ハチ公像・モヤイ像
渋谷区道玄坂
撮影日:P2〜P4=2004/5/7 P1=04/12/10
写真1:クリスマスシーズンのハチ公像

写真4:モヤイ像の裏の顔:老人

写真3:モヤイ像の表の顔・若者

「ハチ公」とは
農業土木の上野英三郎博士に大正13年から17カ月間飼われた犬の「ハチ」
1925年(大正14) 博士は大学の教室で突然亡くなったが、それを知らないハチは7年間、通っていた渋谷駅で待ち続けた。
1932年(昭和7) 朝日新聞で紹介され一躍有名になる。
1934年(昭和9) 「忠犬ハチ公(尊称)」の銅像ができる。除幕式にはハチも出席する。
またハチ公像は天皇にも献上されている。
1935年(昭和10) 亡くなる。
ハチは剥製にされて上野の国立科学博物館に保存されている。遺骨は青山墓地の博士の墓の隣に葬られる。
1935年 生まれ故郷の秋田県大館市の大館駅前に渋谷のハチ公像と同じ鋳型のハチ公像ができる。
1944年(昭和19) 太平洋戦争のため渋谷・大館とも金属回収令により、溶かされ列車の車軸になる。(朝日新聞04.04.26)
1948年(昭和23) 募金により、最初の像の作者の息子の彫刻家により渋谷の像を再建。
1971年(昭和46) 1971年(昭和46)、この博士の名前を冠した農業土木学会の「上野賞」がつくられる。
1987年(昭和62) 映画「ハチ公物語」封切り。
1987年(昭和62) 大館の像が再建される。除幕式には剥製のハチ公が出席する。
「モヤイ像」とは
1980年(昭和55)
  • 新島(にいじま・伊豆諸島、東京都新島村)から東京都移管100年を記念して贈られた。
  • イースター島のモアイ像をヒントにしているが、「モヤイ」は新島の言葉「催合」で「助け合う、共同作業をする」という意味があるという。
  • 像は新島特産の「坑火石」でつくられている。
坑火石
  • 火山の噴火によりできた。
  • 新島以外には世界でイタリアのリパリ島でしか産出されない。
  • 防音・耐熱にすぐれ水に浮く。坑火石で船がつくられたこともある。
新島のモヤイ像 昭和40年代から地元の彫刻家がつくり始め、今では新島の名物になっている。
2000年(平成12) 当初は2つ設置されていた。しかし広場の整備により二つ置いておくことができなくなった。長く保管されていたが、テレビ局の募集により、2000年(平成12)、青森県深浦町に引き取られた。(2つあったのを見たようなかすかな記憶がある。)

写真2:普段のハチ公像

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■東京都渋谷区ハチ公像モヤイ像の情報、地図、概要

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