小諸城址
こもろじょうし
懐古園
かいこえん |
| 長野県小諸市丁(てい) |
グーグルアース座標=N36 19 38.09 E138 25 11.93 (徴古館)=N36 19 38.09 E138 25 11.93
(藤村記念館)=N36 19 36.88 E138 25 3.09
(懐古神社)=N36 19 35.02 E138 25 3.84
(三の門)=N36 19 39.37 E138 25 11.61
(展望台)=N36 19 38.42 E138 24 57.83 |
|
写真1:三の門(入り口・重要文化財)
 |
| 概要 |
- 小諸城:
- 懐古園は小諸城があったところ。
- 小諸城は、城下町よりも低い「穴城」だという。
- 小諸城は千曲川の河岸段丘の上にあり、深い谷あいを利用している。
- 「さくら名所100選」に選ばれている。
- 島崎藤村:
- 小諸義塾に教師として赴任し、小諸で7年間過ごした島崎藤村は「千曲川旅情のうた」で”小諸なる 古城のほとり 雲白く遊子悲しむ・・・”と詠んだ。
- 歴史
- 平安時代から鎌倉時代の頃、現在の懐古園の東側(小諸駅側)の位置に築かれた館が起源。
- 戦国時代に築かれた鍋蓋城が小諸城の前身になる。
- 1554年(天文(てんぶん)23)に武田信玄の侵攻により、鍋蓋城は武田氏の手中に落ち、以後30年間支配される。
- 山本勘助ら重臣が城郭を整備し、これが小諸城の大元になる。
- 1590年(天正(てんしょう)18)に豊臣秀吉が天下統一を果たし、功績をあげた仙石秀久の居城となる。
- 秀久は城の大改修と城下町の整備を行い、これが現在、城跡として残っているもの。
- 徳川の時代になり、1702年(元禄15)、牧野康重が入り、以後明治の版籍奉還までの約170年間、牧野氏10代にわたって居城となる。
- 1880年(明治13)に城は払い下げられ、小諸藩の旧士族が本丸の跡に神社を祀り、懐古園と名付けた。
- 城跡
- 大手門(国の重要文化財)
- 小諸駅の北側にある、小諸城の正門。
- 1612年(慶長17)、小諸藩主の仙石秀久が小諸城を築いた頃の建築。
- 三の門(国の重要文化財)
- 懐古園の入り口。
- 初代は1615年(元和(げんな)元年)頃に創建されたが、127年後の大洪水により流失した。
- 現在の門は1765年(明和2)頃に再建されたもの。
- 懐古神社
- 本丸御殿があったところ。
- 本丸の西の端に1585年(天正13)に完成した三層の天守閣があったが、1626年(寛永3)に落雷のため焼失したといわれている。
- 三の丸
- 役所などが置かれ、藩政の中心部だったが、1888年(明治21)に鉄道の建設のため取り壊された。
- 現在、小諸駅になっている場所。
|
- 開園時間:8:30AM-5:00PM
- 休園日:水曜(3月中旬〜11月無休)
- 入園料:
- 共通券(懐古園、徴古館、藤村記念館、郷土博物館、小山敬三美術館、動物園)\500
- 散策券(懐古園・動物園)\300
|
| 園内施設 |
| 郷土博物館 |
| 小山敬三美術館 |
| 徴古館 |
| 藤村記念館 |
| 公式HP |
| 懐古園 |