣を前に領国全域に大動員をかけた直後、脳溢血で急病死した。
上杉謙信 うえすぎ けんしん    
  • 戦国時代の武将。
  • 1530-1578(48才)
  • 始め長尾景虎、後に上杉政虎、輝虎と改め、出家して謙信と号した。
  • 越後守護代で春日山(新潟県上越市)城主の長尾為景(ためかげ)の子。
  • 上杉謙信の、合戦での勇猛さと指揮ぶりには天才的なものがあった。
  • その半面、権威や伝統にとらわれ、領国の統治では他の戦国大名の行なったような分国法の制定や検地などの政策はとらず、家臣団の編成や統制も旧体制にとどまった。
  • 酒豪だったが潔癖な性格の持ち主で、毘沙門天(びしゃもんてん)を信仰した。
  • 生涯独身を通したため子がなく、養子に長尾政景の子景勝と北条氏政の子景虎がいた。
  • 謙信の没後、2人の間に御館(おたて)の乱(1578〜80)とよばれる跡目争いが起こり、謙信の領国はいったん崩壊し、景勝が越後の支配者となる。

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