| 川島芳子の年表 |
| 西暦 |
日本-年代 |
川島芳子-出来事 |
日本-出来事 |
中国-出来事 |
世界-出来事 |
| 1906 |
明治 |
- 1906(明治39) 清朝末期の王族である粛親王善耆(しゅくしんのうぜんき)の第14王女として北京に生まれる。
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| 1911 |
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- 12月 1911 革命派は、年末に帰国した孫文を「臨時大総統」に選んだ。
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| 1912 |
大正 |
- 1912(大正元年) 辛亥革命によって清朝が滅亡後、一家とともに旅順(現、大連)に逃れる。
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- 1月 1912 南京で「中華民国」の成立を宣言した。これを辛亥革命という。
- 清は、軍事力をにぎる「袁世凱」に全権を与えて革命派に対抗させ、危機を切り抜けようとしたが、袁世凱は革命政府と結んで、「宣統帝(溥儀)」を退位させることを条件に、孫文から臨時大総統の地位を譲り受けた。
- こうして清朝は滅び、中国の王朝体制は終わりを告げた。
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| 1913 |
- 1913年(大正2) 粛親王と親交のあった満蒙(中国東北部と内モンゴル)独立運動の提唱者、川島浪速(なにわ)の養女となり来日。6歳。
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- その後、豊島師範付属小学校を経て跡見高等女学校に入学。
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| 1914 |
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| 1915 |
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- 1915 日本の「大隈重信内閣」は、袁世凱政府に対して、「二十一カ条要求」をつきつけ、山東半島などでの権益の拡大を図った。
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| 1916 |
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- 1916 袁世凱は革命派を弾圧して独裁体制の強化を図り、自ら即位して帝政復活を企てた。しかし内外の反対にあって挫折し、この年世を去った。
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| 1918 |
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| 1919 |
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- 1919 「パリ講和会議」で「二十一カ条要求」の撤回を強く要求したが、会議はこれを却下。
- 北京大学の学生らは、5月4日、抗議運動を起こし、運動は日本製品の不買運動を展開するなど中国各地に拡大する。
- これを「五・四運動」という。
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| 1921 |
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- 1921 孫文は「中国国民党」を組織し、この年、広州に「革命政府(広東政府)」をたてた。
- 「陳独秀」らは、ロシア革命の影響を受け、「コミンテルン」の指導のもとに「中国共産党」を結成した。
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| 1922 |
- 1922(大正11) 父、粛親王が亡くなり、葬儀出席のため、満州に渡る。
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- 半年後、松本に戻るが松本高女より復学を拒否される。
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| 1923 |
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| 1924 |
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- 1924 「外モンゴル」では、中国からの独立をめざす運動がすすめられ、ロシア革命の影響を受けて人民革命政府がつくられ、ソ連の援助を受けて「モンゴル人民共和国」が成立した。
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- 1924 「孫文」もソ連との接触を深め、この年に国民党は共産党員の入党を認めて、「第1次国共合作」を成立させた。
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| 1926 |
昭和 |
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- 1926 孫文の死後、「広東政府」は「国民政府」と改められ、その軍事権をにぎった「蒋介石」のもとで、北方の軍閥を倒して全国を再統一するための「北伐」がこの年開始された。
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| 1927 |
- 1927年(昭和2) 女装に戻り、満蒙独立をめざすモンゴル将軍パプチャップを父にもつカンジュルジャップと結婚した。
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- 4月 1927 勢力をのばした共産党に脅威を感じた「蒋介石」は、共産党への大弾圧(上海クーデター)を強行し、国共両党の合作は崩壊した。
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| 1928 |
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- 1928 「北伐」は継続され、この年東北軍閥の首領「張作霖」を北京から追放した。
- 「張作霖」は奉天(現、瀋陽)への帰還中に日本軍に爆殺された。
- 張作霖の勢力を継承した息子の「張学良」が「蒋介石」を指示し、ここに中国はほぼ統一され、「蒋介石」は南京に国民政府をおいて主席になった。
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| 1930 |
- 1930(昭和5)3年ほどで離婚。再び男装になる。
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- 上海公使館付武官補佐官として赴任した陸軍少佐、田中隆吉と上海で接触し、田中の諜報部員、男装の「女間諜X14号」として活動した。
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| 1931 |
- 1931(昭和6)満州事変が起こると、田中の命令で関東軍参謀の板垣征四郎の指揮下に入り、元宣統帝溥儀(中国最後の皇帝)の妃を天津から脱出させ、「満州国」建国に際して女官長となった。
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- 1931 国共ん分裂後、共産党は農村に「ソビエト区」を設け、地主の土地を没収して貧農に分配する土地改革を実施して革命の拠点とし、この年、江西省の瑞金に「中華ソビエト共和国臨時政府」(主席は毛沢東)がつくられた。
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- 1931 日本軍は、奉天郊外の柳条湖で自らがしかけた「南満州鉄道爆破事件」を張学良軍の仕業として東北全域を占領した。(「満州事変」)
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| 1932 |
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- 1932 日本軍は「満州国」をたて、清朝最後の皇帝「溥儀」をむかえて皇帝としたが、日本の傀儡国家であった。
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| 1933 |
- 1933(昭和8)には「熱河安国軍総司令官金璧輝」として熱河作戦(ねっかさくせん)に関わった。
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- 1933 「国際連盟」が「リットン調査団」の報告のもとに「満州国」の不承認を決議すると、日本は国際連盟から脱退した。
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| 1937 |
- 1937(昭和12) 脊椎治療のため、東京の病院に入院する。
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- 7月 1937 北京郊外で発生した蘆溝橋事件をきっかけに、宣戦布告のないまま日本軍は全面的な侵略戦争を開始し、「日中戦争」が始まる。
- そのため再び国共合作が成立する(第2次国共合作)。
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- その後、松本高女、松本市公民館において、日本の大陸政策の批判の講演をする。
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- 12月 1937 日本軍は首都南京を占領し、その際、捕虜や市民に対する大虐殺や暴行が行なわれ(南京大虐殺)、日本は国際的な非難をあびることになった。
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- その後、中国、天津で中華料理店「東興楼」を経営する。
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| 1938 |
- 1938(昭和13) この頃、軍部を批判する発言が多くなり、危険人物として暗殺の動きまで出てくる。
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| 1939 |
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| 1940 |
- 1940(昭和15) 「動乱の蔭に−私の半生記」の著書がある。
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| 1941 |
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- 12月7日 1941 日本海軍がハワイ真珠湾に奇襲攻撃を行なった。
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| 1945 |
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- 1945(昭和20) 10月 中国・国民政府軍(蒋介石)の憲兵に逮捕される。
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| 1947 |
- 1947(昭和22) 日本国籍がないため、日本人とは認められず、中国の裏切り者として、死刑の判決を受ける。
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| 1948 |
- 1948(昭和23) 3月25日午前5時、死刑が執行される。42歳。
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| 1949 |
- 1949(昭和24) 養父、川島浪速、85歳で没する。
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- 1949 毛沢東により「中華人民共和国」設立宣言
- 「蒋介石」の「国民政府」は台湾に移って、以後「大陸反攻」を唱え続けた。
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