航空の歴史
西暦 日本年代 飛行機 軍用飛行機 商用飛行機 ヘリコプター 日本の飛行機 アイデア 気球 飛行船 グライダー 人力飛行機 スカイダイビング ハンググライダー パラグライダー 日本-出来事
-499 縄文
  • 紀元前5世紀頃 「最初の飛行機、凧」がつくられる。
-400 弥生
飛鳥
1201 鎌倉
  • 13世紀 イギリスの修道士ロジャー・ベーコンは、研究の結果、水が船を支えるように、空気も飛行機を支えられるはずだと結論づけた。
1501 戦国期
  • 16世紀初め レオナルド・ダ・ビンチ 「航空機史上初めて、科学的な根拠のある提案」を行なった。→鳥のように羽ばたく機械仕掛けの翼を付けた「羽ばたき機」、垂直軸につけたローターの回転で上昇する「ヘリコプター」、人が乗る機体に固定翼を付けて空中を滑空する「グライダー」の3種類の飛行機、それに「プロペラ」と「パラシュート」
1783 江戸
  • 1783 フランス、アノネーの裕福な製紙業者モンゴルフィエ兄弟が製作、ロジエとダルランド侯爵による、パリで「熱気球による初飛行」が行なわれる。
    • 高度は約900m、距離にして約9kmに達したといわれる。
1785
  • 1785(天明5) 岡山県の浮田幸吉という人物、「空飛ぶからくり」で飛行したという古文書がある。
    • どのような飛行機(一説にはグライダー)であったかは不明。
  • 1785 フランスの操縦士ブランシャールとアメリカのジョン・ジェフリーズ、「初めて気球でイギリス海峡を横断」した。
1793
  • 1793 フィラデルフィアで「アメリカ初の気球」が放たれる。
1801
  • 19世紀 イギリスの航空技師で発明家のジョージ・ケーリーは、凧や、人がのって操縦できるグライダーなどを使用した実験で自分の考えを証明。
    • ヘリコプターと、水平方向にとぶ飛行機とを一体化した機体を設計し、「航空の父」と呼ばれている。
1802
  • 19世紀 イギリスの科学者フランシス・ウェンハムは、風洞による研究で、翼を上下に重ねて使うことを予見した。
1806
  • 1806〜13年 オーストリアのヤーコプ・デーゲン、鳥のように羽ばたき飛行でさまざまな実験をするが失敗に終わる。
1836
  • 1836 容積2400m3の「ナッソーの大気球」が、ロンドンからドイツのワイルバーグまで800kmを18時間で航行。
1840
  • 1840年代初め 王立航空協会の創立にも参加したイギリスの発明家ジョン・ストリングフェローと、ウィリアム・ヘンソンは、協力して大型旅客機の模型を作った。
1848
  • 1848年、ストリングフェローは、蒸気機関を動力として、改良した模型飛行機を発進させた。
    • 揚力は証明できたが、上昇には失敗した。
1852
  • 1852 フランス、技術者で発明家のヘンリー・ジファール、「最初の飛行船による飛行」に成功。
    • 長さ44mの太い葉巻たばこ形をした軟式ガス袋をもちい、3馬力の蒸気エンジンにつけたスクリュー・プロペラで推進。
    • パリの上空を時速10kmで飛行した。
    • 天候が比較的穏やかなときにしか航行できなかった。
1870 明治
  • 1870 普仏戦争(プロシア-フランス)の間、気球は両国陸軍によって偵察用に使われた。
    • フランス首相ガンベッタは、包囲されたパリから気球による劇的脱出に成功した。
1871
  • 1871 フランスの発明家アルフォンス・ペノーは、ゴムバンドを動力として手でとばす模型飛行機を作り、約35m飛ばした。
1874
  • 1874年 ベルギーのバンサン・ドグルフ、羽ばたき飛行実験で墜落死
1884
  • 1884 フランス、発明家シャルル・クレッブの開発したラ・フランス号、「初めてそよ風の中でも、出発地点に帰着」に成功。
    • 電気で回転するプロペラによって推進した。
1889
  • 1889 アメリカのR.J.スポールディング、人力飛行機のアイデアで特許をとる。
1891
  • 1891 イギリス生まれのオーストラリアの発明家ローレンス・ハーグレーブは、圧搾空気のモーターで駆動するフラッピングブレードで推進される硬翼の模型飛行機をつくり、95m飛んだ。
  • 1891(明治24) 愛媛県出身の軍人・技術者、二宮忠八、カラスの飛行スタイルにヒントを得て、「ゴム動力による世界初の模型飛行機」を飛ばすことに成功。
1893
  • 1893 二宮忠八、理論的には人間を乗せて飛ぶことのできる幅2mの飛行機の実験に成功。
  • 1893 ローレンス・ハーグレーブは、箱凧を発明。
1894
  • 二宮は日清戦争に従軍中、軍の上層部に飛行機研究を上申したが却下される。
    • その後も研究を続けていた。
  • 1894〜96 ドイツの航空技術者、「オットー・リリエンタール」グライダー飛行に成功する。
    • 初めて翼に曲面を取り入れた」。
  • 1894-1895 日清戦争
1895
  • 1895〜1910 アレグザンダー・グレアム・ベル、人間が乗れる巨大な四面体をつないだ凧を開発。
1896
  • 1896 アメリカの天文学者サミュエル・ラングリーは、蒸気機関を動力として、翼長4.6mの双発単葉機を何機も製作する。
    • それらは大きく円をえがいて上昇し、約1分半で915〜1220mまで、くりかえし飛行した。
    • 燃料がなくなると、ゆっくりと降下してポトマック川の水面に着水した。
  • 1896 リリエンタール、グライダーが操縦不能になり、墜落死する。
  • 1896〜1902 アメリカの技師オクターブ・シャヌート、複葉グライダーでかなりの成功をおさめる。
    • 飛行の研究の歴史をまとめて1894年に「飛行機械の進歩」を出版。
1900
  • 1900 ドイツの発明家フェルディナント・フォン・ツェッペリンが、彼の最初の飛行船を完成した。
1901
  • 1901,03 ラングリー、エアロドロームという名の実物大模型の実験を計画し、にテスト飛行として無人の4分の1模型を飛ばした。
      • これが、「ガソリンエンジンを搭載した空気より重い飛行機の最初の飛行」となる。
  • 1901 ブラジル人飛行士アルベルト・デュモン、シリーズで14機の飛行船をフランスで開発し、大型化と航空機としての性能向上に貢献している。
    • その内の6号機でエッフェル塔を旋回した。
1903
  • 1903 ラングリー、実物大模型を完成させ2回テストしたが、いずれも失敗に終わる。
  • 1903 ドイツの飛行家カール・ヤトー、実物大模型機をテストしたが成功しなかった。
  • 12月17日 アメリカ、ノースカロライナ州キティホーク近郊で、ウィルバーとオービルの「ライト兄弟」が、沿岸警備隊と気象庁職員の5人が見守る中、「エンジン駆動で操縦もできる世界初の飛行」に成功する。
    • 兄弟で設計、製作した機体で、その日2人は1人が2度ずつ飛行した。
    • 最長距離はウィルバーがとんだ260mで、59秒間の飛行だった。
    • 飛行成功後、機体は10mの風にあおられ転倒し大破した。
  • 1903 二宮忠八、ライト兄弟の初飛行を知り、研究を断念。
1904
  • 1904 ライト兄弟、105回の飛行で、5分以上飛ぶ。
1905
  • 1905 ライト兄弟、39kmを38分3秒でとんで飛行距離をのばし、これが最高記録となる。
1906
  • 1906 ハンガリーのT.ブイアがパリで、J.C.エレハンメルがデンマークで、それぞれ短い飛行に成功。
  • 1906 アメリカのジャーナリスト、ゴードン・ベネットのトロフィー提供による気球レース「ゴードン・ベネット杯」は第1次世界大戦中をのぞき毎年開催され、第2次世界大戦が始まるまで続いた。
  • 11月12日 ブラジルのアルベルト・サントス・デュモンがフランスで約220m、22.5秒で、これが「ヨーロッパで最初に公式の立ち会いのもとで行なわれた飛行」となる。
1907
  • 1907 アンリ・ファルマンが、ボアザン社製の飛行機で「ヨーロッパ初の1分間の飛行」に成功する。
1908
  • 8月 ライト兄弟の「ウィルバー」、フランスにわたり、12月31日までに2時間20分をこす飛行を達成した。
    • 彼は優雅に旋回したり、自在に上昇、下降をくりかえしたりして、飛行機の完璧な操縦性能をデモンストレーションした。
  • 9月3日 ライト兄弟の「オービル」、バージニア州フォートメイヤーで、アメリカ陸軍通信隊に対しデモンストレーション飛行を始める。
  • 9月9日 ライト兄弟の「オービル」、「世界ではじめて1時間以上飛行」し、さらに「世界初の乗客」フランク・ラーム中尉を乗せて6分24秒飛んだ。
  • 9月17日 ライト兄弟の「オービル」、墜落事故で彼と乗客のトーマス・セルフリッジ中尉は負傷し、中尉は数時間後、打撲傷で死亡した。「動力飛行機の初めての死亡事故」となった。
1909
  • 1909 ヨーロッパの各国政府は研究開発事業を助成し、航空関係者を育て上げるなどして、飛行機開発の主導権はヨーロッパに移った。
  • 7月 ライト兄弟の「オービル」、負傷から回復すると、「ウィルバー」に助けられて通信隊へのデモ飛行を再開、月末までに通信隊の要求をみたし、飛行機は8月2日に購入された。
    • 軍用機第1号」となったこの飛行機は、その後2年間使用された後ワシントンのスミソニアン博物館におさめられ、今も展示されている。
1910 3月28日 フランスのアンリ・ファーブルが「飛行艇を製作し初めて飛行」に成功。
  • 12月14日 公式初飛行者の徳川大尉の先輩である日野熊蔵大尉が乗るドイツ製グラーデ単葉機が滑走練習中に飛んでしまうというハプニングが発生。
    • 公式な飛行記録とは認められなかった。
  • 1910 「最初の商業的な航空輸送の定期便」がツェッペリン飛行船ドイッチュラント号により始まる。
  • 1910頃 ドイツのレーン高原、ワッサークッペの丘陵地帯で「グライダーがスポーツとして最初に行なわれた」。
  • 12月19日 明治43 早朝、代々木練兵場(現、代々木公園(東京都渋谷区))で、フランス製アンリ・フォルマンという2人乗り複葉機を徳川好敏大尉が操縦し、「日本での動力付飛行機の初飛行(公式)」を行なう。
  • 飛行距離は約3000m、高度70m、飛行時間は約4分間。
  • 12月19日 午後、日野大尉は徳川大尉につづいて「公式」に飛行した。
1911
  • 1月 カーチスは「アメリカで最初に飛行艇の開発、飛行に成功」した。
  • 1911 イタリア軍機がトルコ軍を爆撃したのが「爆撃機」の始まりとされる。戦闘機の出現より早かった。
  • 10月 アンリ・フォルマン機を参考にした「初の国産機」の「会式1号機」の初飛行に成功。
  • 12月10日 アメリカの飛行家カルブレイス・ロジャースが、ライト機に乗って、ニューヨーク、ブルックリンのシープスヘッドベイからカリフォルニア州ロングビーチまで、84日間かけて「最初のアメリカ大陸横断飛行」に成功。実際の飛行時間は、3日と10時間14分だった。
1913 大正時代
  • 第1次世界大戦直前頃 複葉機は、エンジンとプロペラが翼の後方にある推進式からプロペラが翼の前方にある牽引式に変わった。
    • 単葉機の実用機種はまだ少なかった。
1914
  • フランスは航空技術で1910年頃にはアメリカを追い越し、第1次世界大戦開戦時には世界の頂点にたっていた。
  • 第1次世界大戦(1914-18)中、エンジンを2基、3基、4基と搭載した巨大な複葉爆撃機が両陣営から登場する。ヨーロッパでは、初期にはロータリーエンジンが多用されたが、やがて星型エンジンにかわった。
    • イギリスとアメリカではV型水冷エンジンが多かった。
  • 1914 アメリカでポール・ファンスラーという電気技師が「飛行機による世界最初の航空輸送事業」をフロリダ州タンパとセントピーターズバーグ間約29kmで始めた。
    • 車では半日かかる場所だった。1日2往復で定期運航したが、開業後約3カ月で地元の市から助成を打ち切られたので、事業も終了した。
    • この時、セントピーターズバーグの市長が「世界最初の飛行機の旅客」となった。
  • ヨーロッパ上空では、激しい戦闘機同士の空中戦が行なわれ、5機以上を撃墜した者に与えられる「エース」という言葉が生まれた。
1917
  • 1917 アメリカの民間航空は、軍から供与された航空機とパイロットを使って再開された。
  • 1917(大正6) 「日本で最初の飛行学校」が千葉県の津田沼と稲毛にできた。
    • 離着陸は砂浜が使われた。
1919
  • 5月31日 巨大な飛行艇で、、1919年5月8〜31日に、ニューヨーク州ロングアイランドのロッカウェービーチを出発してイギリスのプリマスまで、ニューファンドランド、ポルトガル領アゾレス諸島、リスボンなどに着陸しながら「大西洋を横断」した。
  • 1919 ヨーロッパでは、ベルサイユ条約締結の年、第1次世界大戦での余剰の航空機とパイロットを活用するために、民間航空事業が始まった。
    • 20以上の航空会社が誕生したが、まだ需要は少なく、ほとんどの会社は1年近くで撤退している。
    • 唯一の例外は、「KLMオランダ航空」だけで、1919年10月設立以来現在まで存続している。
  • 1919 イギリスで就航した飛行船R34号は、長さ196m、ガスの容量5606万リットル余りで、「初めて大西洋を横断した飛行船」。1921年に墜落する。
  • 6月15日 1919年6月14〜15日、イギリスの飛行家ジョン・オルコックとアーサー・ブラウンが、。
    • ニューファンドランドのセントジョンズからアイルランドのクリフデンまで16時間かけて、「最初の無着陸大西洋横断飛行」を成功させた。
    • 2人はこの成功で、ロンドン・デイリーメール紙から賞金5万ドルを獲得する。
  • 1919(大正8) ヨーロッパの企業を中心にしてパリ条約が締結され、国際航空運送協会が設立された。この条約には日本も加盟している。
1921
  • 1930年代 オートジャイロ:
    • 主に軍用に使用され、翼はなく、前方についた飛行機のようなプロペラで前進すると、ヘリコプターのような回転翼が回転するというもの。
    • ヘリコプターの登場とともに姿を消した。
1922
  • 1922(大正11) 日本航空輸送研究所が、海軍から払い下げられたカーチス飛行艇を使って、堺〜徳島間、堺〜高松間の、新聞と郵便を輸送する定期便を就航させた。
1923
  • 1923 アメリカ海軍は、初めてアメリカで完成されたツェッペリン型の飛行船シェナンドア号を就航させた。
    • この飛行船は、「初めて不燃性ガスであるヘリウムガスを充填」した最初のタイプだった。長さが206m、ガス容量が5989万リットルだった。
    • この飛行船は、その後2年間、何回かの広範囲な飛行をおこなったが、1925年9月に、嵐の中で完全に破損し、29人は助かったが、14人の搭乗員の命が奪われた。
  • 9月1日 1923(大正12) 関東大震災
1924
  • 1924 東京〜大阪間で東西定期航空会が、1925年には日本航空(現在の日本航空とは無関係)が大阪〜福岡間で、それぞれ旅客輸送を開始。
      • 1920年代を通じて、現在の韓国、北朝鮮、中国まで路線が拡大された。しかし、次第に軍による徴用が拡大していく。
  • 1924 アメリカ海軍は、第1次世界大戦の戦争賠償の一部として、ドイツのツェッペリン工場でつくられた飛行船、ZR3(後にロサンゼルス号と命名された)を受け取った。長さ198m、ガス容量7008万リットルで、ゴンドラには、30人を収容する宿泊設備を搭載していた。
    • ロサンゼルス号は、プエルトリコやパナマへの旅をはじめ250回もの飛行をおこない、1932年に引退した。
1927 昭和
  • 5月 アメリカの飛行家リンドバーグ、ニューヨークからパリまでの5810kmを33時間半で飛んで、「単独飛行で無着陸大西洋横断」に初めて成功する。
  • 9月14日 8月27日〜9月14日、アメリカのウィリアム・ブロックとエドワード・シュリー、「カナダ」のニューファンドランドから「日本」まで「1万9800km」の飛行に成功。
1928
  • オーストラリアの飛行家チャールズ・スミス、アメリカの西海岸からオーストラリアのシドニーまで、「初の太平洋横断飛行」に成功した。
  • 1928 ドイツのツェッペリン工場は、長さ235m、「ツェッペリン号」を製造。
      • この飛行船は、就航後9年間の間に、合計160万9344kmの飛行をおこない、大西洋を横断して南北アメリカへ139回飛行した。
  • 1928 アメリカ海軍は、2機の飛行船を購入した。
    • この飛行船の設計上の新しい特徴は、「5機の偵察機が飛行中に離着陸できる格納庫を、船体の中に備えていた」ことである。第1号船アクロン号は、1933年、ニュージャージー州の沖合で、嵐の中で遭難した。
    • 2号機のメイコン号は、1935年に墜落した。それ以後アメリカは硬式飛行船を製作していない。
  • 1928 アメリカ、ニューアークに「最初の舗装滑走路の民間空港」が建設。
  • 4月13日 ドイツのヘルマン・ケール大尉とギュンター・フォン・ヒューネフェルト男爵、アイルランドのジェームズ・フィッツモーリス大尉、アイルランドのダブリンからラブラドルのグリーンリー島まで、3564kmを飛行して、「初めて大西洋を無着陸で西へ飛んだ」。
  • 6月9日 オーストラリアの飛行家チャールズ・スミスとチャールズ・ウルム、アメリカのハリー・ライオンとジェームズ・ワーナー、サザンクロス号で、「アメリカ」、カリフォルニア州オークランドから「オーストラリア」のシドニーまでの「1万1910km」を飛ぶ。
    • 途中、ハワイ、フィジー諸島、オーストラリアのブリズベンに立ち寄っている。
1929
  • 1929 イギリスは硬式飛行船の生産を再開し、R100号、R101号を就航させた。
    • 船体の中に乗客100人のための食堂、寝室、レクリエーション施設が装備されていた。
    • 1930年10月、この飛行船は、インドへの飛行途中、激しい暴風雨にあって、フランスのボーベ近くの山に墜落して炎上し、46人の乗客と搭乗員が命を失った。
    • R100号はR101号の墜落後スクラップにされ、それ以来イギリス政府は、すべての飛行船の製作をあきらめた。
1930
  • 1930 アメリカ、ユナイテッド航空で「世界で最初に女性の客室乗務員(スチュワーデス)」が採用された。
    • 当時は、旅客サービスよりも、航空機の危険性への不安が大きかったため、「看護婦の資格」を持っている女性が採用された。
1931 1931 スイスの物理学者オーギュスト・ピカール、容積1万4000m3の特殊設計の水素ガス気球からつりさげられた、球形で気密性のある金属キャビンに入って「初めて成層圏」へ上昇し、高度1万6940mに達した。
1932
  • 1932 アメリア・ハート、「女性として初の大西洋単独飛行」に成功。
1936
  • 1936 ドイツの技術者H.フォッケの設計による双ローター機が「確実に成功した最初のヘリコプター」になる。
  • 5月18日 1936 阿部定事件
1937
  • 1937 アメリア・ハート、ナビゲーターとともに世界一周飛行中、中部太平洋上で消息不明になる。
  • 1937(昭和12) 陸軍の試作機「神風号」が東京〜ロンドン間を11回の着陸を行いながら、94時間18分で飛行。
  • 1937 ドイツが製作した長さ245mの飛行船「ヒンデンブルク号」定期便として10回大西洋を横断飛行した後、アメリカ、ニュージャージー州レークハーストに着陸しようとしたとき、爆発炎上した。
    • この事故で、35人の乗客と1人の地上勤務員が死亡した。
  • 1937 「最初のグライダーの世界選手権」がドイツで行なわれた。
    • 最高の賞はこのスポーツの考案者(オットー・リリエンタール)にちなんだ「リリエンタール・メダル」である。
1938
  • 1938 東京大学の航空研究所が設計した研究機(航研機と呼ばれる)が1周約400kmのコースで、1万1651kmの無着陸飛行を行なった。
    • 「神風号」共々、これらは、いずれも「当時の世界記録」だった。
1939
  • 第2次世界大戦(1939-45) 1939-40 ドイツはポーランド、フランスに電撃戦とよばれる侵攻作戦をおこない、地上部隊と航空機の連携の威力を証明した。
      • とくに急降下爆撃機ユンカースJU87は対地攻撃に絶大な威力を発揮した。
  • 1939 ロシア生まれでアメリカに帰化した航空機技師「シコルスキー」、「初の実用ヘリコプター」を飛行させる。
    • 単ローターで、後部に補助プロペラを付けて制御しやすいようにした。
  • 1939 零式艦上戦闘機「ゼロ戦」初飛行
1940
  • 1940 夏のイギリス上空の戦い(バトル・オブ・ブリテン)では、レーダー網と連携して要撃戦闘をおこなったハリケーン、スピットファイアなどの要撃戦闘機が活躍した。
1941
  • アメリカ軍機は世界中の最前線で活躍していた。
  • 1941(昭和16) 三菱航空機が製造した零式艦上戦闘機(通称ゼロ戦)は、第2次世界大戦中期まで圧倒的な高性能をほこったものの、その後は後継機の開発の遅れや、アメリカがすぐれた戦闘機を多数投入したために形勢は逆転した。
  • 1941 日本海軍がハワイ真珠湾に奇襲攻撃を行なった。
1942
  • 1942 「シコルスキー」、後継のヘリコプターでコネティカット州からオハイオ州まで、約1200kmを飛行し、「ヘリコプターによる初のアメリカ横断」に成功した。
1943
  • 1943 アメリカ軍のB-17、B-24爆撃機は、ドイツ本土に対して昼間精密爆撃をおこなった。
    • 特にP-47サンダーボルト、P-51ムスタングなどの長距離掩護(えんご)戦闘機が出現して以降、ドイツ上空の制空権はほとんど連合軍のものとなる。
1944
  • 1944-45 アメリカ、イギリス軍の爆撃によってドイツの諸都市は廃墟となる。
  • 1944 最初からステルス性を考えて設計されたホルテンHoIXが完成
1945
  • 1945 第2次世界大戦の敗戦によってアメリカから研究開発も生産も禁止処置をうける。
    • これにより日本は世界の水準から大きく後れをとることになる。
  • 1945 アメリカ爆撃機、ボーイングB-29により東京大空襲が行なわれる。
  • 8月6日 1945 アメリカ、B-29爆撃機「スーパーフォートレス」エノラ・ゲイにより広島に原爆が投下される。
1950
  • 朝鮮戦争(1950-53) アメリカ、F-86セイバーと北朝鮮、ソ連製ミグ-15が戦った。
1951
  • 1951(昭和26) 「日本航空」が設立される。
  • 1951 「スカイダイビング」が国際的なスポーツになった。この年に、5カ国の選手が参加して、第1回の世界選手権がユーゴスラビアで開催された。
1952
  • 1952 B-52爆撃機「ストラスフォートレス」初飛行 ベトナム戦争(1965-72)、湾岸戦争(1991)でも使われる。
  • 1952 サンフランシスコ講和条約発効後、この年に、ようやく航空に関する制限が解禁になる。
1953
  • 1953 日本航空は、資本金の半額を政府出資とする特殊会社となる。
1954
  • ベトナム戦争(1954-1975) アメリカのF-4ファントムと北ベトナムのソ連製ミグ-21が戦った。
  • ベトナム戦争中は約2000機の米軍ヘリコプターが、負傷者の救出、兵員や物資の輸送、敵情偵察、地上砲火対策などに使用された。
1955
  • 1955 アメリカのF-100スーパーセイバーが「実用戦闘機として初めて音速を超えた」。
1957
  • 1957 国内ローカル線を担当していた「日本ヘリコプター」が社名を変更し「全日本空輸(全日空・ANA)」となる。
1959
  • 1959 イギリスの実業家ヘンリー・クレーマー、「1マイル(約1.6km)の距離にある2地点間の8の字飛行を、最初に人力だけで成功した者には5000ポンド(成功者が現れなかったので、のちに1万ポンドに増額)の賞金を与える」という呼びかけをした。
1960
  • 1960 アメリカ、ジョゼフ・キッティンガー大尉、ポリエチレンプラスチック気球から3万1354mの高度で脱出。これは、「気球飛行の高度記録」を更新し、「パラシュート降下の新記録」を樹立。
1961
  • 1961 アメリカ、マルコム・ロスとビクター・プレーザー、航空母艦から約28万m3の気球で進発し、3万4668mの「高度記録」を樹立。
  • 1961(昭和36) 陸上自衛隊員5名が、「日本で初めてスポーツとしてスカイダイビング」を行なった。
1962
  • 1962 2万169kmの長距離飛行記録が出される。
  • 1962「国産初の旅客機」のターボプロップ輸送機YS-11の原型機が初飛行する。
    • 当時の中型旅客機に匹敵する輸送力を持ちながら、短めの滑走路で離発着できるので海外にも輸出された。
1964
  • 1964 グライダー誌の編集長リチャード・ミラーが、1950年代にアメリカ航空局(NASA)のフランシス・ロガロが宇宙船回収カイトを考案したのをヒントに、竹とポリエチレンシートの「ハンググライダー」を製作して、飛行したのが各国にひろまった。
1969
  • 6月 ソ連のツポレフTu-144型機、「世界初の超音速ジェット旅客機」として音速を超えた。
1970
  • 1970 アメリカ海軍、F-14戦闘機「トムキャット」初飛行
  • 1970 ボーイング747(ジャンボジェット)初飛行
  • 1970年代初め ハンググライダー、日本に輸入される。
  • 1970 アメリカ空軍、ロックウェルB-1「スピリット」超音速爆撃機の開発に着手
1972
  • 1972 アメリカ空軍、F-15戦闘機「イーグル」初飛行。高価なため、アメリカ空軍以外では、日本、イスラエル、サウジアラビアでしか使用されていない。
  • 1972 ドイツのパイロット、ハンス・ウェルナー・グロス、1460.8kmの「グライダーによる最長直線飛行距離」を記録。
1974
  • 1974 イギリス、ドイツ、イタリア共同開発による「トーネード攻撃機」初飛行
  • 1974 F-16戦闘機「ファイティングファルコン」試作機初飛行
1975
  • ベトナム戦争(1954-1975)終結
1976
  • 1月21日 イギリス、フランス共同開発による超音速旅客機「コンコルド」、商用飛行開始。
  • 1976 2機のシコルスキーHH-3ヘリコプターは、ニューヨークからパリまで、「空中給油による大西洋横断飛行」に成功。
1977
  • 1977 アメリカ、カーター大統領によりB-1の開発を中止
  • 1977 STOL(短距離離着陸機)「飛鳥」の開発が12年間に渡って行なわれたが、量産には至らなかった。
  • 1977 「戦後初の国産戦闘機」三菱F-1支援戦闘機が初飛行する。
  • 8月 アメリカの流体力学者ポール・マックレディ、軽量で強度の大きい材料を使った32kgの人力飛行機でクレーマーの「懸賞の挑戦に成功」。
1978
  • 1978 ソ連の超音速旅客機、ツポレフTu-144、73年と78年に墜落事故を起こしたため、就航は全面中止になる。
  • 1978 アメリカ人ビジネスマン、ベン・アブルッツォ、マックス・アンダーソン、ラリー・ニューマン、5000kmの距離記録と、137時間6分の滞空記録で「気球による最初の大西洋横断飛行」が成功。
1978 フランスのミューシーで、スカイダイバーがダイビング用パラシュートで飛び降りたのが「パラグライダー」の始まりという。
1979
  • 6月 クレーマーは、人力だけでイギリス海峡の横断に成功した者に10万ポンドをだすと宣言し、またしてもマックレディの設計によるGossamer Albatross号、機体の総重量は約25kg、主翼の長さが約29mという飛行機で成功する。
1980
  • 1980年代 パラグライダーが移入される。
1981
  • 1981 F-117ステルス戦闘機「ナイトホーク」初飛行
  • 1981 アメリカ、レーガン大統領によりB-1はB-1Bとして復活。
    • しかし、その後ステルス爆撃機の登場、対空ミサイルの性能向上などで、100機の生産で終了した。
1984
  • 1984 アメリカ、キッティンガー、初めて「気球による単独で大西洋横断飛行」をする。
1985
  • 8月12日 1985 羽田発大阪行きの日航のジャンボ機が上野村(群馬県)の御巣鷹山に墜落、乗客乗員の内520人が死亡、4人生存。
1985 「おニャン子クラブ」が社会現象に
1986
  • 12月 アメリカの2人乗り特殊軽量プロペラ式実験機ボイジャーが、「世界初の無給油の無着陸世界一周飛行」に成功。設計者バート・ルータン、操縦したのはバートの兄弟のディック・ルータンとジャンナ・イエガーで、9日と3分44秒で4万254kmを平均時速186.3kmで飛び、長距離耐久飛行の記録を樹立した。
  • 1986 アメリカのロバート・ハリス、1万4938mの「グライダーによる最高高度」を記録。
1988
  • 1988 B-2ステルス爆撃機、初飛行
  • 1988 日米共同開発事業のFSX(次期支援戦闘機)の開発が始まる。
  • 1988 「東亜国内航空」が社名変更して「日本エアシステム(JAS)」となる。
1989 平成 1989 オーストリアでパラグライダーの第1回世界選手権が開催される。これには12人が参加した。
1990
  • 1990 アメリカ、コンチネンタル航空が営業を続けながら破産手続きをとった。
1991
  • アメリカ、イースタン航空、パンアメリカン航空が営業を停止した。
1992
  • 1992 アメリカ、TWAトランスワールド航空も破産した。
  • 1992 アメリカ人、トロイ・ブラッドリーとアブルッツォの息子リチャード、「世界最初の気球大西洋横断レース」で、風に流されてコースから外れ、146時間後にモロッコのフエズ付近に着陸した。結果として「気球による滞空時間最長記録」になる。
1995
  • 1995 広島に原爆を投下したB-29爆撃機「スーパーフォートレス」エノラ・ゲイがアメリカ「スミソニアン博物館」に展示されることになり、その際、原爆の被害についての展示を含めるかで日米間で論争になる。(館長は理解を示していたが、アメリカ人の大多数は原爆使用が戦争を終結したという考えで展示に反対した)
1月17日 1995 阪神淡路大震災
1998
  • 1998 羽田空港に東京〜福岡間の「スカイマークエアラインズ」、東京〜札幌間の「北海道国際航空(エア・ドゥ)」参入。
1999
  • 1999 熱気球による世界一周を達成したベルトラン・ピカールは、史上初めて気球によって成層圏に達したオーギュスト・ピカールの孫。
2000
  • 7月 2000 コンコルド、パリ郊外に墜落、乗客ら113人が死亡。
2001
  • 2001 9月11日 アメリカ同時多発テロ
    • 2機の旅客機がニューヨークの世界貿易センタービルに、1機がワシントンのアメリカ国防総省に突入、1機がペンシルベニア州ピッツバーグ郊外に墜落。
    • この時から空港などの警備が格段に厳しくなる。
2002
  • 2002 JALとJASが経営統合して「日本航空グループ」(JALグループ)となり、日本の航空業界はJALグループと全日空の2強体制になる。
2003
  • コンコルド、運航が終了する。

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