| フランスの歴史 | ||||
| 西暦 | フランス-時代 | フランス-出来事 | フランス-国王-時代 | 日本-年代 |
| -14000 | 旧石器時代 | ラスコー壁画 | ||
| -3000 | 新石器時代 | ブルターニュのカルナック列石、ロワール渓谷のドルメン(机石)などの巨石記念物 | 縄文時代 | |
| -800 | 青銅器時代 | ハルシュタット文化 鉄器文化 | ||
| -700 | 鉄器時代 | 地中海沿岸にギリシャ人が植民都市を建設。 | ||
| -500 | ラ・テーヌ文化:ケルトの最盛期。 金工技術、陶器などに特徴がある。 | |||
| -121 | 現在のマルセイユ付近にいたギリシャ人は、ケルト系住民の圧力を受けたため、ローマ人に保護を要請し、救援に来たローマ人は、内陸部のナルボンヌに拠点を設けた。 | 弥生時代 | ||
| -58 | -58〜-15 ガリア(古代ローマ人のフランス地域の呼び名)を転戦したカエサルは、征服した土地を、ガリア・ルグドゥネンシス、ガリア・ベルギカ、アクイタニアの3属州に編成し、中心は今日のリヨン置かれた。 | |||
| 200 | ガリアにもたらされたキリスト教は次第にガリア社会に広まり、上層階層の出身者で教会の要職につく者も多かった。 | |||
| 412 | 西ゴート族がイタリア方面から入って、ガリア南部にいすわる | 古墳時代 | ||
| 440 | ブルグント族がガリア東部を占領した。一方、ブリテン島にいたケルト人はテウトニ族(アングロ・サクソン人)に追われたガリア西部のブルターニュ半島に到来 | |||
| 470 | 西ローマ帝国が滅びる頃、元々ライン川の河口付近にいて、海の人と呼ばれたサリ人は次第に南下し、今日のベルギーからフランス北部にあたる地域に住むようになった。 | |||
| 476 | 西ローマ帝国が滅びると、フランス全体をまとめる政治勢力はなくなった。 | |||
| 500 | 北方のゲルマン人が大挙してガリアに侵入 | |||
| 732 | フランス北東部からドイツ南西部の辺りに勢力をはっていたピピンの一族が力を持った。ピピン2世は、やがてフランク王国全体の貴族の長として宮宰になり、宮廷をとりしきった。 その子カール・マルテルは732年にトゥール・ポワティエの戦でイスラム教徒を撃退してフランクの真の指導者になり、 その子ピピン3世はメロビング朝の王を廃して、フランクの王になった。 |
奈良時代 | ||
| 751 | メロビング朝は、751年まで今日のオランダ、ベルギー、フランスからドイツ西部に相当する広い範囲をフランク王国として支配した。 | |||
| 800 | 800年にカール大帝(ピピン3世の子)は教皇からローマ皇帝の称号をあたえられ、西ヨーロッパにローマ帝国が復活した。 | 平安時代 | ||
| 8世紀以前から、西ヨーロッパにはノルマン人が時折、襲来していた。ノルマン人:Normans 「北の人」を意味し、北方のスカンディナビアから来襲した北ゲルマン人(バイキング)を総称した語。 | ||||
| 987 | ユーグ・カペーが即位したときから固有のフランスの歴史が始まる。 ユーグ・カペー:カール大帝の子孫には、外敵から王国全体をまもる力はなく地域の支配者たちは無能な王を廃して、自分たちの指導者を選んだ。 |
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| 1000 | ノルマン人は10世紀の初め、フランク王の臣下となり、セーヌ川の河口に定住した。この土地がのちのノルマンディである。 | |||
| 1328 | 1328年、カペーの本家に男子の後継者がいなかったので、フィリップ4世の甥、バロワ家のフィリップが王位についた。以後1589年までの260年間に、一家から13人の王が即位する。 | 鎌倉時代 | ||
| 1337 | ↓百年戦争:イングランドとフランスの抗争百年戦争は、バロワ家のフィリップ6世の即位に際して、フィリップ4世の娘の子であるイングランド王エドワード3世がフランス王位を要求し、フランスに侵入したことから始まった。 しかし、真の狙いは3つの領地の確保にあった。 毛織物産地で、遠隔地貿易の中心を占めていたフランドル、 赤ワインの産地で、天然の良港ボルドーをもつギュイエンヌ、 穀物産地のガスコーニュである。 百年戦争は商品生産や流通の発展に伴う経済戦争だったのである。 |
室町時代 | ||
| 1348 | 数年にわたって黒死病(ペスト)大流行 人口激減 | |||
| 1429 | ジャンヌ・ダルク: フランス軍を率いてイングランドより、オルレアンの解放に成功 | |||
| 1431 | 5月30日 ジャンヌ・ダルク火あぶりの刑で19歳5カ月で死去 | |||
| 1453 | ↑百年戦争 終わる。イギリス軍フランスから撤退 | |||
| 1494 | ↓イタリア戦争 シャルル8世は、ナポリ国王の地位をもとめてイタリア半島に進出したが、ハプスブルク家の包囲に直面することになった。 | シャルル8世 | ||
| 1559 | ↑イタリア戦争 | |||
| 1562 | ↓ユグノー戦争:ローマ・カトリック教会を堕落しているとし、そもそも、人と神の間に巨大な教会組織は不要と考える人々、すなわちプロテスタントが登場していた。 バロワ朝は、信仰の分裂が王国支配をゆるがすことを心配して、プロテスタントを弾圧した。 しかし、やがて王族の何人かがプロテスタントの立場をとるにおよんで、 カトリック支持者とプロテスタント支持者の対立は政治的な色彩をおび、ユグノー戦争に突入する。 ユグノーとは、カルバン主義のプロテスタントを意味した。 |
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| 1589 | アンリ4世即位、ブルボン朝が始まり、フランスは絶対王政となる。 | アンリ4世 | 安土桃山 | |
| 1598 | ↑ユグノー戦争 | |||
| 4月13日 ナントの王令 公布 ランス西部のナントでアンリ4世が署名して公布された、プロテスタントの信徒に信仰の権利をみとめた法令。 | ||||
| 1648 | ↓フロンドの乱 ルイ14世の治世初期のフランスで、絶対王権の強化に対して発生した一連の反乱。 フロンドとは、子供が石投げにつかうおもちゃを意味する |
ルイ14世 | 江戸時代 | |
| 1653 | ↑フロンドの乱 | |||
| 1682 | ベルサイユ宮殿の建設: 1789年10月までフランス王国の宮廷が置かれた。 | |||
| 1740 | ↓オーストリア継承戦争: ハプスブルク家世襲地の相続をめぐって起きた戦争。 | ルイ15世 | ||
| 1748 | ↑オーストリア継承戦争 | |||
| 1756 | ↓七年戦争 世界的規模で戦われた一連の戦争。 ドイツ地域の支配権および北アメリカとインドの植民地支配をめぐって起きた。 |
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| 1763 | ↑七年戦争 | |||
| 1789 | 7月14日 パリの民衆はの要塞を崩壊 フランス革命のきっかけとなる | |||
| 8月4日 議会は封建的な特権の廃止を決定 | ||||
| 1791 | フランスは憲法に基づく王政(立憲王政)となり、三権分立の原則が確立された | |||
| 1792 | 8月 パリの民衆は蜂起し、議会は王政を廃止した。 | |||
| 1795 | 豊かな者だけが選挙に参加する、二院制の議会と5人の総裁からなる政府がつくられた。総裁政府は以後5年間にわたって、政治を指導した。 | |||
| 1798 | 5月 ルイ18世による王政復古 | |||
| 1799 | 11月 ナポレオンのクーデタが実行され、ナポレオンをリーダーとする執政政府が生まれた。 | |||
| 1804 | ナポレオンは共和政を廃して皇帝になった。 | ナポレオン1世 | ||
| 1812 | ナポレオンは、イギリスの船舶を締め出すために06年に大陸封鎖令を発し、これを守らせるために、イベリア半島へ、ついでロシアに軍を進め、12年、50万近い軍隊を失った。 | |||
| 1815 | 3月 ナポレオン、幽閉されていたエルバ島から帰還、皇帝の座につく | ルイ18世 | ||
| 6月18日 ナポレオンの軍隊はベルギーのワーテルローで敗北し、「百日天下」は終わる。 ルイ18世改めて国王に。 | ||||
| 1830 | 7月 七月革命: ブルボン朝終わる。 王は選挙法を変えて、議会を地主だけで独占しようと試みたが、金融業者と商工業者は、学生や労働者とも手をたずさえて、政府を批判する側にまわった。 パリでは蜂起が始まり、「栄光の三日間」の戦いの後、パリの民衆は王宮を占拠した。 |
シャルル10世 | ||
| ↓七月王政: 新しい王としてオルレアン家のルイ・フィリップをかついだ。富裕階層が欲したのは、金融業者や商工業者に自由な活動を保障する政府だった。 ルイ・フィリップの下で、フランス資本主義は大きく発展する。 |
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| 1848 | ↑七月王政 | ナポレオン3世(大統領) | ||
| 2月 48年革命 パリでは再びバリケードが築かれ、国王はパリを脱出した。パリの民衆は議会になだれこみ、共和政万歳の怒号の中で臨時政府が樹立 | ||||
| 11月 フランス共和国憲法は、普通選挙制による大統領制を定めた。 | ||||
| 12月 皇帝ナポレオンの甥にあたるルイ・ナポレオン・ボナパルトが大統領選挙に当選 | ||||
| 1852 | 12月 ナポレオン大統領、皇帝ナポレオン3世として即位フランスの2回目の共和政、いわゆる第2共和政は4年間で崩壊した。 | ナポレオン3世(皇帝) | ||
| 1870 | 7月 ナポレオン3世捕虜になり、第2帝政終わる。フランスはプロイセンに宣戦布告した(プロイセン・フランス戦争)。 しかし、プロイセン首相ビスマルクは対フランス戦争の準備を整えており、フランス軍はすぐに苦境に立たされた。 9月にはナポレオン3世自身が、主力軍もろとも包囲され捕虜となってしまった。 ここに第2帝政は崩壊した。 |
不況 | 明治時代 | |
| 9月4日 国防政府樹立 戦争は続く | ||||
| 1871 | 3月 自治政府パリ・コミューンを結成パリの民衆はドイツに対する屈伏を不服として、71年3月に蜂起し、独立した自治政府パリ・コミューンを結成した。 | |||
| 1877 | 総選挙で第3共和政が確立 | |||
| 1889 | エッフェル塔建設 万国博覧会開催 | |||
| 1894 | ドレフュス事件スパイとして有罪判決をうけたが、再審の是非をめぐってフランスの世論は二分され、最終的には無罪となった。 | |||
| 1900 | 地下鉄開通 2回目の万国博覧会開催 | |||
| 1901 | 「ベル・エポック」(美しい時代):社会全体にゆとりが生まれ、20世紀の初めには「ベル・エポック」という言葉が使われた。 | |||
| 1914 | 8月3日 第1次世界大戦 ドイツに対して開戦 | 大正時代 | ||
| 1940 | ラスコー壁画発見迷い犬を探していた地元の子供たちに発見された。 |
昭和時代 | ||
| 6月14日 ドイツ軍がパリ入城 | ||||
| 1944 | 6月 ド・ゴール将軍、フランス領アルジェリアにフランス共和国臨時政府を樹立 | ド・ゴール(首相) | ||
| 6月 連合軍、ノルマンディ上陸作戦 | ||||
| 8月 連合軍、パリ解放 | ||||
| 1946 | 10月 新しい憲法が国民投票で可決され、第4共和政始まる。 | |||
| ↓インドシナ戦争:インドシナへの復帰をはかったフランスと、ベトナム、カンボジア、ラオスの独立勢力との間で、1946〜54年に戦われた戦争。 | ||||
| 1954 | ↑インドシナ戦争 | |||
| アルジェリア独立戦争 | ||||
| 1958 | ド・ゴール大統領選で圧勝 | |||
| 1962 | 7月 アルジェリア独立 | ド・ゴール(大統領) | ||
| 1968 | 五月革命 学生の反乱 | |||
| 1993 | ミッテラン | 平成 | ||
| 1997 | 6月1日 社会党のジョスパン第一書記を首班とする連立内閣が発足 | シラク | ||
| 2002 | 5月 新首相には中道、自由民主党のジャンピエール・ラファランが指名 | |||
| 2003 | 7月 熱波で1万5000人近い死者:7〜8月にヨーロッパを襲った熱波は、各地で山火事や農作物・家畜への打撃をもたらし、フランスでは、1万5000人近い死者がでた。 | |||