高田博厚 たかだ ひろあつ
  • 彫刻家
  • 1900(明治33)年-1987(昭和62)年
  • 中学時代は文学、哲学、美術の書に熱中し、シェークスピアを原文で読むなど、語学力に秀でる。
    • 東京美術学校(現、東京芸術大学)を受験するが失敗、まもなく友人の紹介で高村光太郎と知りあう。
    • 21歳で東京外国語学校(現、東京外国語大学)イタリア語科に入学、在学中にコンディビの「ミケランジェロ伝」を翻訳し、岩波書店から刊行する。
    • 同じころ高村に借りた彫刻台で彫刻を始め、1929(昭和4)年、高村や梅原龍三郎らの国画会に参加。
  • 1931(昭和6)年、フランスに渡り、1957(昭和32)年の帰国までパリに滞在する。
    • 滞仏中は、ロマン・ロランやアランなど、芸術家や哲学者と交友を築きながら、彼らの頭像をつくり続ける。
    • しかし第2次世界大戦中は敵国人、戦後は被占領国人の扱いを受けるなどの辛酸をなめた。
  • 戦後はカンヌ映画祭の日本代表となり、また読売新聞嘱託としてパリ通信員を勤め、帰国後は九州産業大学芸術学部創設に尽力した。
    • 文筆家としても活躍し、ロマン・ロランの作品の翻訳書や、「フランスから」「思い出の人々」などの著書をのこした。
■「遠望」・・・清春白樺美術館(山梨県北杜市)

2011/10/27
■作品を多く展示している豊科近代美術館(長野県安曇野市)

2004/8/19
2008.05.25

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