人物
松尾多勢子 まつお たせこ
  • 幕末、7人の子を育てた後、尊皇派の志士として活躍した女性。
  • 1811(文化8)-1894(明治27)年(84歳)
  • 江戸時代後期も1811年、現・長野県飯田市の豪農の長女として生まれた。
  • 19歳で現・長野県豊丘村に嫁ぐ。
    • その後、30年余りの間、子育て、家事の傍ら、和歌国学を学ぶ。
  • 飯田を訪れた国学者・平田篤胤(ひらた-あつたね)の門人、岩崎長世(いわさき-ながよ)の説く尊皇攘夷論に感化され、52歳の時、上洛する。
    • 「信州から出てきた歌詠みばあさん」というふれ込みで公家たちの家に出入し、宮中の女官と親交を結ぶ。
    • 一方、長州藩の勤王の志士たちとも交わり、国事に尽力する。
  • 1863(文久3)年、平田門下のしわざとされた足利三代木像梟首事件(あしかがさんだいもくぞうきょうしゅじけん)が起き、多勢子も関与を疑われたため長州藩邸に潜伏し難を逃れ、この年帰郷する。
    • 郷里では頼ってきた多くの志士の面倒をみた。
  • 1868(明治元)年、再度上洛、岩倉具視に請われて新政府関係者との調整役として「岩倉の女参事」と呼ばれるほど活躍し、新政府の確立を見届けたあと、翌1869(明治2)年に帰郷する。
  • 1892(明治25)年、明治皇后陛下より白縮緬(ちりめん)一疋(ひき)が下賜された。
  • 1903(明治36)年、維新の功績が認められて正五位(しょうごい)が贈られた。
  • 島崎藤村の『夜明け前』では松尾多勢子の登場場面がいくつもある。
  • 参考:Wikipedia,長野県豊丘村HP
関連HP
長野県豊丘村
・・・豊丘村の生んだ幕末の女傑 松尾多勢子
2014.09.27

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