東京都中央区
銀座の柳 ぎんざのやなぎ
  • かつて銀座のシンボルだった。
  • 銀座の柳の歴史
    • 1869年(明治2) 新両替町から「銀座」の名称になる。
    • 1872年(明治5) 大火により銀座一帯が焼失。
    • 1873年(明治6) 政府の不燃化対策によりレンガで舗装した銀座通り完成。
    • 1874年(明治7) 銀座通りに日本初の街路樹として、松、カエデ、桜が植えられる。
    • 1877年(明治10) 地下水位が高いため、松、桜が枯れたため柳に植え替えられる。(初代柳の誕生)
    • 1884年(明治17) 銀座の街路樹がほとんど柳になる。
    • 1919年(大正8) 東京市は銀座通りの車道の拡幅を理由に柳の撤去を宣言。
    • 1923年(大正12) 関東大震災により全銀座は焼失する。
    • 1932年(昭和7) 一時、イチョウに植え替えられたこともあったが、1929年(昭和4)の「東京行進曲」(昔恋しい 銀座の柳・・・)のヒットで、朝日新聞社や有志などの寄贈により柳が植樹される。(2代目柳)
    • 1945年(昭和20) 第2次世界大戦の戦災により、柳はほぼ焼失する。
    • 1948年(昭和23) 銀座通連合会により焼失した柳を補植する。(3代目柳)
    • 1954年(昭和29) 戦渦を免れた柳が枯死するようになる。
    • 1959年(昭和34) オリンピック開催が決定してからのビル建設などによる環境の変化により、柳の枯死が目立ってきた。
    • 1968年(昭和43) 銀座通りの改修工事及び柳の衰弱が著しいため柳は撤去される。
      • 銀座通りの大改修により、残った柳は日野市の苗圃や日本各地に「銀座の柳」として移植される。
    • 1984年(昭和59)に、銀座の柳が苗圃に3本だけ残っていることを知った、銀座の有志が枝を持ち帰り、接ぎ木して、二世柳を復活させ、全国に寄贈した。
    • 1987年(昭和62) 「銀座の柳は安曇野産だった」という朝日新聞の記事により、長野県穂高町長(現、安曇野市)が中央区に柳100本を寄贈する。
      • その返礼として二世銀座の柳を寄贈し、穂高駅前に植樹され、安曇野に里帰りとなる。
  • 銀座に柳を復活させる運動は現在も行われている。
  • 毎年5月5日に「銀座柳まつり」が行われている。
  • 歌になった銀座の柳 (試聴はすべて同一HP)
    • 「東京行進曲」(1929年(昭和4)同名映画の主題曲)
      • 昔恋しい 銀座の柳・・・
    • 「東京音頭」(1933年(昭和8))
      • ハァ 踊り踊るなら チョイト 東京音頭・・・
        ・・・
        ハァ 花は上野よ チョイト 柳は銀座 ヨイヨイ
    • 「東京ラプソディ」(1936年(昭和11))
      • 花咲き花散る 宵も 銀座の柳の下で・・・
関連HP
銀座の柳(東京国道事務所)
銀座柳まつり(西銀座通会)
月島にある「銀座の柳三世」(東京都中央区)

2010/12/12
穂高駅の銀座の柳(長野県安曇野市)

2007/8/14
■復活した2世柳の一つ(左) 東京みちの情報館(閉館)(東京都新宿区)

2006/3/29
2011.05.07/2010.07.25

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